X



[悲報]老老介護、81歳男性が40年間介護した妻を崖から突き落とす
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします
垢版 |
2023/07/06(木) 18:42:33.875ID:5O9qEkif0
神奈川県大磯町の港で、車イスに乗った79歳の妻を海に突き落とし、殺害した罪に問われている81歳の夫の初公判が5日、横浜地裁小田原支部で開かれました。泣きながら座っていた夫は起訴内容を認めました。夫は事件前、「俺ちょっと頭がおかしくなった」と周囲に漏らしていたといいます。

   ◇

「介護に疲れました」と話し、妻の照子さんを殺害した罪に問われている藤原宏被告(81)。5日に開かれた初公判では、次のようなやりとりがありました。

裁判官

「あなたがしたことに間違いありませんか?」

藤原被告

「間違いありません」

40年以上、妻を介護していたという藤原被告は、泣きながら座っていました。

   ◇

事件があったのは去年11月、藤原被告は「長男に会いに行こう」と話し、妻の照子さんを連れ出すと、冷たい海に車イスごと突き落としたのです。照子さんは身体に障害があり、車イス生活でした。泳ぐことはできず、病院で死亡が確認されました。

近隣住民

「すごくいい感じの人でしたよ。一生懸命やられてましたし、介護のお手伝いとか」

「旦那さんがよく福祉の方へ連れて行くみたいで。一生懸命やっていたから」

熱心に介護をしていたといいます。なぜ、最愛の妻を海に突き落としたのでしょうか。

   ◇

検察側によると、藤原被告は約3年前から力が出なくなり、介護が困難になったため、照子さんを施設に入所させるよう長男らが説得を続けていたといいます。

検察側は「施設に入所させるくらいなら殺害してしまおうと決意した」と指摘し、犯行に及んだと主張しました。

一方、弁護側は「(照子さんの)首に手をかけたこともあった。2人で死ぬしかないと思った。俺が最後まで面倒をみたい」と、将来への不安から、藤原被告が追い詰められていたと主張しました。

時折「うっ…うっ…」とうめき声を上げながら、涙が止まらなかった藤原被告。涙を拭いたティッシュが山積みになっていました。

   ◇

追い詰められていたのでしょうか。藤原被告は事件前、周囲に次のように漏らしていたといいます。

近隣住民

「“俺ちょっと頭がおかしくなった”なんて、この(事件の)前言ってた。なんでもっと、みんなに助けを求めなかったかな」

6日の裁判では藤原被告の息子が出廷し、証人尋問が行われます。
0002以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします
垢版 |
2023/07/06(木) 18:43:07.799ID:X7/JkPI+0
長い産業
0003以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします
垢版 |
2023/07/06(木) 18:44:59.925ID:Lxg90pAzr
「すまんな、すまんな」

京都市伏見区桂川河川敷で2006年2月1日、無職片桐康晴被告が、10年近く前から認知症を患う母親(当時86歳)の首を絞めて殺害して無理心中を図ったとみられる事件の初公判が19日に行われた。
事件内容は認知症の母親を1人で介護していた男性(当時54歳)が、介護で生活苦に陥り、母と相談の上で殺害したというもの。
片桐被告は母を殺害した後、自分も包丁で首を切り、自殺を図ったが発見され一命を取り留めたとの事。
片桐被告は両親と3人暮らしだったが、95年に父が死亡。その頃から、母に認知症の症状が出始め、一人で介護した。

母は05年4月ごろから昼夜が逆転。徘徊で警察に保護されるなど症状が進行した。
片桐被告は休職してデイケアを利用したが介護負担は軽減せず、9月に退職。
生活保護は、失業給付金などを理由に認められなかった。
介護と両立する仕事は見つからず、12月に失業保険の給付がストップ。カードローンの借り出しも限度額に達し、デイケア費やアパート代が払えなくなり、06年1月31日に心中を決意した。

「最後の親孝行に」
片桐被告はこの日、車椅子の母を連れて京都市内を観光し、2月1日早朝、同市伏見区桂川河川敷の遊歩道で
「もう生きられへん。此処で終わりやで。」などと言うと、母は
「そうか、あかんか。康晴、一緒やで」と答えた。片桐被告が
「すまんな」と謝ると、母は
「こっちに来い」と呼び、片桐被告が母の額にくっつけると、母は
「康晴はわしの子や。わしがやったる」と言った。
この言葉を聞いて、片桐被告は殺害を決意。母の首を絞めて殺し、自分も包丁で首を切って自殺を図った。

冒頭陳述の間、片桐被告は背筋を伸ばして上を向いていた。肩を震わせ、眼鏡を外して右腕で涙をぬぐう場面もあった。

裁判では検察官が片桐被告が献身的な介護の末に失職等を経て追い詰められていく過程を供述。
殺害時の2人のやりとりや、
「介護に疲れたことはあったが、嫌になることはなかった。むしろ楽しかった」
「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」という供述も紹介。
目を赤くした東尾裁判官が言葉を詰まらせ、刑務官も涙をこらえるようにまばたきするなど、法廷は静まり返った。
裁判の中で片桐被告は、
「私の手は母を殺める(アヤめる)ための手だったのか」と言葉を残した。
東尾裁判官は片桐被告に対し、
「尊い命を奪ったと言う結果は取り返しのつかない重大だが経緯や被害者の心情を思うと、社会で生活し 自力で更生するなかで冥福を祈らせる事が相当被告人を懲役2年6ヵ月に処する…」

 そして続いてこう言った
「…この裁判確定の日から3年間 その刑の執行を猶予する」
殺人(承諾殺人)で異例の執行猶予つきの判決を言い渡たされた。
そして被害者(お母さん)の心情に対し
「被害者は被告人に感謝こそすれ、決して恨みなど抱いておらず今後は幸せな人生を歩んでいける事を望んでいるであろうと推察される」

判決の後、片桐被告に裁判長が
「痛ましく悲しい事件だった。今後あなた自身は生き抜いて、絶対に自分で自分をあやめる事のないようにお母さんのことを祈りお母さんのためにも、幸せに生きてほしい」と語りかけた。
片桐被告は深々と頭を下げ
「ありがとうございました」と言った。
片桐被告に言い渡した後に東尾裁判官はこう言葉を残した
「本件で裁かれるのは被告人だけではなく、 介護保険や生活保護行政の在り方も問われている。こうして事件に発展した以上は、どう対応すべきだったかを行政の関係者は考え直す余地がある。」
判決後、弁護士に
「温情ある判決をいただき感謝しています。なるべく早く仕事を探して、母の冥福を祈りたい」
と語ったという。
0004以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします
垢版 |
2023/07/06(木) 18:45:20.197ID:Lxg90pAzr
片桐康晴被告 2014年8月に自殺していた

2014年8月、片桐被告は滋賀県大津市の琵琶湖で死亡。
自ら命を絶ったとみられています。

13年2月、「会社をクビになった」と親族に伝えたのを最後に、連絡が取れなくなった。
自宅にも帰らず、行方が分からなくなった。
親族が警察に行方不明者届を出したが、14年8月1日に遺体で見つかった。
その日の朝、長男とみられる男性が琵琶湖大橋から湖に飛び降りるのを目撃した人がいたという。

「彼は最後まで孤独から抜け出せなかった」。親族の男性は毎日新聞の取材に無念さをにじませた。
男性によると、長男が亡くなる際に身に着けていたカバンには、自分と母親のへその緒、そして「一緒に焼いて欲しい」というメモ書きが入っていた。
所持金は数百円で預金はなかった。

出典
片桐康晴さん(62)14年8月に自殺していた
0005ぺこらの笑顔にまた会いたい ◆ZfmelPVt3w
垢版 |
2023/07/06(木) 18:47:33.014ID:SAsZ7gBH0
40年も介護を続けた結末がこれってなんともやるせないな。どうにかならなかったのか
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

ニューススポーツなんでも実況