「縄文時代(カリ)→弥生時代(農作) 」この進化、おかしくないか
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>>74
じゃあなんで長野の稲作遺跡古いのないのよ >>75
イメージって言い方が悪かったわ、その認識なんだけど
弥生の頃から稲作って本格設備でやってたの? >>72
それはいわゆる原始的農耕でむしろ
縄文時代前期には行われてたと言われてる
水田耕作は縄文時代晩期からだな >>70
どっちにしろ徐福が日本に伝来したという史実あったっけ?
東に向けて出発したという事実はあっても日本に到着したって史実として書いてある歴史書か碑文見つかってなくね? >>79
なるほどじゃあ完全に認識間違えてたわ
だいぶ昔の知識だから縄文と弥生がごっちゃになったのかも 徐福はいいって
済州だろどうせ証拠が曖昧すぎて検討できない >>80
伝説として残っているのは
それもまた資料上のことなので
って話だよ
真実となるとまた別の話 >>77
幾つか考えられるわな
・公益拠点で食べ物に困らない
・見つかってない
・遺跡が何らかの理由で壊れたり流れた
・当時は稲作に適さない環境で技術持ってる連中が諦めて幾つかに分岐して散った >>78
ばっちり残ってて復元も比較的容易だった登呂遺跡調べてみ そもそもこの時代には一つの日本という国が無いから
文化も地域差でかいと思うけどね >>85
稲作は保存できるから広まったんだが
交易船だから拠点だから定着しないなんてことありえん
壊されているかもしれないという理由で棄却するならまず砂沢が壊れてない理由を説明してから
稲作に向かない環境なはずがない、山岳は多いが谷間も多く湿地もあるなんなら青森の方が適してない
稲作ほど広く分布している文化の痕跡が一つ残らず消失している理由より1つの青森の遺跡が日本最古の理由を考えるのが妥当 >>88
見てみたわばっちり田植えしてるなw
てかなんでみんなそんな詳しいの?趣味?専攻? 田畑を耕すにしても土が肥えてないと話にならない
見分け方は誰が教えたんだ? >>91
お前疑問風に書いてるのに自分で解決した直後に斜めの理由で潰してんぞ
喧嘩腰とかウザいだけだからイライラは俺じゃなくて壁でも殴ってろ
脊椎反射で書くんじゃなかて良く読んで想像してみ >>92
昔三流大の専攻だったけど真面目にやってない殆ど趣味 >>94
いやいや……
あまりに有り得ない論理で展開してるから流石にふざけすぎだろと思っただけだが
中東インドメソアメリカどこ見ても穀物が交易点で栄えなかったことなんてないぞ
ただのオカルトで長野~東北稲作伝播説唱えてるなら最初からオカルトだが、とことわり入れてもらっていいか?
お前がなんの根拠もなく想像に想像を重ねて論を結んでるんだからお前が壁打ちしてたらいいんじゃないかね >>95
なるほどな専攻してりゃ詳しいわな
受験日本史の範疇じゃないしな 逃げてくるのなんて大体同じ時期なんだから樺太経由の連中もいたってだけな話なんじゃね >>91
稲作を率先して受け入れたのは北部九州沿岸の縄文人で
そのほぼ最初期に東北の縄文人が視察に来ていたとは言われてるけどね
九州で東北の土器が発掘されてて
弥生土器自体が東北土器の影響下ではという説もある
ちなみに東北に持ち帰られて試された最初期の水田耕作は
しばらくしてやめてしまったというのが定説 >>97
資料上の出来事としての話ね
真実とは別のもの 韓国の歴史にはファンタジーとかって言うのに
自国の縄文歴史ギャートルズ観にはなぜか絶対的な価値を信じて疑わない昭和戦後GHQ授業脳
元寇とか死ぬまで台風神風信仰してそう 縄文時代から既に家庭菜園程度のことはやってたからな >>60
めちゃくちゃ長いよ
歴史の教科書数ページで終わらせてる教育がクソすぎる ていうか今ここにいるような
おっさんが読んでた頃の教科書の説って
もう大体覆ってる気がしなくもない >>96
その外国の雑や例にしても穴だらけというか偏見で固め過ぎだな
余りに多すぎるから親切丁寧に突っ込むのは一つ前から止めてんだよ
キリなく明後日の方向に誘導頑張られても困る
安価されても面倒いから返さんよ 縄文の時から作物育てるくらいはしてたはず
大陸から稲作が伝わっても最初は小規模で、「子供も増えて手狭になったし開墾するか!」ってのを何世代も続けてくうちに国のような大集団になったと思ってる ゴッドハンドの影響で無しになった遺跡ってどこなんだろ
馬場壇B遺跡とか大丈夫? >>109
つかああいうのやってたの本当にあの人だけだったのか?
とかふと思うことはあるな >>108
一気に弥生化したってのが昔の説だからね
ざっくり紀元前三世紀から弥生で稲作一気に広まりました
って教えられた世代も多かろうけど
今は炭素法の進化もかで弥生時代の始まり自体が
紀元前十世紀後半あたりからと考えられるようになってきてて
これだと関東へ稲作伝わるまでに七百年くらいかけてる計算になる >>110
金印はちょい怪しいよな
フランス革命の頃偶然見つけるか? >>112
そう考えると歴史学ってほんとロマンの学問よな
本当の意味での答え合わせが不可能なんだから >>111
稲作って基本年一でしか収穫出来ないから急拡大すると不作になった時飢えちゃうからね。何世代もかけてちょっとずつ広まってっただろう。古代は文字で記録残すこともできないし、先人がやってた方法を守ろう、開墾より現状維持だって感じで結構慎重だったかもね。 >>37
ほんとそれな
組織的に大量に狩猟して保存食つくって交易品にしてたし、人口が増えるまでは農作無しで賄えていたかもな >>117
それはまじで思う
粉にしてないのすごい >>118
あれは流石に中国大陸から日本に来たのと中国の神話(女媧、伏羲とか)が混ざっただけじゃね >>117
結構最近まで茹でるだけだったってことはない? 食える実を土に埋めといたら同じ芽が出た
↓
その辺に撒きまくった
↓
邪魔だから区画決めて撒いた
農業の初めってこんな感じじゃね 種から植物が生える事を発見する→採取しやすい場所に種を植えたが始まりだろ
そこから植物が良く育つ条件とかを考えて試し手を繰り返していく内に農地の構造が出来るってなったんだろ それ自体は縄文人でも当然行き着く発想だから
やっぱ稲がチートだったんだろうな 当時、国としてのまとまりというよりも数十人規模の部族の集落が無数にある感じで暮らしていたんじゃないの
文化の伝播とかも非常にゆっくり広がる感じで、縄文時代に原始的な農業をやってる部族もいれば海沿いで漁やったり山で木の実採取や罠猟とか好き勝手にやってたんじゃね >>125
弥生式稲作が弥生時代という発展を築き上げたという話であって
農業を縄文人にもたらしたって誤解してる人が多すぎるわな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています