魔法少女にあこがれてとかいうクソアニメあったよな
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まほあこ感想
百合アニメに見せかけたクソホモアニメ。
こんなのが好きなオタクはホモだと確信した。
百合物は雪の結晶のように繊細で美しい人間関係がミソであるが、『まほあこ』ではそのような描写を捨て、ポルノ的表現に終始している。いかにもオッサン男性が安易な発想で作りそうな三文作品だ。
この作品に見られるのは、人知れず日蔭に咲く二輪の可憐な百合の花ではなく、工場でおっさんが脳死状態で生産している安っぽい百均の造花である。開始数分でその本質に気付いたわいはすぐに視聴を中断したくなった。
作中に『認識阻害の魔法』なる設定が登場したが、この設定の存在も、作者が汚いオッサン男性だという根拠の1つである。
認識阻害の魔法のおかげで、主人公と魔法少女は同じ教室の生徒であっても互いの正体に気づけないのだが、実はこういう細かい設定で矛盾や違和感をカバーしたがるのは男性作者の特徴だ。
かの新海誠作品でもこの傾向が顕著で、個人的に氏の評価を落とす要因である(近年の作品はだいぶ解消されてきている)。
多角的でバリエーションあるポルノ的描写は吐き気を催すほどだが、このクソを愛好している客にとってはそれが好評なのだろう。無駄に時間かけて衣服を破いたりケツをしばいたりシーンから見ても、そういった要素がこの作品のさわりとして作られているのは間違いない。
これらの要素から好意的に想像すると、作者は理詰めで物を考えられる理科系で、男子校と陰系研究室で青春を無駄にしてきた、ポルノのインプット量が広辞苑並なキモヲタという人物像が浮かんでくる。
ドラマを廃し安っぽいポルノを追求した作風は理系ならではの戦略であり、作者の人間的な本質との親和性を発揮してアニメ化するほどのヒットを呼んだのだ。クソではあるが、人気を得たのはまあ理解できる。
個人的に認識阻害の魔法なんて設定は不要で、そこから生じる感情の素材でドラマを広げられたのではと思う。主人公だけが同級生の魔法少女に気づいている・同級生の一人だけが主人公に気づいてる・主人公は知らないが魔法少女たちは主人公の正体に気づいてる、など…。
もっとも、ポルノに走ったオッサン作者には届かぬ想いだが…。
ぼっち・ざ・ろっく!を見たときも思ったが、最近は根暗女主人公が流行りなのだろうか。主人公の人となりがわからず、引きこもりのような人物という印象しか持てなかった。そういったキャラクターであっても、そいつにしかできない何かがあるべきではないか?深いキャラクターというのはそういうものだ。
血潮の流れていない人形のような女がトレンドだとすれば、もう外国人移民の血がなければ日本は落ちぶれていくだけだろう。今の日本人男子には恋愛も結婚もセックスも無理である。
『まほあこ』の主人公は潜在的サドという特徴があるが、仲間から指示されて魔法少女たちをしばいてるだけで自主的に何かやったりはしない。仲間の指摘がなければ視聴者はその設定に気づけないので、キャラに深みが出せそうな潜在的サド要素が、ただ記号を与えられているだけになってしまっている。
また主人公が悪の組織に身を投じる動機も希薄で、主人公のくせにポルノを生み出すだけの舞台装置にしかなれていない。
他のキャラクター…魔法少女たちも初代ローグの敵キャラ以上に記号的でしかなく、主人公が彼女らに憧れていることに共感できない。ポルノ女優以上の役目を果たせておらず、誰ひとり名前を覚えられなかった。
これはドラマじゃなくてポルノだから、といえばそれまでだが、かつて興味本位で訪れた十六シネマで放映されていたポルノ映画は、低品質でありながらも『作品』を作ろうという情熱を感じる内容だった。
清々しいほどエロに徹底した『まほあこ』は、あの場末で見たクソにも劣る冷凍焼けしたゴミにしか思えない。これを賞賛しているオタクは気の毒だかもう手遅れだ。
…思ったのだが、汚いオッサンが作ったポルノでシコってる視聴者は、汚いオッサンの生フェラで射精してるようなもんではないか。
汚いオッサンにオナニーを手伝ってもらって満足しているってことは、確実にホモである。まほあこの主人公は潜在的サドだったが、
このアニメのファンなんと潜在的ホモだったのだ。
百合アニメだと思ったらホモアニメだっただと…これはたまげたなぁ。 >>7
積んで1,2巻とも1万ちょい手前くらいだぞ >>11
マジかそんなに伸ばしてたのか
エロの力は偉大だな ただエロいだけで売れるならもっと売れた作品はたくさんあったはず
まほあこならではの評価がとても高かったんだろう ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています