J( 'ー`)し「たかゆきー!引きこもり支援センターの先生が来たわよー!」(((((((('A`)「・・・!!!」ドドドド→死亡
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待ち続けた「卒業」
羽田から鹿児島へ向かう飛行機の中で、私はまだ会ったことのない、そしてこれからも会うことのない1人の男性のことを考えていた。
2019年の終わりまであと1カ月と迫った11月26日。同じ機内には、男性の母親で神奈川県に住む渡辺さんと娘のアキさん(仮名)がいた。私の手元には羽田のロビーで渡辺さんから手渡された小さなお菓子の紙袋があった。これから心の重い旅に向かうというのに、渡辺さんはせんべいや最中などのお菓子を自宅で袋に詰め、一緒に出かける弁護士や私など、ひとりひとりに用意してくれていた。
私たちが向かうのは、鹿児島空港から北に車で約1時間半の熊本県湯前町。そこには渡辺さんの長男タカユキさんが入所していた、ひきこもりの人のための「研修施設」があるという。26歳から20年間も自宅でひきこもっていたというタカユキさんはそこに入り、ようやく自立への道を歩み出した、そのはずだった。
「息子さんが亡くなりました」
施設の担当者から渡辺さんが携帯に連絡を受けたのは、この熊本行きの7カ月前の4月19日。渡辺さんはまるで事態を理解できないまま飛行機に飛び乗り、遺体が安置されている熊本県警人吉警察署に駆けつけたという。だが、ここで会った施設の職員の説明はまったく要領を得ないものだった。 東京・新宿のセンターに入所
初めてセンターを訪れてから10日後の1月18 日、5人の職員が自宅にやってきた。1人は今後タカユキさんの担当になるというO氏。他の3人は「ガードマン」だと説明を受けた。
センターの指示で、職員らが家に来ることは内緒にしていたという。タカユキさんからすれば抜き打ちだが、渡辺さんが疑問を抱くことはなかった。
2階のタカユキさんの部屋に3人を案内すると、「お母さんは下にいてください」と強く指示されたのを覚えている。
30分くらい経ったろうか。居間で様子をうかがっていると突然、「わーっ」という泣き声が聞こえてきた。間もなくジャージ姿のタカユキさんが、職員らに前後を挟まれるようにして階段を下りてくるのがみえた。 自分の家が知らない男たちに占拠されているかのようだった
母の依頼で来たという男たち。「支援センターというからには、役所の福祉関係の人なのかな」と思ったが、公務員にしては雰囲気が粗暴に感じられた、と奈美さんは振り返る。なにしろ自分は下着もつけず、部屋着姿のまま。息がかかりそうな距離に知らない男が居続けるのは異様で、次第に恐怖心がつのっていった。
「あなたはもうこの家に住めない」
「働かないで親に悪いと思わないの」
お構いなしに、男はしゃべり続けた。
どれくらい時間が経ったのか。男に背を向け、身を硬くしているとこう言い放たれた。
「こんなことしてても仕方がないですよね」
続く男の一言に、奈美さんは凍りついたという。
「黙ってたら帰ると思わないでね」
男に背を向けたまま、震える手で携帯を握り、近くに住む父の二三男さん(仮名)にメールで助けを求めた。自転車で駆けつけた二三男さんによると、リビングや廊下、そして娘の部屋に見知らぬ4人の男女がいたという。
「自分の家が、知らない男たちに占拠されているかのようでしたね」 お金が取られたわけでもなし
邪魔なごみを処分してくれていい人じゃん 壊れた家電をちょっと強引に直そうとして本格的に壊れたからって文句言わないで 26歳から20年引きこもりじゃ46歳か…
20代の引きこもりならまだ未来あるがここまで来ると親も更正に期待してないだろうなぁ
せめて裁判で親の養分になって恩返ししろ 行ったことあるけどスタッフは皆優しいけどカリキュラムが億劫だったなぁ 嫌なこともしなきゃいけない訓練だから仕方ないんだけどね 家事も基本自分で行う寮生活 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています