X



司法試験最年少合格者の体験記
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします
垢版 |
2022/06/22(水) 19:04:34.444ID:EJaSm+opa
●●●昭和四九年度司法試験合格者 喜びと戦績を語る●●● 最年少合格者の体験記
東京大学 山口厚

 九月三〇日。法務省の中庭で合格者の中に自分の名を見つけた時、私は、うれしかったには違いないが多少それとも違う感じをいだいた。ほっとしたというのとも違う気持ちである。何だか「あっけなく」ここまできてしまったという感じなのである。自分の実力の程度はわかっているつもりだけに、ほんとうに合格してしまってよいのかと思われたのである。私は、今年、初めて受験して合格してしまった。ほんとうに運がよかったと言える。編集部の方に「体験記」の執筆を依頼された時も、果たして私の書くものが、「合格体験記」たりうるのかとの気持ちもなくはなかった。私は、種々の苦労の中で合格をかちとった人々とは異なり、比較的恵まれた環境の中で勉強してこれたから、これといった苦労話もないし、二〇才という年齢にしても、参考になりうるような事は書きえないのではないかと思われたからである。しかし、私がペンを執ったのは、この程度のヤツでも「合格しうる」のだということを解ってもらい、若干なりとも参考になれば、と思ったからである。

私は、昭和四四年、東京・目黒区の中学校から「受験校」東京教育大学付属駒場高校へ進学。いろいろと動揺もあり、一時は本気で、大学で語学を専門にやろうと思ったこともあったが、この頃から、中央法学部に在籍していた従兄の影響等や、漠然とした法曹へのあこがれもあって、法学部を志望するようになった(そして、司法試験も考えるようになったのである)。大学は、高校の環境もあり、迷わずに東大を志望する。

昭和四七年。東大一本しか受験しなかったが、幸いに合格。四月には、東京大学教養学部文科一類の学生となった。ストライキのために若干遅れたが、講義が開始。法学の講義の時の先生の、早くから司法試験のための特別の勉強はしない方がよい、との話を守ったためもあり、また語学の勉強や、経済学の勉強がおもしろいこともあり、秋休み頃まで、全く司法試験のための勉強はしなかったのである。

しかし、まわりの人の中で憲法の本を読み出す人が出たりして、秋休み頃より、シビレをきらした形で、憲法Ⅰ・Ⅱを読み出した。しかし、「法律の本はなんと読みづらいのか」という感じしか残らなかった。現在記憶がはっきりしないが、二冊を一回通読したところで、中断という形になったと思う。学内試験の準備に追われ、語学に追われたのである。

昭和四八年四月。いよいよ、憲・民・刑の専門の講義が開始。これに合わせて、春休みから三科目の教科書を読み出す。とにかく民法は、我妻講義を読み始めたのだが、難しいやら、うんざりするやらで、とうとう、担保物権で中断。薄い本に乗りかえる(現在でも、我妻講義を基本書にしている人には頭が下がる)。また、友人と憲法の判例等を読みあう等の勉強もやった。一年の時に、本を読んでいたので、憲法に若干余裕があるという程度であった。本を読んでも、時間がたつとすぐ忘れる、わからない、といったぐあいで、司法試験までの道のりの遠いことをしみじみと感じさせられた。それに、私は、サボるということが出来ないタチ(?)なので、マジメ(?)に授業には出て、語学の予習をやっていたために、法律書を読む時間はあまりない。語学がなければどれだけよいかと思うほど、「単語調べ」に精を出したのであった。でも、どうにか夏休みが終わった時点で、一通り、三科目は読んだという感じを得ることはできた。若干ウンザリしながらも。

秋休み明けから、友人にさそわれるままに勉強会を作る。これは非常に勉強になった。疑問点がはっきりしたり、新たな興味が出てきたり、これで、法律学というものが、少々好きになれたような気がする。この頃から刑法が好きになった。団藤先生のわかりやすい講義のためもあったが、理論の着実な論理性にひかれた。それもこの勉強会で得たことである。

憲・民・刑が一通り読めたという気持ちからか、この一〇月頃より、刑訴にも手を出したわけである。しかし、一、二度通読したのだけれども、よくわからないし、興味もうすれていく等で、ほとんど頭にはいらない。この頃は、とにかく、団藤先生の刑法理論について、いろいろと読み、考えるのが、「おもしろく、楽しかった」という位で過ぎてしまうことになる。
0002以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします
垢版 |
2022/06/22(水) 19:05:27.975ID:lQXvqwkK0
何歳で合格なん?
0003以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします
垢版 |
2022/06/22(水) 19:05:30.998ID:m4tTcp4O0
やっぱ筑駒よ
0004以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします
垢版 |
2022/06/22(水) 19:08:49.604ID:GhiNl2HHM
一人で本を読んでいることの不安ゆえに、真法会の答練(通信)に申し込んだのもこの秋である。しかし、とにもかくにも実力がないのだから、毎回の短答の問題が難しく、全く通らない。二、三回出した程度で出すのは、やめてしまった(毎週問題を送って下さったのには、申し訳なく思っております)。しかし、短答のきびしさ、自分の実力のなさを、ほんとうに身にしみて感じさせられたのは、なににもまして、勉強になったと今にして思われる。どの位すれば合格できるのかとため息の出る日々であった。

明けて、昭和四九年。商法に手をつけてみる。すぐに学内試験のために中断。このときの勉強は、能率的であった。試験を目前にしての勉強と、そうでない勉強と、これほど頭に入る具合が違うのかと思われた。試験終了後、商法を一回通読し、あとは短答の勉強にかかる。条文と問題集をむさぼるようにやった(この四月に、法学部へ進学)。しかし、どうしても、合格水準には、一、二点足りないようである。でも、一すじの「もしかしたら合格するかも」という期待をもって、当日会場の立教大学に向かった。

試験後も、全く自信無し。一、二点足りずに不合格と信じていたところ、合格。とにかくあわてた。なにせ、刑訴に商法がほとんど白紙。約一月、その二科目を「やり狂った」という次第である。私という人間は、試験を前にするとファイトが出てくるようで、読む片端から頭に入るという感じで読めた(講義を少しサボるのは残念だったが)。

それでも、商法・刑訴は不安のままに、論文の試験に入る。今年落ちても、来
年があるサ。マア、様子でも見てヤレ、という気持ちで試験場にのりこむ。かなりひどい答案を書いてしまった。商法はやはりダメ。刑訴も、第二問は、頭をひねりまわして、珍理論をこしらえあげてきた。これで、もう不合格を確信。試験後は、来年にそなえて、民法等を読みはじめていた次第。去年よりは、進歩しているはずというのが唯一の救いであった。

八月三一日。合格発表を、「不合格を確認」するために見に行く。ところが、意外にも自分の名を合格者の中に見つけた。驚いたのと、うれしかったのとは、もう言葉にたとえようもない。夢中で、友人のところへ電話をかけていた。この日飲んだビールの味のうまかったこと!

論文も意外に合格してしまったので、またまた、あわてた。とにかく、手薄なところを読むばかりのことをやって、試験をむかえたのである。とても不安であった。全く自信がなかった。また、今年落ちても来年の口述があるということだけをたよりに、試験に入って、一八日から二七日の午後の最後まで、なんとかがんばりきれた。試験官の先生方もあまり難しいところを聞いてこられなかったし、運がよかったのである。そして、あの九月三〇日を迎えたのである。

以上でおわかりのように、私は、予想外の合格をくりかえし、かなりの「泥縄」でここまで来てしまったのである。正に運がよかったのだし、まぐれ当たりとも言えよう。ほんとうに、無我夢中のうちに合格したという感じなのである。あまり学説も知らないし、判例も知らない、私のような者でも、司法試験に合格することは可能なのである。私は、人生経験もない若年ゆえに、これ以上のことを述べる資格をもたないものと思う。

この「体験記」を読まれた方が、自信をつけられる足しにもなればと思い、私を見守っていてくれた、まわりの人々に、この日のあることを感謝しつつ、ペンを置くこととしたい。
(住所 東京都目黒区○○町○-○-○)
https://i.imgur.com/pwgOhpj.jpg
https://i.imgur.com/e7jmknS.jpg
https://i.imgur.com/CK3H9bg.jpg
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

ニューススポーツなんでも実況