説明できないってそんなに駄目なことか?
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好きな作品の面白さとか手癖で書いた小説の言葉の意味とか どんなことでも「突き詰めて考える」のは大事だろ
半端なやつが1番嫌われるし、役に立たない >>3
考え続けることは大事かもな
でも説明できなくても直感でつかんでる場合もありそうじゃん 言語化する能力がないってことじゃん
無能は死ね この世の常識です ビートたけしが映画の会見で記者に「この作品を一言で言うと?」って言われて
「一言で言えないから映画にしたんです」って答えてた 意味無いのであれば
それは特に意味はないって言うしかないだろう >>13
むしろ簡単に言語化できる奴ってテキトーにやってるんじゃない? 説明できない←かっこわるい
言葉にできない←かっこいい 説明するには言葉が足りないという褒め言葉もあるしまあ 言葉にしようと考え続けることは大事なことだけど説明できないからと言って何も感じてない訳じゃない
お前らも本当はなんとなくわかってることじゃね? それは説明できなくていいんだよ
説明しないと伝わらないだけで
金にしたい、してあげたい、良い作品だから広めたいと思わなければいいだけ
自分の価値観を認めてほしい
なぜ認めてくれないって話をしている
理由は他人も自分と同じで、基本は自分の価値観を認めてほしいと思っているため。
お前が俺に合わせろが無数に存在するのが社会だ。もし、無償で認めてくれる人がいたらその人は自分よりレベル上だからね。 >>16
正確に全部は伝えられんが言葉には出来るでしょ 口のまわりにご飯粒つけててお前なんか食っただろ、て言われて説明できないって言ってんだぞ?
口モゴモゴさせて知らないって言ってんだよ。アホとしか思えん。 >>20
哲学などの論理部門では説明して納得させれない事は無価値のようなものだからな
素晴らしい論理を思い付いたとしてそれをどれだけ多くの人に説明して納得して貰い広めるかが哲学の根本
説明しないとか理解してもらう必要が無いというのはもはや無価値である上にとんでもない自惚れだね 言葉で全てを表すことは出来ないが人間は共感を得ることで興味を持つ生き物だ
その共感をさせるため同じイメージを体感させるのが説明だったりする その物事について説明できないってことは
その物事を理解していないからだってばあちゃんが言ってた >>31
哲学者は考え続けた論理を人々に伝えるんだよ
それを伝えて納得してもらうためにひたすら人前で喋り続ける
現在で言えばひたすら自分の考えた論理を講義し続けるようなもの 行動のルールが自分にあるやつはなぜか言語化を嫌うんだよな。抽象的でいたいと思うようになる。数字に置き換えたりするのもなぜか嫌になる。
興味の対象が自分だから社会でなかなかうまくいかない。クリエイターに多い。 >>34
そっかわかった
社会的な人は何か公の共通ルールに則っていた方が都合がいいわけでそれが言語なのか >>35
価値を決めるのが周りだから説明して納得させる必要性があるだけだよ
君が哲学者で素晴らしい論理を思い付いたとしてその論理が素晴らしい論理であるか価値がある論理かそれを決めるのは周りの第三者である
誰も理解できない論理にどうやって価値が付くのか???そんなものが広がるのか?未来に残るのか? でもわからない
なんで言語化できないものを認めないんだろう それは、すでに歴史の中で誰かに
言語化されてるかもしれん
まあそれは
全ての文献を、読みあさらないと分からないから
悪魔の証明に近いが
そして、すでに知ってる人には、それは目新しくない
とか言われる >>35
例えばペットの犬が素晴らしい論理学を身に着けたとしよう
説明が出来ない彼は人になにも伝えることが出来ないんだ
悲しい事に彼は誰からも評価されなう
言葉が扱えたなら世界に認めてもらう事が出来たかもしれない
彼は説明が出来ないだけで正当な評価をされない
しかし、彼だけはをその論理素晴らしさを理解している >>38
自己完結してるなら他人に伝えて認めてもらう必要はないけど
他人に認めてほしいなら考えや想いを伝えないといけない
どうやって伝えるかは、もちろん言葉でだ
説明なんかしなくても共感してくれる人も中にはいるだろうけど、してくれない人だっている
人気作品なんかだとむしろ共感してくれる人の方が多いんじゃないか >>36
賢い猫に見えてきた
一応真理にはたどり着いてるな 言語化出来ないものを認めないのでわなく
言語化出来ない知能なんやなって察したらこいつに言語で話すのやめよってなるだけなんやで >>38
その考え方は日本人のクリエイターの考え方なんだよな
見たままを感じてほしい
古い世代に特に多く、説明を嫌う
集団主義の日本文化で発生しやすい価値観だと思う
本読んでも何も変わらないところだよね 説明できないと社会?では理解されないことはわかったけど
でも説明できなかったことに対しての切り捨て具合きつすぎね?
「説明できないのかじゃあそんな論は存在しないね」とはなっても「そんな考え方もあるのか」とはなかなかならん 西洋文化=個人主義
そちらの社会は陸続きで、他の民族と共生してきたから論理的なんだそうだ
お互いが相手を知らない前提で言葉を組み立てる
東アジアの集団主義では同じ文化的背景を持った前提で、衝突しないことを優先した会話をする。主語がなかったり、相手の言葉の意味がわからなくてもそのままスルーして、なんとなくお茶を濁して会話をすすめる。
そういう社会で感じたままに生きる選択をした感性寄りの人物は、これはこうである、と言葉を具体化することに心理的圧迫を受けるんじゃないかな。
クリエイターって特定のことを黙々とこなすのが好きな人たちだから。他の人と交わるのに何か心理的な圧迫があるんじゃないかな。 >>45
「説明できなくても考えてること伝われ」って言いたいんじゃないんだが
しいて言えば「説明できなくても何か感じてるかもしれないこと伝われ」? >>48
さすがに西洋でも説明がしっかりしてないから何も考えてないとはならないんじゃね? 芸術分野なら何か伝われば抽象的な説明だけでOKなことありそうだね
ただ素晴らしい演出とか多くの評価を得たいなら具体的で故意的な説明があった方が一般人にも理解できるから
絶賛票は増えるだろうね >>47
それはおまえが俺に合わせろ、なので、
現代人は時間に追われているから無駄にコストかけさせる人間を嫌うし、
ロジカルであることを頭が良いと教えてきた日本の教育やメディアの影響で、言語化できない人を馬鹿と判断しやすかったり、
そもそも本人が説明できないことを、おまえが汲み取ってくれといわれる無駄加減が半端なさすぎだからどうにもならなそう
偉くなるしかない >>51
上にもあったけどこの映画を一言で言い表すなら?に実際に一言で答えられた方が理解されやすいよな多分 なぜ言葉で説明出来ないのに言葉で説明し続けるのか俺にはわからん >>47
>じゃあそんな論は存在しないね
説明できないからといってそれが「存在しない」ことの証明にはならないけれど存在することも証明できてないのは事実なんだよ
説明されてない以上はエスパーでもない限り「そんな考えもあるのか」とはならない
>>10の「ていうかいい作品ほど説明難しくて困る」には同意できるけど難しいからって言語化する努力を放棄していいわけじゃないし
多分そういう作品については君もずっと「自分はなぜあの作品がこんなに好きなのか」って反芻しながら考え続けてるでしょ?
考え続けてたら、いつかふと言語化できてしまう瞬間が訪れたりするよ でも複雑な作品ほど一言で表すとズレるんだろうな
多面的だろうし >>50
説明が難解であることには寛容だけど、説明になってないことを評価することはないと思うな
アカデミー賞に比べ、カンヌは分かりにくいものを評価する傾向がある
現代アートの評価基準は結局複雑だけど文脈なんだよね。なぜそれがここにあるか?を問われる。これも西洋ルールなんだけど。
たぶん日本のルールってないんだよな
あるのかな?なんとなくを、なんとなく評価する世界
日本にあるルールは海外から持ち込まれたものばかり
原産地呼称やミシュランのガストロノミーとか >>1は言語化以外の別の手段を早く見せるべき
言語化以外でコミュニケーションがとれるならそれでいいのだから >>54
映画は公にされていなくてもテーマ決まっているから一言ならそれを言って終わりな気がするけどね
ただ演出やカットシーンには基本的に何かしらの意味があるからね
気になる人はこの時のこの演出にはどういう意図があったのか?このカットシーンをわざわざ入れたのは何なのか?ってなっちゃうよね >>57
それは当然だよ
だから百聞は一見にしかずって言うんだ >>53
それは自分が付き合ってる人たちのレベル低いだけじゃね? >>55
言語化できないものはあっても>>56の言う通り言語化の努力を放棄していいわけじゃないからだよ >>56
何か感じてることがあるかもしれない可能性まで皆無にするのは違うだろ 結局>>23でしょ
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