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カズの事バカにしてる奴がいるけど日本4部リーグで結果残せる大人がどれだけいる?4部でも一般人からしたら化け物身体能力だぞ?
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0001ネ(・ω・)コ ◆Tanuki/zH8UY
垢版 |
2023/07/24(月) 20:09:26.997ID:N7xj1xrG0
1982 私立静岡学園高校を8ヵ月で中退しブラジルに一人で渡航
1982 ジュベントスに所属 指導者にプロになれないと見られていた
1984 キンゼ・デ・ジャウーへ移籍
1986 サンパウロ州選手権(U-21)に日本人初出場
1986 2月、サントスFCと自身初のプロ契約(ドゥンガとチームメイトに)
1986 4月、デビュー戦でドゥンガに怒られる
1986 5月、パルメイラスと特別契約。キリンカップに出場
1986 サントスでの出場は2試合のみ
1986 マツバラへレンタル
1987 マツバラと正式契約、南部3州リーグ優勝
1987 クルーベ・ジ・レガタス・ブラジル(CRB)へ移籍
1987 ブラジル全国選手権に日本人初出場、「日本のガリンシャ」と呼ばれ注目される
1988 キンゼ・デ・ジャウーへ移籍
1988 コリンチャンス戦でリーグ日本人初得点、大金星、ブラジル全土中継だったため名前が全国へ知れる
1988 サッカー専門誌「プラカー」の年間ポジション別ランキングで左ウィング第3位に選ばれる
1988 ジャウー市の名誉市民賞を貰う
1989 コリチーバへ移籍、パラナ州選手権優勝。このころ三浦の知らない間に40万ドルでのセリエAコモへの移籍話が進んでいた。
1990 サントス復帰、レギュラーとなる。パルメイラス戦で1得点1アシストしプラガーの表紙を飾る
1990 代表へ選考されやすくなるために日本でのプレーを決断。ヴェルディへ移籍。
1993 アメリカW杯予選、第1戦サウジアラビア0-0、第2戦イラン1-2で勝点1、6カ国中最下位だったが、第3戦北朝鮮で1G1A
1993 北朝鮮戦の翌日の現地新聞「ガルフ・タイムズ」にイギリス人記者が執筆『KING KAZU』の大見出しが付く
1994 <移籍を認めないナベツネ>が1年間のレンタルという条件をつけて了承しジェノアへ移籍する
    移籍会見ではスポンサー狙いではないかと質問されるが会長が三浦に魅力を感じた事と両方が理由
1994 デビュー戦で先発出場、バレージと激突し鼻骨と眼窩神経を損傷、一か月の戦線離脱
1994 サンプドリアとのジェノヴァダービーで先発出場し初ゴール。次節でアシストと調子をあげつつあったが
    代表戦のため降格プレーオフに出場しなかったこと、アジア大会へ出場したこと、3度の監督交代などの影響で、1ゴールのみに終わる
1995 トリノ、スポルティングCP(スポルティング・リスボン)からオファーが来ていたが、前述の馬鹿のせいでヴェルディへ復帰
1995 ジェノヴァ市から特別表彰を受ける。三浦の在籍によってイタリア人の日本サッカーに対する概念が変化した。
1997 W杯最終予選韓国戦でチェヨンイル(崔英一:後の大韓サッカー協会副会長)から汚いファウルをを受けて尾てい骨を骨折、以後不調に陥る
1998 自身の不調と共にヴェルディも下位に沈む。読売新聞が撤退し、経営縮小のために契約を実質解除される。
1999 2年契約でディナモ・ザグレブへ移籍、当時の大統領の意向が働いたと言われる。ユーリッチのサッカーへの取り組みと考え方に影響を受ける
1999 ザグレブがクロアチアリーグ優勝。シーズン終了後にアルディレスが就任。戦力外とされる
1999 欧州クラブとの交渉がまとまらず京都サンガへ移籍
2000 京都が降格しゼロ円提示を受ける
2001 西のカズこと永島昭浩が引退した神戸へ移籍、この年から4年間キャプテンを勤める。シーズン11ゴール。
2002 フル出場が減り始める。2ndステージで臀部のケガのために長期離脱
2003 交代要員になる
2004 エムボマ、平瀬が加入。シーズン終盤にスタメンになる。播戸を一生懸命育てる。この時期から小学校への訪問授業を開始し現在も続けている。
2005 3試合連続ゴールなど好調。チームは低迷しエメルソン・レオンが辞任。チーム構想からはずれ退団。
0002ネ(・ω・)コ ◆Tanuki/zH8UY
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2023/07/24(月) 20:09:48.800ID:N7xj1xrG0
2006 横浜FCへ移籍
2006 シドニーFCへ期限付き移籍、当時首位のアデレードに2得点。FIFAクラブ世界選手権出場。
2006 この年から選手兼任の監督補佐に就任(登録上は兼任できない)。横浜FCは初めてJ1昇格を決める。
2007 浦和の優勝を阻むもJ2へ降格する
2010 キンゼ・デ・ジャウーからオファーがあったが残留
2011 東日本大震災チャリティーマッチに選出。世界に中継され、英語実況で「national treasure Miura」と評される。
2011 Fリーグ・エスポラーダ北海道に選手登録。1試合限定で出場。
2012 フットサルワールドカップ日本代表に選出
2012 SC相模原から完全移籍のオファーを受ける
2013 東京ヴェルディから獲得の打診が来る
2015 最年長ゴール記録が48歳1ヵ月10日に更新し、イタリア等の海外メディアから取り上げられる。
    「ミウラが日本で奇跡を起こした」
    「元ジェノアのカズ・ミウラは48歳にもかかわらず日本の2部リーグであるJ2リーグの横浜FCでプレーしている」
2017 3/12のゴールで記録を50歳と14日に塗り替え、スタンリー・マシューズの50歳5日の記録を上回り世界最年長ゴールとなる。ギネス世界記録に認定
2020 ケガの痛みで出遅れ出場機会を失う
2021 ベンチ入りすら出来なくなる
2022 鈴鹿へレンタル移籍。先発出場を続けたが5月に負傷し、復帰が9月となった。10月の国立の試合ではJFL歴代最多の16218人を動員する。
    同10月末の試合でも14202人を動員し歴代2位の動員となる。この年鈴鹿では18試合2ゴール
2023 ポルトガル2部のUDオリヴェイレンセへの夏までのレンタル移籍が決まる。移籍後に筋肉系の疲労や炎症が発症。
    クラブにはもう一人カズで登録している選手がいて本名はケンジだがコリチーバの人間がカズをよく覚えていたため選手名となる。南米U-17選手権へブラジル代表として出場
2023 三浦りさ子がポルトガル旅行に来る


※関係性説明

LEOC:学校給食や社内食堂を展開、ONODERA GROUPの中核企業。関連会社が横浜FCの筆頭株主。

小野寺裕司氏:ONODERA GROUP代表取締役会長兼社長。横浜FC運営会社の取締役会長。カズの1学年下でカズの大ファン。

横浜FC:カズの保有権を持つ。鈴鹿ランポーレやオリベイレンセへは横浜FCからの期限付き移籍で移っている。

オリベイレンセ:2022年にONODERA GROUPが株式の過半数を取得。横浜FCの山形伸之代表取締役CEOがトップに就いている。

カズ:「還暦まで選手をやりたい。」「グラウンドで死にたい。」

中田仁司氏(元横浜FC監督):横浜FCがカズをバックアップしている点は正直認めます。しかし同情でそこにいるわけではないので勝つためにコンディションを見ている。」


オリベイレンセ→日本の若手選手の欧州挑戦への受け皿となる。
横浜FC→ポルトガルの選手が日本でプレーする窓口となる。
カズ→双方向の連携の橋渡しになる。

上記関係はカズのポルトガル移籍によって成り立った。

中村俊輔氏「カズさんは本当にすごいよ。そういうもの(痛み止めの注射)は打たないし、
多分、若いときからかなり意識していたんだろうね。
強いよ。体も、メンタルも。
だから、カズさんが近くにいると自分もまひしてくるというか。
一緒にやってみな。痛いなんて言っていられなくなるから。絶対に弱音は吐かないし、
それこそ引退とか辞めるとかカズさんの前でちらつかせたらもう、ね」
→中村俊輔の最後の2年半は痛み止めを打ち続けていた。
0003以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします
垢版 |
2023/07/24(月) 20:13:36.676ID:L5fFE6mEr
外れるのはカズ、三浦カズ
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