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母「正直に生きなさい」先生「真面目に生きろ」ぼく「わかった!(命令を忠実に実行します)」
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0001以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします
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2023/06/08(木) 23:11:38.661ID:LYGiRxsbM
4年引きこもった

ストレス解消は大事
0002以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします
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2023/06/08(木) 23:12:27.873ID:THu6qCQ60
かように人を育てるのは難しい
0003以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします
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2023/06/08(木) 23:12:33.789ID:G87gVJWQ0
「人に迷惑かけるな」
これも抜けてますよ
0004以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします
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2023/06/08(木) 23:14:09.923ID:iMAXwCuIa
大事なのはストレス解消ではなく自我を持つことだな
自我ないと感性も持てないし指示待ちになりやすいし
0005以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします
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2023/06/08(木) 23:15:41.669ID:Gd3NN9LT0
ほとんどの奴は正直で真面目
嘘と不真面目の結果どうなるかは学生時代に痛感したから
0006以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします
垢版 |
2023/06/08(木) 23:19:42.844ID:aygNpwlS0
私の親はというと、何らそういう文化資本を持たなかった。
B層そのままと行った具合で、私が彼らから学んだことは、ただ諦めよ、忍苦忍耐、受動的に、愚直に生きよ、といったことだった。
それが私に与えられた貧弱な処世術だった。
彼らにはこの世の喜びといったものはほとんど用意されておらず、せいぜい酒を飲みテレビ番組を見て惚けた笑みを浮かべる程度であった。
私から見ればほとんど価値のない人生である。
私はある程度の教養を身につけることができた。兄弟はともにB層的であるので、私はこの家庭に生まれた例外とも言えるだろう。
私の親は何も教えてくれなかったのだが、書籍のなかの思想家や実業家の中に両親の代わりの存在を見つけたことによって、私は彼らの「文化資本」を受け取ることができたのである。
だから私が哲学や宗教や精神医学などを好んで読むのは、本来親が与えるべき教条を、一から学び直しているからだと言ってもいい。
名家やエリートの家に生まれた子どもはたっぷりと文化資本を受け取っており、この世で自由に楽しく生きる権限が与えられているように思われる。
彼らは社会の上層にあって、自分がそこにあることに疑問を抱かない。すべてが自分のために用意されており、すべてが予定調和的である。
幸せとはこういう少数の人間に与えられている。私はこういう人を見ると、眩しくって見ていられない笑 両親を尊敬し……両親同士も互いを尊敬しあっているなど……私には別世界のお話である^^;
しかしその幸福者の足元には、無数の踏みにじられるB層が存在している。彼らはその存在を知りもしないのだろう。
数多くの芸術家が文化資本を受け取っているし、哲学者もまたそうである。ニーチェは神父の息子だった(当時神父はエリート)。岡本太郎は漫画家と詩人のハイブリッドだった。ジャコメッティの親も芸術家。
私の両親は、何も与えてくれなかった。与えないだけならいいが、彼らは惨めな暗い人生とは違う生き方がこの世にあることを教えてくれなかった。
私が良い大学へ行きたいと言っても予備校へ入れてくれなかったし、私が画家になりたいと言ったときも、習い事などさせずに無関心であった。
私が死ぬほど学校へ行きたくなくて自傷行為さえしたときも、私の言い分は聞かずにただ学校へ行けと繰り返すばかり。
彼らの口癖は「金がない」「金がもったいない」であり、ただ子どもが自立し稼ぎ、経済的に楽になることのみを望んでいたように思う。
私は両親の子どもに生まれたことを不幸と考えている。いや、ないものねだりなのかもしれないが。
私が上等の家庭に生まれていたら……もっといい大学に入れていたかもしれない。芸術家や思想家になれていたかもしれない。神経症が長期化する前に治せたかもしれない。
そういうことを考える。
私にとって不幸だったことは、自分の両親の異常さに、自分の境遇の異常さに最近になるまで気づけなかったことだ。
だから私は自分が本来あるべき姿というものを確認できないまま、おっさん化してきている。
親という存在をどう思うかは人それぞれだろう。両親はふたりとも健在だが、私としてはさっさと死んでもらいたいと思っている。いや、もう遅いだろうか。
私は親がずっと早く死んでくれたなら、自分がもう少しましに生きられたと思っている。十歳のときに。十五歳のときに。二十歳のときに死んでくれたなら。
このように考える、考えなければならないことは紛れもなく不幸である。
しかし子どもは親の死や不在は乗り越えられるとしても、愛情のない、父性や母性の喪失した親の存在には耐えられない。
こういう存在は子どもの視界から消え去ることが義務であると私は思う。
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