討論の勝敗が決定されてわかることは、「実際にどっちが勝ったか」ではなく、
「審査員や観客がどっちを勝ったと判定したか」だけ
正しいことと勝敗は別で、どっちが正しいかわかったとしても、わかることは「どっちが勝ったか」ではなく、「どっちが正しいか」
議論なんか、何をもって「どっちが優勢」と判断するのか
仮に判断できるとしても、審査員や観客がそれを正確に判断できるのか。
仮に審査員や観客が、完全に「感情」や「自分のあらゆるバイアス」を取っ払って
純粋にロジックの優劣だけを評価できる超人だったとしても、わかることは
「ロジックの優劣」であって、勝敗ではない
議論にどうやって勝敗をつけるのか
討論は、そもそも勝敗をつけるのが不可能である議論に無理矢理勝敗をつける娯楽で、楽しいならやればいいが、会議や議論は勝つことを目的にしてるんじゃなく、
「みんなで意見交換しながら最良の方法なりなんなりを見つけ出す」ためにやる
それに討論の勝負のノリを持ち込むと、間違っているのに言い返したり言い張ったりするのにつながりやすく、議論の機能が潰れやすい
間違ってるのに何でも言い返す、言い張るという態度は互いを不幸にする
間違いを軌道修正して防げるかもしれないのに話し合いを潰して、むざむざ
悪い結果を招く上に、せっかく話し合いで穏便に不幸を防ぎたい相手を追い詰めて、怒ったり攻撃したり離縁したり復讐したりするしかないとこまで追い込む
自分も復讐されて何もいいことがない