趙雲って正史だと何もしてなくてワロタ
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正史趙雲
・袁紹や公孫瓚の元にいたらしいが特に功績はない
・劉備が公孫瓚の援軍に駆けつけた際、なぜか劉備軍に派遣されてそのまま劉備配下になる
・その後長い間記述がない
・長坂の戦いで阿斗を拾い、その功績で一気に昇進した
・赤壁の戦いで何もしていない
・荊州南部四郡の制圧でも何もしていない(趙範の兄嫁の話は完全創作)
・劉備の入蜀の際に従軍した記録はあるが、功績を挙げた記録はない
・その後なにもしないまま劉備死亡
・劉禅が帝位に就くと何もしていないのに一気に昇進
・南蛮の孟獲と戦った時に従軍した記録はあるが、功績を挙げた記録はない
・孔明の第一次北伐で曹真と戦って敗走(演義では陽動部隊として曹真を引き付けたことになっている)
・曹真よりも大軍を率いていたのに曹真に負けた上、敗走する際に蜀の貴重な進軍路のひとつを焼き払って逃げたため、その後の北伐で蜀の進路をことごとく魏に読まれることになる
・第一次北伐の失敗の責任で将軍位を降格させられる
・それ以降、死亡するまで記述がない
・死後、劉禅によってなぜか諡を追贈される 劉備のボディーガード的なことしてたんじゃないかって言われてるのどっかで見た >>7
桃園の誓いは演義での創作
ただ、義兄弟にはなっていないが劉備は配下と家族同然の扱いをしていた
当時の中国では儒教という教えが広まっていて、何よりも家族の絆を大事にしなさいと教えられていた
劉備配下には戦乱によって家族を失った者も多く、劉備は儒教の教えを守らず家族よりも仲間たちを大事にしたことで絶大な求心力を得ていたとされている なお曹操から逃げる際に息子も嫁も投げ捨てて馬車を軽くする >>2
趙雲は功績のなさに比べると階級が高すぎるから何か記録に残っていない戦功があるはずだというこじつけでボディーガード説が出てきた
でも実際ボディーガードだったら曹操における許褚みたいに記録が残るはずなのでその可能性は薄い
おそらく劉禅を救ったという一点のみが評価されて功績はないのに不相応に位だけが上がってしまったと見られている 日本の戦国時代でいうと前田利家みたいなもんだろ
信長時代は活躍してないのに母衣衆
秀吉時代も大した功績ないけど家康の対抗馬として大納言に昇進 魏延<そんな事はない!将軍は俺に優しかったんだ!(ソース横光) >>2
ボディーガードの老人
結婚しないで養子を迎えた
趙雲は空城の計をしただけお釣りが来る ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています