【質問】大学の哲学の課題で「ビッグマックをタダで食べることはできるか?」っての出されたんだが
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資本主義国家の崩壊を示唆するとは…
どこの大学や⁉︎ いろんな出来そうなこと上げて全部どこかで「対価を支払う事になる」ってこじつけて出来ないって答えるんでいいんじゃないのそれ ビッグマック買った人に一個下さいってお願いして貰える確率調べたらおもろいかも それ哲学か?経営側に回ってまかない扱いで食べるとか、別企業だとしてもケータリングで経費で落とせばタダで食べれるんじゃないの? 哲学なのか?哲学ってなるとそもそもタダの定義が解らなくなりそう
タダってなんのことを指してるの? 哲学の講義だろ?
まずビックマックは何か、タダで食べるとは何かを定義しろ 上手く答えられないようであれば
『タダ』の定義がどうこう言って有耶無耶にしろ 採取した適当な山菜とか虫とかに自分でビッグマックと名付けて食えば良いのでは? まず「ビッグマックとはなんなのか?」
次に「タダとはなんなのか?」
最後に「食べるとは何なのか?」
合わせて「ビッグマックをタダで食べるとは何だったのか」を真面目に考察すれば「この意味では可能」が存在しうるかどうか議論できる
哲学って本質が何かを論じる学問だから本質の定義問題ってのはあってるよ 哲学って毎回言葉の意味定義する必要あるの?
めんどくさ ある見方ではビッグマックの本質ってあのカロリー摂取できるパンと肉とレタスとソースの塊のことじゃん
マクドナルドの店舗でしか手に入らないあの商品がビッグマックの本質である必要性はないよね >>40
個々が想像してる定義が曖昧でブレッブレだから
定義を決める必要があるんじゃなくて定義とはどれの事なのかそれはなぜなのかを論じるのが哲学やぞ >>40
共通の価値観を定義しないと成り立たないので 空想でマクドナルドのビックマックを食べたことにしても食べましたって言っていいなら一番簡単だよね >>41
自分で作るにしても材料費が発生しタダではなくなる
では材料費を無くそうということで牛を飼育したりレタス栽培したりするにしても費用が発生する
つまりタダで食べることは不可能 哲学の課題ってなるとメンドくせぇな
「できない。私は対価を惜しむ不公平な人間ではないからだ」とでも答えておけば……? 哲学の話じゃないけど都合悪くなると言葉の定義を求めてきて全然話が進まない奴うぜぇわ これは「可能です」って答えさせてその証明として回答者から出題者にビッグマックを奢らせる作戦だから
「不可能です」って答えてその反証として出題者から回答者にビッグマックを奢らせるのが良いよ
単位はもらえないかもしれないけど >>48
はい「タダとはなんなのか」
貨幣のやり取りが発生しないものは何でもタダであると考えた瞬間お前のはタダになる
少しでも体を動かす労力が発生するとタダではなくなるなら食べる行為そのものによってすべてがタダでなくなる可能性がある
でも2番目の「タダではない」はお前が主張しようとしてる「タダではない」と違うよねきっと?
何が違うんでしょう >>55
そのとおりなんだよなあ
あらゆる定義で考えてもタダで食べるのは不可能な気がする >>49
いや面白いだろ
物事の本質を何だと考えるかを論理が破綻さえしてなければどう考えてもいいんだぞ 「試したら出来ました」って言ったら終わっちゃう話じゃね 論理が破綻してなければいいのではあれば
今この瞬間に俺の胃の中に突然だけどビックマックが現れる可能性を否定することはできないんだからタダで食えることも否定できないんじゃね 「どうやったらタダで食べられるか」じゃなら即物的で楽なんだけどな >>54
いや帰納法は面白いアプローチかもよ
不可能である例を一つ否定しその例を限りなく一般化すれば一般の場合に可能なわけだ >>60
ああいんじゃね?
多分支持はされないけど >>63
だって上の方で「食べるということ自体が労力であり、労力を払う時点でタダではない」みたいなレス見たから… タダの定義って難しいよな
一般的に使われる定義の範囲で考えても
自分の懐が痛まないという意味と誰も対価を支払わないという意味の二つがある 「タダ」の意味が金払わずにということであれば可能
如何なるコストも払わずにということであれば不可能 大学って哲学専門でやったりすんの?哲学楽しそうだな
答えはないんだろ? >>60
しかし胃の中に突然現れたことが食べたと言っていいのだろうか?
手に取って噛んで飲み込んだり味わったりという体験が食べると言うことでは無いだろうか?
とかごねることも出来そう その辺の雑草をビックマックと名付ければいくらでも食える >>73
結論じゃなくどうしてそう考えたかの方が遥かに重要な学問だからな
ちなみに俺は自分で言っといてなんだけどごく無茶苦茶な「可能」な例を帰納法的アプローチでどこまで一般化できるかをレポートで持ってきたら即単位やるわ
面白い >>60
ここまで来るとなんでもありじゃねぇかってなるけどたしかに完全否定はできないわな
やっぱ哲学ってクソだわ >>76
可能な例のほうが面白い?
俺はどうしても不可能な例が出てきてしまうわ ネガティブな人間ほど不可能な場合を考えちゃうのかね
哲学おもろいな頭おかしくなりそうだが 株主になって優待券を使えばタダで食えると書いたらバツ食らいそう AIに哲学の問題ですと前置きしての答えさせた
可能でも不可能でもない。ビックマックをタダで食べることは、定義や視点によって異なる。例えば、「タダ」という言葉は何を意味するのか?お金を払わないだけでタダと言えるのか?それとも時間や労力や健康などの代償も考慮しなければならないのか?また、「食べる」という行為はどこまで含むのか?口に入れて噛むだけで食べたことになるのか?それとも消化や栄養吸収も必要なのか?さらに、「ビックマック」という商品は何を指すのか?マクドナルドが提供するハンバーガーだけなのか?それとも同じような形や味のものも含むのか?これらの問いによって答えは変わってくるので、一概に可能でも不可能でもないと言える。
つまり定義によって可能でもあるし不可能でもあるわけ? >>78
なんでもいいんだって
「これを成功と定義する」からスタートすればいいだけだから
その方法を一般化してどれだけ市民生活の価値観に近づけるか試すのってすげえ面白いアプローチだと思うけど >>82
単位あげるとか言ってたけど教授か何か?
哲学学びに行っても仕事に役に立つとかそんな事はないだろうけど人生楽しめそうだから興味あるわ >>83
世の中ビジネスやってる奴らが仕事失敗する点の6割が哲学力の欠如やぞ
今自分は何やってるのかそれはなぜなのかを都度考えてないから無駄ばかり発生する
実力不足よりも重篤な問題なのに企業はまるで気づいてない
哲学はどんな仕事でも役に立つよ 結論ありきでその結論に持っていく文を考える学問なのか 答えは不可能だろ、ビックマックを食べるには噛むことも必要だし飲み込む事も必ず必要、つまり何も払わずに食べることは不可能になる >>84
逆に価値観が違うから棲み分け出来るのではないだろうか >>86
仕事とかどうでもいいからこういうことばっか考えてたいわ
でも仕事しないと生きてこういうこと考えることもできなくなるな
仕事はぶっちゃけ何でもいいと思ってるからそこら辺は俺は興味ないかな…… ビックマックがハンバーガーの部分のみを指すとしたら、捨てられた包み紙に付いているビックマックのソースを舐めれば食べた事になる。お金を使わない事がタダだと定義すれば、紙幣を払わずに食べられるからタダで食べられるとなる >>94
現実は人間又は神が創り出した幻想
本来は存在しない >>92
いやちゃうぞ
結論に至るプロセスが重要で結論そのものが特別重要ではないってだけだぞ
スタートから一歩づつ行くのもアプローチの方法として全然アリだろ なんかこういう課題、「米びつに入った数万粒の米を家中にばら撒いたので全部回収してください」って感じで嫌だわ
嫌がらせだろ >>97
すげえ悪い言い方だけどこれ別に間違ってないのよね
ある見方では認めざるを得ない屁理屈の場合それは哲学になるわけだし
支持されるかどうかは別だけど やらなくていい事に無駄にリソース割かれてる感が半端ない >>96
それはあくまでビックマックのソースであってビックマックではないんじゃないのか?
人間の髪の毛だけを指してこれは人間ですとはならんし こういう課題作る奴って核兵器とかで人類滅亡するの望んでそう 契約書を結ぶ時とか割とこういう屁理屈力みたいなの大事だと思うわ >>106
髪の毛なくても人間
そもそも人間はどこまでを指すのかね
ってのは普段考えるけど分からんな 定義によって、出来る出来ないが決まるだろ?
その次は、ではタダで食べる事ができるビックマックの境界とは何か?とかタダの境界は何によって決まるのか?とかに発展するんだよ
それによって本質を探るのが目的 >>48
生きるには金がかかる
食べる為には生きている必要がかかる
つまりタダで買うのは不可能にならね? 人生の価値感が毛髪で決まってるハゲにとっては髪の毛こそ人間なんじゃね? 人生の価値感が毛髪で決まってるハゲにとっては髪の毛こそ人間なんじゃね? >>105
ソースとビックマックを別に見るならね、でもソースが無いビックマックはビックマックと言えるのか? はっきりとした境目なんてなくてすべてはグラデーションがあるから定義しようとしてもどんどん小さな世界になって定義しようがない気もするけど >>116
たしかにね
ビックマックはソースありきだ でもビックマックは完成された料理のことを指すのでは?
調味料だけでビックマックですは無理があるんじゃないかな >>116
あ〜これは凄い面白いアプローチだな
それが存在しないとそれとは言えない要素「のみ」を本質と考えるワケだ 紙幣を払わないでただっていうのも定義として狭すぎないか?哲学って狭い定義をしてもいいの? >>119
食べるときには一部を齧りとって食べるのが大多数だろ?つまり完成した料理を不完全にして食べてる訳だ。ならソースだけでも食べてるのと同じじゃ無いかな >>116
パティやバンズがないビッグマックはビッグマックと言えるのかな? >>121
逆にどこまで「タダ」を広げられるかを論じるのも面白いだろ?
これ徹底的にやってきたらこれだけで2単位だわ >>122
大多数はバンズやレタスも一緒に食べるよね
1枚ずつ食べる人はいるかもしれないけど少なくともソースだけ舐めるのは少数派じゃないかな >>117
まあ一要素になるとは限らないし乱数があるかもしれないが、どちらなのかがはっきり分けられるのならば境界線は存在する
追求を途中でやめるから境界が曖昧なだけなんだよね バンズだけ食べてレタス食べてパティ食べて具材を一つ一つ食べたとしても最終的にはビックマックを食べた事にはなる
でもソースだけ食べたならそうはならない >>125
俺ならさ
つまり「それならば丸ごと食う食品と齧って食う食品は本質的に違う」って方向に進むね
次に論じたいのは「じゃあ齧って食う食品の全体もしくは残された部分って何に当たるのか」だ >>124
ビックマックを食べるって行為がある時点でタダは無理な気がするんだよな
説明が難しいけどそれを説明するのが哲学か? >>132
「どんな意味で」を明確にする
そしてそれが論理的かどうか >>125
少数派でもあり得ない訳では無いだろう?ソースを先に舐めれば、その人はビックマックを食べた事になるんじゃないかな?他のパンズやレタスでもいい、どれか一つだけでもビックマックから齧って飲み込めば、それは食べたと言えるんじゃないかな >>131
本質的には確かに違うね
ビックマックは重なっててバラせるけどるだけだけどチョコレートとかは混ざり合ってて一つだもんな 講義聞いてねーからそうなんだろ
単位だけもらおうとすんじゃねーよ >>136
ソースだけ舐めて他のものを口にしなかったらソースを食べただけじゃないの?
ソースもビックマックの必要な要素の一つだけどソースだけではビックマックにはならない >>136
ビッグマックのソースを他の食い物につけてそのソースをなめたらビッグマックを食ったと言えるのか? >>133
食べるって行為を行う時点で誰かが行ってたけどエネルギー使ってるわけだしなにかを使ってるのは確かだし無理なんじゃね そもそもビックマックがそこにあるだけでそれはタダではないんじゃないの? 完全な無からビックマックを錬成できるならタダかもしれないけど 1ドル140円で100ドルと交換します(14000円)
アメリカのマクドナルドでビックマックを5ドルで買います
1ドル150円で95ドルを日本円に交換します(14250円)
タダでビックマックが食べられて250円と得します 意味わからんわ
ソースが足りてないビッグマックは「ソースが足りてないビッグマック」なんだからそれはビッグマックだろ
半分齧られたビッグマックだって「半分になったビッグマック」なんだからビッグマックだろ
完全なものでなければビッグマックではないというのも無理がある >>142
「タダで」と言う言葉の守備範囲が広すぎるな >>141
言えない理由を明確にしてみ?
ビッグマックをビッグマックたらしめているのはソースである、なぜならソースが存在しないとビッグマックという商品構成が成立しないから
即ち商品を商品たらしめる要素を本質と定義すればビッグマックとはソースのことである
という意味では立派な論理で成立しちゃうよ
「常識的に考えて」とか無駄な思い込みは捨てろってそりゃ哲学じゃねえから >>139
ビックマックは一つの完成された料理とする。ビックマックを食べたとなるのは、その完成された要素全てを飲み込む事で成り立つという考えだよな? タダも同然はありうるかもしれないけど完全なタダなんて存在しねえだろ!そんな気がする!哲学難しいな >>151
そう思ってたけど>>146読んで変わった
ソース抜きビックマックもビックマックではある >>151
「売り物」をビッグマックと定義しない場合は途端に貨幣のやり取りなしで食う方法が発生するぞ? でもどこまでをビックマックとするのか?
少なくともソースのみではビックマックではないと俺は言いたいけど説明が難しいわ ビックマックの定義むずすぎるなwww
でもやっぱり俺はタダの定義にずっと引っかかるわ >>155
それは正解でもないし間違いでもないんだよ
肩の力抜いて例えば逆の立場に立って考えてみ?
お前が本気だして考えたらどう考えれば「ビッグマックとはソースのことである」を成立させられるか >>156
確かにとは思ったけど哲学っぽくはない気がする
何学?数学?経済? >>151
ビックマックの原材料はハンバーガー2個とレタスだけだからそれを食べればビックマックになりますか? ビックマックの定義は、ビックマックとして売られた食べ物のことを指すんじゃないかな?つまり売られた後に捨てられる、包み紙に付いたソースもビックマックと言えないかな >>161
はい「食べ物である状態」とはどこまでのことを言うか >>158
ビックマックを頼む際ソース以外すべて抜きと頼んでもビックマックとして販売され購入することに変わりはない
つまりビックマックはソースである >>156
ビッグマックと5ドルを交換している時点でタダではなくない ただってのは料金を払うことなくという意味も含まれてるから働いて賄で貰えばただだよ どういう結論に持っていきたいんや?
○○はビッグマックをタダで食べることに等しい とかか? >>161
でもビックマックタダで食わせてやるよと言われて
包み紙に付いたソースの方だけ渡されたらお前怒るだろ? >>165-166
はい「貨幣のやり取りが発生しないこと=タダなのか?」 >>169
そのように使われている場面も確かに存在するからただってのは金銭の取引が発生しないって状況も含有してんじゃないの? >>171
ハンパな疑問返すんじゃなくてお前が論理で規定してみせろよ
↑哲学ってのはこういう学問です >>162
ハンバーガーとされるパンズ・レタス・ソースの部分が「食べ物」だな、でもビックマックと考えると買う際に渡されるのはパンズ・レタス・ソース・包み紙だよな?つまり食べられたとしても、包み紙やソースが残っていればまだビックマックは残っていると言える。その残ったソースを舐めれば、ビックマックを食べたことに成るんじゃ無いかな めっちゃ伸びるじゃん
てかおまえら聞いてくれ
今生卵シャーベット状なってたからちょっと食ってみたらさ
ちょっと美味しかった >>159
昔は数学者が哲学者やったりしてたしな
ライプニッツとかな
>>164
日本円で払ってない
はい論破 ビックマックの一部を食べたからと言ってビックマックを食べたことになるんだろうか
じゃあ髪の毛を一本食べたら人間を食べたことになるんですかね >>177
成るんじゃ無いかな、だって俺等は魚の頭や骨、内臓の一部を除いた部分を食べても魚を食べたと言うだろ?それと同じで一部だけでも食べたことに成るんじゃないかな? >>172
つまり局所的な自分の考えた一般には受け入れられないであろう定義を作ってそれを利用して論じろってこと?
ただのパズルゲームじゃん >>149
ソースをバンズに変えてみよう。ビッグマックとはバンズのことである
同じようにテリヤキチキンバーガーとはバンズのことなので、ビッグマック=テリヤキチキンバーガーとなり矛盾する。
よって「即ち商品を商品たらしめる要素を本質と定義」するのは間違い。 >>180
ではテリヤキバーガーのパンズをソースと置き換えてみる。するとテリヤキソースはビックマックのソースと違うのでテリヤキ=ビックマックは成立しなくなる。よってパンズでは無くソースが本質の一つと言えるんじゃないかな? 哲学の課題だとしたら哲学を馬鹿にしすぎだろ
つまんなすぎる >>178
なるほど
じゃあ魚に振ってある塩をペロっと舐めたら魚を食べたことになる? 目の前に存在する物がビッグマックか否かを判断する基準
これは定義付けできない
観測者によって基準が異なるから
例えばマクドナルドの商品を一切知らない人なら完成品のビッグマックを見せられてもそれをビッグマックだとは認識できない
逆にマクドナルドのクルーなどの詳しい人であればパティのみを見ただけでビッグマックだと認識できる
そのパティがビッグマック専用のものだと判断できる可能性があるから >>183
"魚に付いている"か、"魚に付いていた"のを知っていたのならば食べたと言えるんじゃないかな? 暇な高校生の雑談みたいな内容だな、セトウツミとかでありそう >>184
仮にパティがビッグマック専用のものだとして
パティ以外が異なった場合にそれをビッグマックと呼ぶかどうか、だな ビッグマックはわかんないけどビッグコックなら俺の股間にあるよ >>184
私は>>161,173をビックマックの定義だと考えてるよ >>181
ある事象で矛盾が発生している時点で"商品を商品たらしめる要素を本質と定義"することはできない、すなわち「ビッグマックをビッグマックたらしめているのはソースである」を根拠に「ソースはハンバーガーである」と主張するのは無効
ビッグマックの本質の一つというのはビッグマックの要素の一つと同義では? >>186
なるほど
知っていたかそうでないかが分かれ道になるのか
>>184の結論になるのかな >>191
ビックマック=ソースとなるならハンバーガー=ソースであるは成立するのか?答えはNOである、ビックマック=ソースであって、ハンバーガー=ソースとは私は考えていない。ビックマックorテリヤキバーガーなどの商品の本質がソースでは無いかな つまりビックマックとして売られる際に、付いてくる要素(パンズ・レタス・ソース・包み紙)はビックマックと言える、ならば包み紙・ソースもビックマックでは無いかな?というのが私の主張だよ >>193
すまん間違えてビッグマックをハンバーガーと書いたわ
「ビッグマックをビッグマックたらしめているのはソースである」を根拠に「ソースはビッグマックである」と主張するのは無効
理由は上に書いた通り 誰かができるといえば可能であり誰もできないと答えるならそれはできない
少なくとも自分に作れないものに対して人は他人任せにならざるを得ない >>194
それが組み合わさった状態ならビッグマックだけど、バラバラになった時点でビッグマックではなくなるのでは
家が解体されたらもう家じゃなくただの木の板と棒になるみたいな感じで >>195
一応>>194の主張で言うと、ソース=ビックマックも成立するんじゃ無いかな? >>197
だけど崩壊した木の板や棒の山を、私の家だったと言う人は居るだろう?つまり崩れる前か何であったかを知っていれば、崩れてもそれは崩れた家であり、何も知らない人から見ればそれは棒と板の山な訳だ。元が何なのか知っていれば、それをビックマックと言えるんじゃないかな? >>198
「付いてくる要素(パンズ・レタス・ソース・包み紙)はビックマックと言える」の論拠も結局は"商品を商品たらしめる要素を本質と定義すること"なので無効 支給されるパターンで食べれる
それをただじゃないとか言い出したらわけわからんことになる >>199
「私の家だった」と過去形で言っているけど、それってつまり「かつては家だったけど今はもう家とは呼べない」という意味なのではないかと思う >>197
組み合わさっていることとそれがビッグマックであることとは直接関係ないかもしれない
ビッグマックにしか使われない具材を認識した時点でそれは他のバーガーにはなりえない
家が解体されていて既に家の形をしていなくても、俺の家に使われていた木材だという確固たる認識ができるのであればその木材は俺の家だろう
じゃあビッグマックにしか使われない具材だけの状態で客に出していいのか?っていうとそれはやっぱり常識考えろや
って話になってしまうけど >>201
奢ってもらえる関係性を構築するためにかかったコストはタダと言えるのか論争が始まりそう まずはどこまでのことをタダと言うのかを定義付けしないとな ソースだけ舐めてビッグマックを食べたと定義するのも哲学の論理ではアリか
方法論的な思考を求めるなら出題者側で
「ビッグマックとはマクドナルド社が定めたレシピに則って諸構成要素を組み合わせた総体
およびその総体をなるべく保った形で食用に適した形に切り分けたものとする」みたいに定義しておかなきゃならないんだな >>200
何故無効になるのかな?商品を商品足らしめる要素が本質ならば無効になるのが分からないね そもそもハンバーガー=ビックマックでは無くて、ビックマック=ハンバーガーな訳だ、ならばビックマック=ソースでもそれはビックマックと呼べるんじゃないかな >>203
本人の視点では、崩れた家という状態になっているんだから、崩れていても家ではあるんじゃないかな >>210
それはイコールじゃなくて集合で定義すべき概念だと思う そろそろ飽きたから去るよ、後は好きなように議論して >>208
180で"商品を商品たらしめる要素を本質と定義"することは無効だと示した
無効なものを論拠にした主張は成り立たない >>214
一応言っておくと、商品を商品足らしめる要素という枠では無く、ソースが本質だと主張している。ソース以外も含まれる商品を商品足らしめる要素では無く、ソースを本質として主張している。ではサラバダー >>212
そうか、つまりこう言いたいんだよ私は
>>218
ハンバーガーとビックマックの包含関係は一般的な定義に照らし合わせると逆だと思うけど言いたいことはわかった >>216
「ビックマックとして売られる際に、付いてくる要素(パンズ・レタス・ソース・包み紙)はビックマックと言える」
この前提が間違っているんだからこれを根拠にする主張が成り立たないのは明白だね >>217
住めないとしても、本人の視点ではそれは家ではあるんじゃないかな?ただ状態が違い、崩壊してるだけ >>220
間違えてる根拠となる論理が無い様に見えるんだけど…
私は去るよ、絵を描く日課をしなければ >>223
反論はしたよ、それに対する論は返ってきていないけどね >>221
本人の視点では家"だったもの"であり家ではない
これは199で既に自明となってる お互い自分の定義をぶつけあうだけで終わったからねえ >>225
まあそうだね、これに関しては私の例えが間違っているよ。 >>227
それに対する反論もしてるんだけどね、もう止めようか。どちらも正しいと思う論ならどちらも何かしら間違えてるんだろ、折衝案を考えるべきだ >>229
それは193のこと?もしそうなら俺の記入ミスに対する反論だったので、後から訂正したことによりあなたは反論を198に変えたんだよね
それに対して200で反論したけどそれに対するまともな反論がこない うーんそうだな…私はビックマックとしての要素の一つでも、それはビックマックと言えると言うのが主張だね。>>227の主張はその構成要素という括りの中で、ソース以外の要素で当てはめると矛盾が生じるから、構成要素一つをビックマックと言えないのでは無いかという主張だね? ああ逆か、構成要素のソースがビックマックとは言えないのでは無いか?が主張だね。それなら言えるよ、包み紙に付いたソースが元はビックマックという認識があれば、それはビックマックと言えるよ。ソース=ビックマックでは無く、ビックマック=ソースになるからね。以上で帰るよ、楽しかった 他人に奢らせればいいだけじゃん
議論もクソもあらへん >>232
ソース以外の要素で当てはめると矛盾が発生するものを根拠にした主張は通らないよと言ってる
「ビックマックとして売られる際に、付いてくる要素(パンズ・レタス・ソース・包み紙)はビックマックと言える」という無効な前提の上に成り立つ「ソースはビックマック」という主張もまた無効 >>234
気持ちよく詭弁を放って帰るのは姑息だなぁ。
左右で成り立たない時点でイコールではないよ
まぁ趣旨を汲み取ると結局、ビッグマックの中にソースという要素が含まれているという当たり前のことしか言っていないね
「ソース=ビックマックでは無く」の時点でもう結論は出てるね。こっちも楽しかったよ、ありがとう >>239
=は成り立たないか、それなら納得ができるよ。ようやく意図が飲み込めた、勉強になったし楽しかったよ タダの定義は?なんて書いてあったのか教えろ考えてやる >>241
こちらこそありがとう。絵を描く日課がんばれよ 1逃げたか
所詮は嘘松、釣られた自分が馬鹿だったてことね 何がビッグマックをビッグマックたらしめているかについて
ビッグマック全体を構成してる部分要素(ソースやらバンズやらレタスやら)にその根拠を求めてもビッグマックの本質(不変の性質)には行きあたらない
何かが存在するとき、その何かを「その何かとして」成立させているのは、その何か全体を構成する内部要素ではなく「他の存在との関係」によってだからだ
つまり「存在する何か」の存在根拠はその内部ではなく外部にある
ビッグマックはソース抜きでもレタス抜きでも、あるいは(現実的ではなくとも論理的には)バンズ抜きでも「○○抜きの“ビッグマック”お持ちしました」と提供され得る
理論上は「ソースなしビッグマック」も「バンズなしビッグマック」も存在可能なのだ
では何がビッグマックをビッグマックとして認めさせ得るものなのか
それはバーガーメニューの体系における他のバーガーとの差異によってだ
ハンバーガーともチーズバーガーともチキンフィレオとも……とも……とも違う、ということによってビッグマックはビッグマック足り得ている
例えば数で考えてみよう
5は1を含むが、だからといって1が5に含まれてるから「1=5」であるとはいえないし、5は1を含んでいるから「5=1」ともいえない
5を5たらしめ、1を1たらしめているのは数の体系における他の数との差異によってなのであって、決して内部の構成要素によってではない
5は4でも6でも……でもないということによって5だし、1は2でも3でも……でもないということによって1足り得ている
(補足として例えば5を「自然数で、奇数で、素数で、…」と内属する性質によって定義することは「リシャール数のパラドックス」よろしく不可能なので、ある数を○○であると内部から定義するのは無理)
その存在(ビッグマック)をその存在(ビッグマック)として成立させるものは「差異の体系(バーガーメニューの体系)における他の存在(他のバーガー)との関係」によってである
「ソースなしのビッグマック」や「バンズなしのビッグマック」がそれにもかかわらずビッグマックだといえるのは
「他の諸バーガーとは違う」ということによってであって、「○○が入ってるから」というわけではない
(ただし補足として「○○が入っている」を完全に無視してよいという意味ではない、なぜなら○○が入っているとか入っていないとかが「他のバーガーとの差異」を生むからだ
しかし飽くまで本質となるのは「〇〇が入っているor入っていない」ではなく、そのことによって「他のバーガーとは違う」という点にある) これは哲学というより仏教的な話だよお金というのは
所詮概念に過ぎない自分がその気になれば
貨幣経済に縛られず物々交換や自給自足などで
貨幣を使わずご飯くらいは食べられるはずだ ビッグマックをテイクアウトしたやつから強奪する
これは究極 >>248
パラダイムを転換したつもりで方法論に仏教を引用しただけってとこだな いや仏教の般若心経の概念だな不増不減の精神だ
みんな貨幣経済に洗脳されすぎだね 貨幣経済とはペリカとなんら変わらないのよ
元締めが国から帝愛かユダヤ人かなだけ
ドルと円こそペリカと同じ関係 本来お金というものは増えも減りもしないものだ
百万だろうが1円だろうが価値は同じな 普通に書けばいいんじゃないの
無料で食べる方法はいくつあり1つ目は何々でどうする2つ目の方法何々でどうするって 社会に出たら「上司と顧客にどれだけ媚売れるか」が鍵。
こんな哲学やってもクソの役にも立たんから、どうでもええと思うけど。 無料でビッグマックを手に入れる事とビッグマックを食べる事は別に矛盾しないので出来るだろう 形而上学において、ビックマックという概念は出てこない気がするけど
哲学って、我々はなぜ神をアプリオリに経験しうるか、みたいのかと思ってたわ 人はビッグマックをタダで食べられる
ソクラテスは人である
よってソクラテスはビッグマックをタダで食べられる 法的にはビッグマックの所有者から無償でビッグマックをもらう贈与契約を結んで手に入れればただで食えると言うことになるのではないだろうか
つまらない話だが ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています