スポーツ選手は基本的に「臨機応変に動けるタイプ」「再現性が高いタイプ」に大別されるそうな
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その両者は訓練の意味合いがかなり変わるそうでな
臨機応変に動けるタイプは「基礎はガチガチにかためて後はぶっつけ本場」が真骨頂になるし
再現性が高いタイプは「マグレが出るまで反復練習、マグレが出たらそれを再現」もしくは「達人を模倣させる」が真骨頂になる だから臨機応変に動けるタイプの人材に、あーだこーだと「型」や「戦術」を指導すると持ち味を殺してしまうし
再現性の高い人材に準備無しで本番をやらせると何もできずに潰れてしまう これはね
一般人の仕事や男女感の駆け引きにも同じことが言えるわけよ 臨機応変に動ける一般人はさ、意図的に基礎を固めないと逆に臨機応変に動けなくなる。手札がなくなるからね
そして再現性の高いタイプももちろん意図的に基礎は固ないとなにも洗練されない じゃあみんな基礎を固めればいいのでは?と思うかもしれないが
そこが人生の落とし穴よ ちゃんとタイプ別に沿った経験を積まないと
臨機応変なタイプは「薄っぺらい口だけ人間」になりがちだし、再現性の高いタイプは「愚鈍な空っぽの人間」になりがち 具体的に
現代社会において臨機応変に動けるタイプの訓練は
発声練習 肉体のカスタマイズ 単純な気力体力の強化。これこそが「鍛錬」になる
あとはぶっつけ本番で自分のセンスで直感で行動する 逆に再現性の高い一般人の現代的な訓練は
実は、失敗しても構わないことで本番の模倣を繰り返す
こうなる そして精神的な大きなコンセプトは
臨機応変に動けるタイプは「地道なレベル上げさえしとけば自分はセンスがあるからどうとでもなる」という自信と実際の成功の積み重ね
再現性の高いタイプは「どんなに失敗を繰り返しても成功したときの感覚を忘れなければいい。100回負けるのも楽しむ」という覚悟と、そして負けられない一戦は見極めること 臨機応変に動けるタイプの中から、独自の理論で新論を生み出すものが現れ
再現性の高いタイプの中から、クリティカルの中のクリティカルを出してそれをラーニングして毎回出せるようになるやつが現れると とてもわかりやすいサンプルに「はじめの一歩」という昔の漫画がある
昔少年マガジンに連載されてて、アニメのスペシャルがゴールデンロードショー枠で放送されたこともある作品 その作品内において
主人公はおそらく再現性の高いタイプのほうだったと思われ
究極のパンチ、という概念が作中登場し一度だけ一歩はそれを意図的に打つ つまり気の遠くなるような練習の積み重ねの副産物として、たまたま発動した「究極のマグレ」の感覚をそいつは覚えていて、一度だけ意図的に再現したわけだ そして作中主人公はお世辞にも天才扱いされてないが
もしその肩の力が程よく抜けた「究極のパンチ」を意図的に打てるようになったら
究極のパンチの中の、稀有な一発を偶然出すかもしれない 例えばクリエイターかもしれん、例えば女の子とセックスしたいだけかとしれん
例えば人生に充実した何かが欲しいだけかもしれん つまり
臨機応変に動けるタイプは「勝負に勝たないと成長しない、ときには勝てない勝負からは逃げるのもあり」になり
再現性の高いタイプは「勝ってもレアドロップなければ無意味だし、負けてもレアドロップあれば意味がある」に
聞いてる? とは言っても
臨機応変なタイプは勝ちが続くと天狗になってナマケモノなって基礎鍛錬を怠るようになるし
再現性の高いタイプは学習すべきクリティカルが出る前に気力が尽きたり自信喪失して止まってしまう ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています