日本の地方都市ってこの30年くらいで底辺化しすぎだと思う
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具体例を言うとデパート
1990年代なら、当時人口10万未満の「市」でも、一等地にデパートがあって商店街がにぎわってた。県庁所在地クラスなら市街地にデパートが複数あった。
2000年代になるとそういうのが一斉に閉店した。つまり県内○○地域の代表都市みたいな「ただの市」からデパートが消え、商店街が死んだ。県庁所在地クラスの街でもデパートが次々閉店した。
2010年代になると県庁所在地からもデパートが消える街が出てきた。つまり県内のどこにもデパートがないということである。
2020年代の今、地方都市そのものが死につつあるといえる。
「デパートがない」って文化的損失だと思う
デパートは高級品を売ってる場所だし、東京や海外の上等な文化が流入する拠点でもある。つまり上位の文化が地方から消えているということだ
これを俺はスゴイ危惧しているんだけど、わかる人いないのかな デパート自体がオワコン
有名デパートだって地下の惣菜売場や駅弁大会や物産展で生き長らえてる状況 >>3
人口10万未満の「ただの市」にはイオンモールは立たないんだよ
食品スーパーに毛の生えたイオンスーパーセンターやイオンタウンが限界
そしてイオンモールが建ったところでそこにあるのは安物消費文化でしかない
デパートでは上等なブランドの服を売り、まともな家具を売り、デパ地下でごちそうを売っているが
モールではGUの服か、ニトリの安物家具、見切り品の総菜しかない >>5
そうはいうけど
つい20年前までは、田舎県の人口10万未満のような片田舎にそごうや三越があったって考えるとすごくね? >>2
そうなんだよ
高齢化で老人だらけなのはわかるが
現役世代さえやつれてる。なんなら高校生にも覇気がない
田舎はマイルドヤンキー(DQN)が多いっていうけどほんとに廃れた地方に行くとヤンキーすらいない
というかマイルドヤンキーって「底辺」ではないと思うんだ デパートなんかあっても行かねえんだよみんな貧乏だから イオン以外のモールはないのか?
田舎民の救いはイオンしかないのか!
うわああああ!!!! >>4
あれ、俯瞰してみれば
人口も所得も細る一方の地域に上がり込んで
中央の大資本がむしり取るだけの装置だと思う
「損益分岐点」を超えれば撤退して終わり。その頃には地方都市には何が残っているだろうか?俺はそれを恐れている >>7
そんな時代は良い服着て買物に行って最上階レストランで食事して帰ってくるのがステータスだったから
令和の時代に誰もそんなこと求めてない >>9
そうこれなんだよ
デパートがない=底辺化している
逆に言えばだよ
平成時代までは田舎も富裕層がいた
炭鉱の時代に儲けた人、資産家、名士みたいなのがいたということ
そいつらをまわって外商が稼ぐモデルが田舎にもあった
それがなくなったということだわな >>13
よそいきの「良い服」を買うばしょがもうないんだよ 昔の田舎って人口が少ないとか
方言がきついとか、マクドナルドがないとか、東京に比べた「格差」はあったけど
田舎社会なりに、その中に貧乏人もいれば金持ちもいた
そしてそういう上下の人を見ている中でなんとなく「平均値」が算出され、その平均値的田舎者(言い方失礼)でも
たまには晴れ着を着て市内の一等地のデパートに行き、大食堂でごちそうを食って、デパート券とお父さんのボーナスつかって家族で買い物をしたりした
けどいまの地方都市を見ていると、「底辺層」しか見えないの
ものの見事に無気力化した貧しい人しかいないようにしか見えない
俺はこれを危惧している。西成区とか馬鹿にしているうちに、田舎は県まるごとそれになってる 東京なら都心一等地の一流企業とか、足立区のスラムとか
格差が明々白々でしょ。
23区に住めない中間層は多摩地区のベッドタウンに戸建て住宅やマンションですむわけだ
この人たちは多摩都民は、足立区民に比べれば自分は豊かだが、港区の大企業とか松濤のセレブと比べれば相当経済レベルが低い自覚はある
けど、たまに港区の一等地のおしゃれな店にデートで行くこともあるし、足立区の大衆居酒屋で一杯することだってあるだろう
ところが市内に、県全体に「ほぼすべて底辺」しかいない環境だと
そういう風に他と参照して自分がどの位置にいるかすらわからなくなる
これって相当恐ろしいことじゃね。本当の格差社会って、階級社会。特定の階級にいる人は、上位階級の存在そのものを想像できなくなるということだから どうでもよくないか?
金無しよりこの国の思想的貧しさのほうが怖いわ デパートだけじゃない
昔、昭和の終わりに炭鉱がオワコンになったとき
炭鉱で稼いだ富を用いてリゾート開発しまくった地域がそこらじゅうにあった
夕張がその典型(そしてその後の夕張の平成以降の顛末はみなさんご存じの通り)
で、当時そういうリゾート地は、テーマパークとかも含めてだけど
地元の県民の来客で回してたのよ
つまり「高度な余暇」をする余裕が田舎の人にもあったということだ
だけどさ、今どうよ
たとえばニセコ。客はみんな欧米人の金持ちだらけで、そこだけインフレしててお店に入ってもお客に日本語も通じない
ようは日本人は金持ってないから最初から来れないということ
そのニセコだってバブル崩壊前は地元の道産子スキーヤーで回してたわけです
やばくね? そもそも地方から脱出しないのが罪、子供を産んだなら虐待
お前の世代で都会に移住しとけ、子孫代々に感謝されるぞ >>19
どうでもよくなくないよ
今田舎に生まれた令和生まれの子どもは
たぶん「ちびまる子ちゃん」も理解できないと思うんだ
なぜなら花輪クンみたいな金持ちが身の回りにいないから
ちびまる子ちゃんの舞台は静岡県の清水という地方都市だ
今の清水に花輪クンみたいな金持ちが果たしているかと考えればわかることだ
つまり同じ日本人の中に「常識が共有できない田舎の人たち」が大量に出現してしまうことになる
すでにそれは起きているんだ 都会含めて貧乏になっただろ
ヨーロッパでブランド品買い漁る日本人も
香港で散財する日本人ももう居ない 私たちの「日本の常識」って
日本語が通じて成り立っているんじゃなくて、それが当たり前だということを暗黙の了解で共有していることで成り立っている
たとえば外国人はどんなに日本語がペラペラでも、日本で生まれ育った日本人ではない以上、本当に日本の常識を把握しきれることはなくて文化的齟齬がいくらでも出てしまう(それ自体は仕方がないこと)
けど彼らは「自分だって外国人だから仕方ない」という自覚もあるので、割り切れる
ところが今の日本で、大都市と地方都市の常識の差異は、どっちの人間も気づいていない
地方都市にも大都市にも昔は同じような普遍性があった。金持ちもいれば貧乏人もいた、大半は地元では中間層に属し、節約もするけどたまに贅沢もしていた人だった
令和の今、地方都市には「底辺層しかいない」ことに大都市民は気づいていない。地方都市の人間は自分が底辺層であることに気づいていない
これだけで相当常識の溝が深まっている。けど東京の人間は田舎に行かず、田舎の人は県内で人生が完結し、直接交わる空間がないので、常識の対立や衝突が発生しない
俺はそれに気づくきっかけはネットしかないと思っている 昔は大型店の出店が規制され商店街とデパートに資本集中してたの
ようは国の政策でああなってた >>24
俺も富山の高岡とかいう田舎出身だけど田舎者は世間知らずで偉そうだから目が冷めてくれればいいなぐらいにしか思ってないよ
カタストロフィーがないと進化しないんだよね生物って >>25
「都会含めて貧乏になった」のはその通りだが
「総底辺化」した環境と、首都圏在住の下流化した中流は根本的に違う
お前が言っていることは、日本がGDPが中国に抜かれただけで「日本はもう先進国から脱落した!日本終わった!日本は発展途上国だ!」っつってる出羽の守と一緒だ
実際には、中国を含める発展途上国は生きるために犯罪をしなきゃいけない層が一定数いて、公務員が腐敗してわいろを渡して不正をもみけしたりとか、あらゆる非常識がまかり通っている
そういう世界を一度でも知れば、日本はなんだかんだで欧米と同じ側だと気づける 茨城県の各都市の人口推移をグラフを見てると
日立市がものっすごい勢いで人口落ちていってて感動すら覚える >>28
富山の高岡も昔は主要都市だったんだろう
その頃は地元の「経済圏」があって、地元一流企業があって、そこに就職すれば安泰みたいなルートがあっただろう
けどたぶんだけどバブル崩壊、拓殖銀行破綻のあたりで、そういう地元企業が軒並み死んだ。結果若者のうち「能力のある人間」は東京の大学に出るようになり、出る行動力も能力もない若者だけが地元にとどまり手取り10万で介護職とかやってんじゃないかな その日本の常識とやらも、何がある?
俺ら日本人は世界で一番頭が良くて性格が良くて見た目が美しくて頑張り屋さんでーみたいな無知ゆえの間違った自信ぐらいのものでしかないっしょ
そんなのが崩壊して困ることなんて何もないどころかむしろいいことしかない
そしてこんなカタストロフィーが来てるのもそういうボケた人間が大勢いたからでしかないんだから自然な流れ >>30
そう
俺が言いたいのはそういうこと
日立といえば炭鉱はもちろん、日立グループの企業城下町だった
ようは日本の地方都市は、昔は、炭鉱や製造業がある場所は
経済力があり、金持ちがいて、外商ビジネスのデパートが成り立っていた
その地域の経済力の恩恵にあずかることで平均値的中流層もたまには晴れ着してデパートの大食堂で家族親戚一同そろってごちそうみたいなことができた
そういうのが死んだのがこの30年だと思う
安定した働き口がない、公務員が頂点で百姓やってる奴以外は介護職か物流か、見たいな世界になると
地方都市は「すべてが底辺層の論理」に支配されるようになる ただの安物じゃ嫌ならアパレルはいっそ国が規格指定した国民服を販売すればいいと思うの
家電とかも国民スマホとか国民テレビ作ればいいの
ただの安物じゃなくて日本式だしこれぞ文化振興だろうw >>33
高島屋だって惣菜売場と銘品店と催事場しか賑わってないしな >>31
北陸は経済が安定してて皆金持ちだよ
持ち家率上位離婚率下位平均学力調査最上位
それで皆無知で調子こいてるって感じだったんだけど俺はそもそも外人だしでキモいなとしか思ってなかった
高岡も最近財政危機になったけどそれは誰も使わない野球ドームを市長の趣味で作ったり駅周辺再開発したりしたからで自業自得 たとえば昔の日本では
都会も田舎もほどよくマイカーが普及し、公共交通だったわけ
「一家に一台クルマがあり、通勤手段は公共交通」が常識だった
けど田舎は例のイオンモールとかで、車社会が一般化して鉄道は廃線になり、バスも空気輸送からの廃止の流れに
すると田舎は「一人一台クルマ、家の目の前の道路からまっすぐ表通りに出た角にある徒歩3分のローソンにも車」の世界だ
ところが都会人は逆で若者の車離れが起きた。高齢者は免許返納で車離れ。上も下も車離れなので、働き盛りの世代も車を手放してカーシェアリングとかに移行しつつある
しかし田舎に住んでいると「クルマは持たないのが当たり前」が最先端の日本人の常識だと信じられない
なぜなら自分も、お隣さんも、別の街に住んでる親戚も、はたまたま遠くの田舎県も、同じような田舎環境では誰もかれもクルマ移動が当たり前だから
自分の可視範囲の直接的な常識だけを過信し、現実の日本の常識と齟齬があることに気づかない、気づいたとして間違ってるのは向こうだと思うようになる
これが階級社会だと思う
本当の底辺層は自分が底辺だと気づかない。なぜなら自分の同級生、同僚、親戚、隣近所みんな底辺しかいないから 文化云々って言うのなら
そもそも住宅街が出来た時点で終わってた
文化が買い物にとってかわられた
買い物は文化を生まないから東京含め商業都市化したところに文化はない
サブカルがあるだけ >>34
立地がいいところは田舎でも普通に工場や物流拠点があって所得が高いし産業の海外移転によって日本の所得は押し上げられている
田舎にもいろいろなレストランはある
まあ田舎では職が限られるのはあるだろうけどな 文化住宅とか言い出したころにさかのぼって
もう文化と文明をとらえ違えたままずっとここまで来てる
憲法の定める文化的な生活ってあれ要するに家電三種の神器を家に置けるような文明的な生活のことだろ 日本語が読み書きできるけど常識が通じない人ってこの掲示板にもいっぱいいるんだな
俺はそういう奴と触れるたびに「田舎の人だな」と思う
自分と違う常識に生きている人間というのを割り切って受け入れる能力が田舎の人にはない
自分が日本の中心であり、なんなら全世界の中心だと彼らは本気で思っている
だからこそ「日本の普通」と「田舎の普通」が根本的別次元になってるって彼らは理解しなきゃいけないと思う
現実を認めることが、地方の再生の第一歩だよ 日本に勢いがあったのは戦国時代だよ
律令国ごとに独自性があって駿河みたいな経済が強い所もあれば尾張みたいに勃興するところもあった
それが江戸時代になって統一されてから鎖国して日本民族という価値観が無駄に強調されるようになって宗教なども規制され文明が停滞した
開国後も日本人一心同体説みたいなのをやって最初は良かったけど昭和の頃にもなると競争もなく士官学校出ただけで上行けるような状態になってたから滅茶苦茶になったな たとえば成人式で暴れるヤンキーがいると
その奇抜な服装と、常識はずれな行動に「なんだこの意味不明な愚連隊みたいな連中は」と思うだろう
しかしその成人式ヤンキーたちも、彼らの中には仁義みたいなのがあって
彼らは「自分たちの常識」の中に生きている。たとえば同じヤンキー同士でもいきなり刃物を持ち出してぶっ刺したりするやつがいたら狂ってると思うだろう
そしてそんな彼らだって子どもの頃はちびまる子ちゃんやドラえもんを見て登場人物に感情移入できていたわけ
常識の違いってそういうことよ
俺が言いたいのは、昔の地方都市は、東京の人間と常識が共有できていたのに
30年でそれが困難になったということ 基本的に文化は消費活動ではない
例えばずっと昔からやってるような祭りがあってそれにかかわる町内会なり執行委員会が機能してる
そういうのが文化だ >>41
茨城の場合つくばとかは逆に伸びてるよね
立地がいいからね 日本を立て直したいなら律令国を復活させて各律令国に自由に自治を与えればいい
そうすれば無能な所は自然と衰退して見合った暮らしをするようになる
日本は島国だから日本人は皆ナカーマみたいな馴れ合いを始めると競争が発生しなくなって腐るよ >>42
ようするにだな
戦前の明治時代から文明開化の時代
大正ロマン昭和モダンとかでしょ
その頃、欧米先進国と同じ「ハイカラ」な服装や思想や娯楽を堪能していた人は確かにいたけど、それは東京・横浜や大阪といった都会人だけだった
では田舎に行くと、それこそ「おしん」の序盤みたいな、ちょんまげやめた以外は江戸時代と何も変わらない電気もないような茅葺屋根に百姓の共同体が当たり前だった(そういう場所はおそらく高度成長期まで江戸時代レベルだった)
つまりだこうもいえる
地方都市と東京が均質になったのは高度成長期で三種の神器とか、鉄鋼石炭業全盛期だった頃から、平成のはじめのバブル絶頂期までのたった30年程度だったと
つまりいまの「見渡す限り底辺層しかいない田舎県」こそ本来の田舎の姿ではないかと 均質化されたトップダウン式の消費活動ってのは
まさしく文化の破壊者だ
各市町村にジャスコがあってちょっと地方都市まで足を延ばせばデパートがあって
金持ちは外商、中流家庭は月一回のぜいたくみたいな豊かな生活様式は
それはそれでいいものだったかもしれんが、あくまでそれは流行の波及や均質化であって
文化的なものかと言われればそれは違う、ただし文明的ではあるというのが俺の見解 >>38
いろいろなものを所有しなくなるのが資本の本源的蓄積という
ただそれは単に貧乏になって
労働や生活の自律性を失うということだよ
それって本当に豊かなことかな? たとえがすごく雑だけど
アフリカの貧しい地域を考えてほしい
だいたいそういう場所は昔から一貫して貧困だろ
けどアフリカにだって財閥はあるし、権力の中枢には必ず金正恩みたいなやつがいる
じゃあアフリカの彼らが、北欧あたりの高卒ブルーカラー層とどっちがましかと言う話だ
「腐っても23区の足立区の西新井の公営住宅の住民と、裏日本の高岡市の平均的住民のどっちがより文明的か」ということ 都市の貧困層は文化的な恩恵が一切ないクラスタだ
あるのはその日暮らしの消費だけ
ある程度文明的ではあるがな 「常識」ってのがなにかの本に書いてあるような明確なもので、しかも論理や道理で裏付けられた有意義であると証明されるものであるならそれに従わないのもおかしいと納得できるが単に自分のエゴを常識と呼称して人に求めるのもただの甘えでしかない
その点日本は特定の共通した宗教とかないからバラバラなんだけど、遺伝的にも文化的にも均一性が高いからスマホ普及ぐらいまではなんとかやれてた
学校の理不尽教育とか使いながら
ところが今はもう無理
だからリベラルが言うようなくだらないのじゃなくて真の多様性を求めるべきだけど日本人の大半は空気が読まてなくて自分らが滅亡寸前だと理解してないから相変わらず均一性を良しとする
何故人が近親交配してはいけないとされるか、なぜ同性間では子孫が作れないか、そういうところから読み解いてほしいもんだな >>46
そう
だから俺は「イオンモールがあるからいいじゃないか論」は大反対だ
なぜなら中央の企業による「消費の場」でしかないから
そういう昔からの共同体の人の蓄財が消えて費えるだけ。何も残らなくなる
俺はイオンモールが進出しなかった田舎の方がよほど文化的とさえいえる
例えば離島。離島は外部の自治体からマイカーで来客が物理的に困難なのでイオンモールが建たない
奄美大島とか今でも商店街がシャッター化せず元気だし、何しろ若者でも民謡を平気でやっている
https://www.youtube.com/watch?v=gAg4Rlbt3gE
早いうちにイオンモールが建ったような田舎では、民謡の類は高齢者(団塊世代以上)しかやっておらず、40代〜60代さえ後継がおらず、まして若者に地域文化が伝承されておらず存在していない
北陸とかそれでひどいことになってる >>50
それもしかりだ
俺の見解と表面は異なるけど、総論は一致している >>53
実際戦国時代京都にそういう力無かったから戦争になった >>54
地方都市の人間と接してると相当にメンタリティが「その日暮らし」になってるぞ
特に親の介護がはじまってからどんな人でも底辺落ちしてる >>54
地方都市の人間と接してると相当にメンタリティが「その日暮らし」になってるぞ
特に親の介護がはじまってからどんな人でも底辺落ちしてる デパートのビジネスモデルが80年代後半から「ばーちゃんが孫を接待する場所」になってたからな
まさか孤独死するばーちゃんばっかりになろうとは……少子化を見方につけようとして失敗した好例 義務ややりがいで人を動かすのが難しくなってる
機能集団はそこに参加するメリットを示さなくちゃならない
文化は別にある細々とはしてるがまだ絶滅はしていない
ただ、それを守ることのメリットを提示できなきゃ時間の問題 >>50
戦中みたいな完全なトップダウン型の消費活動についてはともかく
戦後みたいにある程度の自由が認められていれば
そういう時代のほうがむしろ文化面での発展は目覚ましいものがあったと思うけどねえ 北陸は産業が豊富で裕福なのに裏日本のことなんて誰も興味ないから知らん
それが日本なのに俺ら日本人は一心同体という呪文で一つとしてやってきた
その呪縛のせいで衰退して狡猾な奴らが強固な既得権益を取得しなにをしようにも誰かの既得権益に傷がつくから何もできない政治になった
だから日本という単一国家は不要で律令国だか連邦制だか連合だかに移行したほうがいい 私事で恐縮だけど
地方都市の親戚とか見ていると、すごい貧困化しているって気づく
子どもの頃幼い頃(90年代)は東京近郊の借家住まいの俺と違って、親戚の家は若くして新築マイホームが田んぼや山を造成したニュータウンにあって広い庭もあって羨ましく見えた。クルマは新車のセダンだった
だが、2000年代あたりでどうも生活水準がおかしくなって、リーマンショックのあたりで家庭崩壊が増えてた
ある親戚は農業政策でバリバリ働く公務員だったが橋本龍太郎以降の緊縮政策、とくに減反政策などの国策の煽りで人格破綻になってDVやって離婚し家を手放した
別の親戚は、早々にサラリーマンを辞めてUターンで個人事業主、自営というかSOHO的に悠々自適にデザイナー事務所をやってたが、リーマンショックの煽りで廃業してからその日暮らしみたいに職を転々してた
一家離散はしなかったが奥さんが地元のイオンのパートの時給が700円台(当時)と滅茶苦茶低く、だったら東京で働いた方がましだわってなって子ども(つまり俺のいとこ)の住んでる練馬のアパートに転がり込んで、家族全員バラバラになった
どちらの親戚も広い庭があり、猫と犬を飼い、リビングにはでかいソファがあってピアノがあったけど、ペットは死にぜいたく品は全部うっぱらってた。今では後者の親戚の家も先祖代々の土地の広い庭さえ打って月ぎめ駐車場に切り替えてるという
俺は子どもの頃、地方都市でも東京郊外でも同じような家庭環境が当たり前だと思ってたから
平成以降の親戚の没落がショックだった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています