「縄文時代(カリ)→弥生時代(農作) 」この進化、おかしくないか
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カリってちんぽの高床式倉庫だよね
ねずみさんもびっくり お前らの周りどんぐりあるだろ
それ縄文人が植えまくったやつだ >>9
なんか食える植物を家の周りに植えとこうくらい思うだろ
そこからじわじわ高度になっていったんだろ 本当に大陸から渡ってきたのなら稲にイネという訓読みはなくトウと呼んでいる >>14
いつから米と文字が同時期に入った設定が加わったんだよ
変な動画見すぎ 縄文時代で既に栗とかの栽培してたのがわかってきてる >>14
そもそも弥生時代の稲とは別の稲が
縄文時代にもずっと存在したからな 食う分だけ採る生活から保存させて大量に採る生活に切り替わる瞬間って結構反発とかありそうだよね >>23
縄文時代が1万年とか信じられない
1万年どころか500年先に文明が残ってるかさえ怪しいのに ネトウヨさん大変そうだな
稲作が大陸渡りである事すら受け入れがたいのか 多分狩り出来ないひ弱なやつが生きるために考えついたんだろうな 稲作伝来のルートはまだはっきり解明されてない
おそらく大陸から伝わったんだろうくらいなもん
ただどっかの遺跡で今までよりも古い稲作の痕跡があったみたいな記事読んだことあるからもしかしたら日本在来の稲作もあった可能性はある どんぐりも農耕みたいなもんだろ
どんぐりだけ食ってると腹壊すってだけで
栗と同じ炭水化物だぞ 狩猟採集民のほうが農耕民より身体も脳も上位だったらしいな
栄養バランスと運動方法で そもそも今の説では従来のイメージの弥生時代と
縄文時代はかなりの年数重なってる >>26
大陸から来たユダヤ人が教えてくれたんだよな >>28
そんなん捏造だから
稲も麦も遺伝子でルート決められる時代だぞ 実は俺がタイムスリップして知識無双した
卑弥呼の正体は俺の彼女 >>28
稲の遺伝子解析では中国南部からという説が現在最有力ではある 阿蘇カルデラの破局噴火が起きるまでは農耕が入り込む余地がないくらい狩猟採取で十分な食糧が取れてたんじゃないかって言われてる >>35
そっから分化してだいぶたった後の一部しか来てない
今はコロナの株みたいな追跡のされかたされてる 泥の水溜まりに自生はあったろうに
伝来と言い切るほど忽然と現れた技法なんだろな >>35
マジか
じゃあ定説よりも伝来時期が早かった可能性があるって事か >>39
だいたいの人間が「これはこういうふうに作るんだよ」以外のやり方しないだろ
現代みてもさ >>28
時代の括りを水稲や土器様式で決めたからな
団栗が栽培も含めた縄文時代の主食
陸稲は収穫効率悪いからやっても付け合わせ程度だな ただ東北青森に稲作が伝播する速度があまりに速すぎるとは言われている >>43
伝説言い始めたら青森のキリストのお墓とか日本人は失われたユダヤ10支族の一つ説も踏まえるとユダヤ人が大陸横断してその中で稲作覚えて海渡って日本に到着して稲作広めたとかめちゃくちゃな理論が出来ちゃう >>43
その時代だと予算捻出出来たら頑張れば来れちゃう
弥生時代の始まりとされてる遺跡で春秋戦国時代より前の東周頃
弥生時代の始まりが発掘物で遡ってるから周王朝が荒れた辺りがスタート地点だと思う >>51
農業技術者連れで来てるから満更否定もできないような >>49
徐福が日本に来たという事実はまだ認められてない
たしかに日本各地に徐福由来の土地と言われるところと伝承は残ってるけど 青森の三内丸山遺跡って縄文のクソでかい集落だよな
そんだけの集落できるなら農耕してんじゃねーの?カリだけなら大規模定住無理だろ雪国だぞ >>46
黒曜石の算出地や翡翠の産地近くを公益拠点とするとそんなに不思議でもない この辺の時代って思ったより長い年月かけてるんだよな >>56
史実ってちゃんとした確証があって認められるものだろ?
そもそも徐福は朝鮮半島にも伝承が残ってるらしいけど本場中国でもどこに行ったのか定かではないぞ >>56
可能性は多分にあるけど
直結する証拠が出てない >>61
違うよ
史実はあくまで紙面上の話で
真実とは別の話 >>65
それは史料で史実は歴史上の真実を指す言葉だぞ >>57
団栗や栗の木増やして
クッキーというかゴワゴワのパン作って食ってた
あと街が出来たた頃は暖かかった オーストラリアの先史人類学者は縄文人が農耕に積極的じゃなかったのは
イデオロギー的な問題ではないかとは提起してたけどね >>58
稲作って種と技術者とある程度肥沃な土地の開墾と農具と水がいるのだけども、関西以西か関東に伝播する速度に比べて関東から東北はほぼ同時らしいから流石に無理ない? >>66
違うよ
史実は資料上のもので
真実は事実として行われたことだよ 垂柳遺跡は三百年ほど水稲耕作続けてたけど
結局縄文生活に戻ったと見られてるけどね 稲作ってそんな本格的だっけ?
弥生の稲作って今と違って種?適当に撒いてみたいなイメージなんだけど 学術的には史実はhistrical fact、単に架空ではない歴史的にあったことを認める文脈で使われる
factはhistrical materialの発見などの現在の出来事でたしかに確証があるものに使われる
histrical materialが史料に相当する
事実と史実は文脈上、それが歴史的にどういう事実であるかによって使い分けられる >>69
関東経由の太平洋側主観から切り替えて考えてみ
黒曜石の主産地の陸路の長野やかいろで回れる北陸側の糸魚川辺りから
関東方面と東北方面に行っただけ 普通に交易があった証拠があるし
宗教もあってある程度階級社会きずいてたが
何故かウホウホ縄文人にしたい奴がおるな >>74
じゃあなんで長野の稲作遺跡古いのないのよ >>75
イメージって言い方が悪かったわ、その認識なんだけど
弥生の頃から稲作って本格設備でやってたの? >>72
それはいわゆる原始的農耕でむしろ
縄文時代前期には行われてたと言われてる
水田耕作は縄文時代晩期からだな >>70
どっちにしろ徐福が日本に伝来したという史実あったっけ?
東に向けて出発したという事実はあっても日本に到着したって史実として書いてある歴史書か碑文見つかってなくね? >>79
なるほどじゃあ完全に認識間違えてたわ
だいぶ昔の知識だから縄文と弥生がごっちゃになったのかも 徐福はいいって
済州だろどうせ証拠が曖昧すぎて検討できない >>80
伝説として残っているのは
それもまた資料上のことなので
って話だよ
真実となるとまた別の話 >>77
幾つか考えられるわな
・公益拠点で食べ物に困らない
・見つかってない
・遺跡が何らかの理由で壊れたり流れた
・当時は稲作に適さない環境で技術持ってる連中が諦めて幾つかに分岐して散った >>78
ばっちり残ってて復元も比較的容易だった登呂遺跡調べてみ そもそもこの時代には一つの日本という国が無いから
文化も地域差でかいと思うけどね >>85
稲作は保存できるから広まったんだが
交易船だから拠点だから定着しないなんてことありえん
壊されているかもしれないという理由で棄却するならまず砂沢が壊れてない理由を説明してから
稲作に向かない環境なはずがない、山岳は多いが谷間も多く湿地もあるなんなら青森の方が適してない
稲作ほど広く分布している文化の痕跡が一つ残らず消失している理由より1つの青森の遺跡が日本最古の理由を考えるのが妥当 >>88
見てみたわばっちり田植えしてるなw
てかなんでみんなそんな詳しいの?趣味?専攻? 田畑を耕すにしても土が肥えてないと話にならない
見分け方は誰が教えたんだ? >>91
お前疑問風に書いてるのに自分で解決した直後に斜めの理由で潰してんぞ
喧嘩腰とかウザいだけだからイライラは俺じゃなくて壁でも殴ってろ
脊椎反射で書くんじゃなかて良く読んで想像してみ >>92
昔三流大の専攻だったけど真面目にやってない殆ど趣味 >>94
いやいや……
あまりに有り得ない論理で展開してるから流石にふざけすぎだろと思っただけだが
中東インドメソアメリカどこ見ても穀物が交易点で栄えなかったことなんてないぞ
ただのオカルトで長野~東北稲作伝播説唱えてるなら最初からオカルトだが、とことわり入れてもらっていいか?
お前がなんの根拠もなく想像に想像を重ねて論を結んでるんだからお前が壁打ちしてたらいいんじゃないかね >>95
なるほどな専攻してりゃ詳しいわな
受験日本史の範疇じゃないしな 逃げてくるのなんて大体同じ時期なんだから樺太経由の連中もいたってだけな話なんじゃね >>91
稲作を率先して受け入れたのは北部九州沿岸の縄文人で
そのほぼ最初期に東北の縄文人が視察に来ていたとは言われてるけどね
九州で東北の土器が発掘されてて
弥生土器自体が東北土器の影響下ではという説もある
ちなみに東北に持ち帰られて試された最初期の水田耕作は
しばらくしてやめてしまったというのが定説 >>97
資料上の出来事としての話ね
真実とは別のもの 韓国の歴史にはファンタジーとかって言うのに
自国の縄文歴史ギャートルズ観にはなぜか絶対的な価値を信じて疑わない昭和戦後GHQ授業脳
元寇とか死ぬまで台風神風信仰してそう 縄文時代から既に家庭菜園程度のことはやってたからな >>60
めちゃくちゃ長いよ
歴史の教科書数ページで終わらせてる教育がクソすぎる ていうか今ここにいるような
おっさんが読んでた頃の教科書の説って
もう大体覆ってる気がしなくもない >>96
その外国の雑や例にしても穴だらけというか偏見で固め過ぎだな
余りに多すぎるから親切丁寧に突っ込むのは一つ前から止めてんだよ
キリなく明後日の方向に誘導頑張られても困る
安価されても面倒いから返さんよ 縄文の時から作物育てるくらいはしてたはず
大陸から稲作が伝わっても最初は小規模で、「子供も増えて手狭になったし開墾するか!」ってのを何世代も続けてくうちに国のような大集団になったと思ってる ゴッドハンドの影響で無しになった遺跡ってどこなんだろ
馬場壇B遺跡とか大丈夫? >>109
つかああいうのやってたの本当にあの人だけだったのか?
とかふと思うことはあるな >>108
一気に弥生化したってのが昔の説だからね
ざっくり紀元前三世紀から弥生で稲作一気に広まりました
って教えられた世代も多かろうけど
今は炭素法の進化もかで弥生時代の始まり自体が
紀元前十世紀後半あたりからと考えられるようになってきてて
これだと関東へ稲作伝わるまでに七百年くらいかけてる計算になる >>110
金印はちょい怪しいよな
フランス革命の頃偶然見つけるか? >>112
そう考えると歴史学ってほんとロマンの学問よな
本当の意味での答え合わせが不可能なんだから >>111
稲作って基本年一でしか収穫出来ないから急拡大すると不作になった時飢えちゃうからね。何世代もかけてちょっとずつ広まってっただろう。古代は文字で記録残すこともできないし、先人がやってた方法を守ろう、開墾より現状維持だって感じで結構慎重だったかもね。 >>37
ほんとそれな
組織的に大量に狩猟して保存食つくって交易品にしてたし、人口が増えるまでは農作無しで賄えていたかもな >>117
それはまじで思う
粉にしてないのすごい >>118
あれは流石に中国大陸から日本に来たのと中国の神話(女媧、伏羲とか)が混ざっただけじゃね >>117
結構最近まで茹でるだけだったってことはない? 食える実を土に埋めといたら同じ芽が出た
↓
その辺に撒きまくった
↓
邪魔だから区画決めて撒いた
農業の初めってこんな感じじゃね 種から植物が生える事を発見する→採取しやすい場所に種を植えたが始まりだろ
そこから植物が良く育つ条件とかを考えて試し手を繰り返していく内に農地の構造が出来るってなったんだろ それ自体は縄文人でも当然行き着く発想だから
やっぱ稲がチートだったんだろうな 当時、国としてのまとまりというよりも数十人規模の部族の集落が無数にある感じで暮らしていたんじゃないの
文化の伝播とかも非常にゆっくり広がる感じで、縄文時代に原始的な農業をやってる部族もいれば海沿いで漁やったり山で木の実採取や罠猟とか好き勝手にやってたんじゃね >>125
弥生式稲作が弥生時代という発展を築き上げたという話であって
農業を縄文人にもたらしたって誤解してる人が多すぎるわな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています