世界が美しいだけで生きる気力が湧いてくる
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
空が綺麗とか草花が生き生きしてるとか雨音が心地よいとか いやいいんだ
羨ましい
子供の頃ってそうだったから まあ花の魅力は大人になってから分かった
昆虫の凄さも
でも何か足りない
無くしてしまった 自然が美しいのはそこに一切の作為が無いからだな
どろどろした人間関係に疲れてくると人はそこに至る >>8
たぶん、社会学者だと「どろどろした人間関係」にこそ自然の美しさを見出してしまう可能性がある >>9
社会学者にもそういった情緒があるのなら世界はまだ救われている気がする 割と都会っぽい所に住んでるけど
人が多くて、自然に触れに行くにも億劫になる
近所散歩してと人工的な自然ばかり >>7
>まあ花の魅力は大人になってから分かった
花を美しいと感じる時の「理屈抜きの感情」は、冷静になって考えると結構怖いよね。
なぜ花を美しいと思うのか全く理解できないけど、そう思う感情は歴然とある奇妙な構図。 >>6
ここだとは一言で言えないな
真夏の昼下がりに熱と暑さで少し萎びた花ですら美しいし
夕立の後にちょっと涼しい風が吹いてきて滴のついた草木が光ってるのとか雨の前はクマゼミやミンミンゼミやアブラゼミの大合唱だったのがヒグラシの蝉時雨に代わるのとか >>12
田園風景なども実は自然ではなくて人工物ですよ。 >>13
確かに怖くもある
面白い着眼点だ、好きだなその考え
本能に基づいてるんだろうけど、恐ろしくもあるね >>8
だな
ただあるようにあるから美しい
それはそうと無垢鳥って良い名前だな >>13
デカルトがそのあたり掘り下げてるな。「美善」ってやつ >>12
日本で完全に手付かずの自然に触れるのは難しい
原生林なんてほとんどないし
作られた自然でも俺は好きだよ >>17
ありがとう。自分の内から捻りだした名前だから素直に嬉しい >>15
>>19
そのくらいダイナミックな感じならいいんだけどさ
こっちは徒歩圏内にしょぼい人工的な川や公園しかないんだ
常に道路が見えてて車の音が聞こえてるみたいなね
田舎も田舎で辛いだろうけどさ >>19
都区内では等々力渓谷が原生林の姿を残している希少な場所。
ほとんど無いけど、あるところにはある。 最近美と信仰って似てね?って思ってるんだけどどうなんだろう? >>22
>こっちは徒歩圏内にしょぼい人工的な川や公園しかないんだ
視点を変えれば、しょぼい人工物にも侘び寂びの美しさを見出せるのでは?
ヒビ入りコンクリートに「もののあはれ」を感じてもよいはず。 >>25
わいコンビニのお弁当のふたでも
「きれいだね」って思うよ >>24
信仰は意識の作為が強すぎる。美はもっと無意識だと思う。 >>24
なぜか
いまのあんたがいちばんみにくいぜ!
ってセリフ思い出した >>25
あなたは凄いよ いい感性と落ち着きを持ってるな
確かにそれを感じる事もある
住宅街のメンテされてない壊れそうな家とか、好きだな
廃墟とかポストアポカリプス好きだから 美的感覚は先天的な本能から来るものと、後天的な学習から来るものがあるよね
まあ仏教的には煩悩、執着になっちゃうけど >>24
思うに恐怖をアイコン化して美化した物が信仰だからそこに多少の親和性はあるはず >>30
そうなのかなぁ?
色んなものを学習していって
結果的に全部が美しいと感じるようになったら
もうそれは執着とかないのでは? >>31
信仰って恐怖なんだ?一段上みたいな?
そうじゃなくて、全てが平等に美しいって肯定できたら、それが信仰なんじゃないかって思ったけど、宗教観の違いがありそう >>32
ああ、それはあるね
そこまで行ったら悟りだよ
「私が、」が無くなってこの世の全てが 面白いとか、死すら美しいと思えたら完成だね >>33
俺は死という生物の抱える根源的な恐怖を払拭するための手段が信仰なんだと思ってる >>34
死まで面白いとかは到達できとらんな
正直北朝鮮とかに拉致されたら泣いておしっこ漏らすと思う 信仰は、錯誤に基づいた経済思想の一種であって、錯誤しているなりに意図はあるものの
結局はその意図との現実的な因果は無いところに問題性があるような。 信仰は無知な者を操る道具の役割が1番大きい
何かを信じて頑張るのも宗教だから、宗教の良い面は否定しないが >>37
あったら信仰じゃないし
あったらやばいじゃんw 経済や国家及び集団の勢力に関して言及すると最早それは信仰というよりも宗教団体の在り方の話になるよね
そこがイコールで結びついてしまっているのが悲しくもある >>39
でも、因果が無いのに、少なからぬ人々が信仰を現実に持ち込もうとするでしょ。 多少青臭くはあるかも知れないけど信仰心ってそういった打算の外から生じたものだと思うんだよね
あくまで資産を増やす目的であったり戦争の理由になったりってのは、それ以上に強大な何かに利用された結果であると信じたい >>41
信仰って自己満っつーか
生き方でしょ
例えば「俺は武士道に生きてるのに得しないのはおかしい」とか言わないでしょ 信仰の起源はおそらく、人間に進化する前の類人猿が
理解できない物事をそのままにした結果だろう
畏敬というか
それを政治利用されてしまった >>42
原初の信仰って、おそらく「打算そのもの」で、都合の良い神頼みがまぐれ当たりした際の経験則
が錯誤を生み出してしまったのではないかと思う。 神がやたら物凄いパワー持った存在なのも
あれだよね
何かしてくれるんじゃないかって期待しちゃうよね >>43
欲求が、物質的欲求ではなく精神的欲求である程度の違いの話であって、
武士道に生きる者が「食わねど高楊枝」を決め込む時に、その視点相応の
欲求を満たすための経済思想が動いている。 >>45
確かに民間における信仰心というものが既に生まれた後には打算というものも存在していたと思う
ただそこでいう打算というのは「生贄を捧げれば川の氾濫が鎮まる」といったような、
錯誤があるにせよ「自己の利益がそのまま集団の利益に直結する」というあくまでも藁にも縋りたいという純粋さを含んだものであったのではないかな
後世における戦争加担や拝金主義等に関しても「この宗教を信奉していれば救われる」という盲目的な錯誤は存在したのかも知れないけど、
そういった純粋な思惑とはかけ離れた利権や経済活動の要素を多分に持つものであるのだから、そのあたりを「打算の有無」で一括りにすることには多少の疑問を挟む余地があるようにも思う なんとなく世界公平仮説とかじゃないけど
こんなに良い子にしてるのに辛いことばかり起きるンゴってたまにもやもやしてたけど
良いことって損得と結び付いたら良いことじゃないよね
精神的なものなんだ
なんかアハ体験!! ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています