【質問】大学の哲学の課題で「ビッグマックをタダで食べることはできるか?」っての出されたんだが
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そろそろ飽きたから去るよ、後は好きなように議論して >>208
180で"商品を商品たらしめる要素を本質と定義"することは無効だと示した
無効なものを論拠にした主張は成り立たない >>214
一応言っておくと、商品を商品足らしめる要素という枠では無く、ソースが本質だと主張している。ソース以外も含まれる商品を商品足らしめる要素では無く、ソースを本質として主張している。ではサラバダー >>212
そうか、つまりこう言いたいんだよ私は
>>218
ハンバーガーとビックマックの包含関係は一般的な定義に照らし合わせると逆だと思うけど言いたいことはわかった >>216
「ビックマックとして売られる際に、付いてくる要素(パンズ・レタス・ソース・包み紙)はビックマックと言える」
この前提が間違っているんだからこれを根拠にする主張が成り立たないのは明白だね >>217
住めないとしても、本人の視点ではそれは家ではあるんじゃないかな?ただ状態が違い、崩壊してるだけ >>220
間違えてる根拠となる論理が無い様に見えるんだけど…
私は去るよ、絵を描く日課をしなければ >>223
反論はしたよ、それに対する論は返ってきていないけどね >>221
本人の視点では家"だったもの"であり家ではない
これは199で既に自明となってる お互い自分の定義をぶつけあうだけで終わったからねえ >>225
まあそうだね、これに関しては私の例えが間違っているよ。 >>227
それに対する反論もしてるんだけどね、もう止めようか。どちらも正しいと思う論ならどちらも何かしら間違えてるんだろ、折衝案を考えるべきだ >>229
それは193のこと?もしそうなら俺の記入ミスに対する反論だったので、後から訂正したことによりあなたは反論を198に変えたんだよね
それに対して200で反論したけどそれに対するまともな反論がこない うーんそうだな…私はビックマックとしての要素の一つでも、それはビックマックと言えると言うのが主張だね。>>227の主張はその構成要素という括りの中で、ソース以外の要素で当てはめると矛盾が生じるから、構成要素一つをビックマックと言えないのでは無いかという主張だね? ああ逆か、構成要素のソースがビックマックとは言えないのでは無いか?が主張だね。それなら言えるよ、包み紙に付いたソースが元はビックマックという認識があれば、それはビックマックと言えるよ。ソース=ビックマックでは無く、ビックマック=ソースになるからね。以上で帰るよ、楽しかった 他人に奢らせればいいだけじゃん
議論もクソもあらへん >>232
ソース以外の要素で当てはめると矛盾が発生するものを根拠にした主張は通らないよと言ってる
「ビックマックとして売られる際に、付いてくる要素(パンズ・レタス・ソース・包み紙)はビックマックと言える」という無効な前提の上に成り立つ「ソースはビックマック」という主張もまた無効 >>234
気持ちよく詭弁を放って帰るのは姑息だなぁ。
左右で成り立たない時点でイコールではないよ
まぁ趣旨を汲み取ると結局、ビッグマックの中にソースという要素が含まれているという当たり前のことしか言っていないね
「ソース=ビックマックでは無く」の時点でもう結論は出てるね。こっちも楽しかったよ、ありがとう >>239
=は成り立たないか、それなら納得ができるよ。ようやく意図が飲み込めた、勉強になったし楽しかったよ タダの定義は?なんて書いてあったのか教えろ考えてやる >>241
こちらこそありがとう。絵を描く日課がんばれよ 1逃げたか
所詮は嘘松、釣られた自分が馬鹿だったてことね 何がビッグマックをビッグマックたらしめているかについて
ビッグマック全体を構成してる部分要素(ソースやらバンズやらレタスやら)にその根拠を求めてもビッグマックの本質(不変の性質)には行きあたらない
何かが存在するとき、その何かを「その何かとして」成立させているのは、その何か全体を構成する内部要素ではなく「他の存在との関係」によってだからだ
つまり「存在する何か」の存在根拠はその内部ではなく外部にある
ビッグマックはソース抜きでもレタス抜きでも、あるいは(現実的ではなくとも論理的には)バンズ抜きでも「○○抜きの“ビッグマック”お持ちしました」と提供され得る
理論上は「ソースなしビッグマック」も「バンズなしビッグマック」も存在可能なのだ
では何がビッグマックをビッグマックとして認めさせ得るものなのか
それはバーガーメニューの体系における他のバーガーとの差異によってだ
ハンバーガーともチーズバーガーともチキンフィレオとも……とも……とも違う、ということによってビッグマックはビッグマック足り得ている
例えば数で考えてみよう
5は1を含むが、だからといって1が5に含まれてるから「1=5」であるとはいえないし、5は1を含んでいるから「5=1」ともいえない
5を5たらしめ、1を1たらしめているのは数の体系における他の数との差異によってなのであって、決して内部の構成要素によってではない
5は4でも6でも……でもないということによって5だし、1は2でも3でも……でもないということによって1足り得ている
(補足として例えば5を「自然数で、奇数で、素数で、…」と内属する性質によって定義することは「リシャール数のパラドックス」よろしく不可能なので、ある数を○○であると内部から定義するのは無理)
その存在(ビッグマック)をその存在(ビッグマック)として成立させるものは「差異の体系(バーガーメニューの体系)における他の存在(他のバーガー)との関係」によってである
「ソースなしのビッグマック」や「バンズなしのビッグマック」がそれにもかかわらずビッグマックだといえるのは
「他の諸バーガーとは違う」ということによってであって、「○○が入ってるから」というわけではない
(ただし補足として「○○が入っている」を完全に無視してよいという意味ではない、なぜなら○○が入っているとか入っていないとかが「他のバーガーとの差異」を生むからだ
しかし飽くまで本質となるのは「〇〇が入っているor入っていない」ではなく、そのことによって「他のバーガーとは違う」という点にある) これは哲学というより仏教的な話だよお金というのは
所詮概念に過ぎない自分がその気になれば
貨幣経済に縛られず物々交換や自給自足などで
貨幣を使わずご飯くらいは食べられるはずだ ビッグマックをテイクアウトしたやつから強奪する
これは究極 >>248
パラダイムを転換したつもりで方法論に仏教を引用しただけってとこだな いや仏教の般若心経の概念だな不増不減の精神だ
みんな貨幣経済に洗脳されすぎだね 貨幣経済とはペリカとなんら変わらないのよ
元締めが国から帝愛かユダヤ人かなだけ
ドルと円こそペリカと同じ関係 本来お金というものは増えも減りもしないものだ
百万だろうが1円だろうが価値は同じな 普通に書けばいいんじゃないの
無料で食べる方法はいくつあり1つ目は何々でどうする2つ目の方法何々でどうするって 社会に出たら「上司と顧客にどれだけ媚売れるか」が鍵。
こんな哲学やってもクソの役にも立たんから、どうでもええと思うけど。 無料でビッグマックを手に入れる事とビッグマックを食べる事は別に矛盾しないので出来るだろう 形而上学において、ビックマックという概念は出てこない気がするけど
哲学って、我々はなぜ神をアプリオリに経験しうるか、みたいのかと思ってたわ 人はビッグマックをタダで食べられる
ソクラテスは人である
よってソクラテスはビッグマックをタダで食べられる 法的にはビッグマックの所有者から無償でビッグマックをもらう贈与契約を結んで手に入れればただで食えると言うことになるのではないだろうか
つまらない話だが ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています