後醍醐天皇の誇大妄想が戦乱をまねいた
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
一度は鎌倉幕府(というか北条執権政権)を潰したんだし無能とは
でも全てを片付けるには時間も人材もなかった
人材がいてもすぐに暴走する奴らばかり >>3
公家中心の政治なんて時代錯誤するからむちゃくちゃになった >>4
教科書ではそうなってるけど
実際は武家を登用して現実的な政治を取ろうとしていた
でも失敗している 尊氏が頑張ったのに報われなかったからな
そりゃ造反される そもそも天皇家が持明院統と大覚寺統に分かれてたから大覚寺統の後醍醐天皇への権力集中を持明院統が受け入れるはずがない 皇統が二つに分かれたからこそ鎌倉幕府を倒すことで北条独裁政権に対する武家たちの不満は解消された。
更に後醍醐天皇の失政により持明院統の光厳上皇に頼って足利氏が新たな武家政権を誕生させることができた。
後醍醐の政策はすごく参考になったみたいだよ。 >>7
後醍醐は自分の皇女を光厳上皇に勧め、自分は光厳の同母姉を後宮に入れて、後醍醐に運良く皇子が生まれたらそれに跡を継がせることで両者の対立は解消されるはずだったらしい。 結局生まれたのは皇女だったから両統の合体は失敗。47、8歳になる後醍醐には既に皇子や皇女がたくさんおり、しかもそれまで両統の天皇に娘を嫁がせていた西園寺家が外戚の地位を失いかねない状況になり、西園寺家の主の公宗が後醍醐天皇を暗殺しようと計画して失敗、処刑される事件が起きた。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています