大和売女(やまとばいた)、ハワイで問題深刻化。止まぬ売春旅行
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ぶっちゃけ、海外で御商売されてる日本の女性がどれくらい居るのか興味ある 日本がパンスケ輸出するのって
江戸時代からの伝統だぜ
唐行きさんとか知らないか? 19世紀にオーストラリアで開拓労働してた中国人や東南アジア人向けに体売るために集団移住してたのが日本人売春婦
これは史実にも残ってる
マレーやシンガポールでも同じような史実がある
昔からアジア各地で日本女と言えば売春婦の代名詞
現代はそれが西洋まで広がっただけの話 引用:
>日本人娼婦は1887年に初めてオーストラリアに現れ、クイーンズランド州の一部、オーストラリア北部、西部などオーストラリアの植民地フロンティアで売春産業の主要な構成要素となった。19世紀後半、日本の貧しい農民の島々は、からゆきさんとなった少女たちを太平洋や東南アジアに送り出した。 引用:
>朝鮮や中国の港では日本国民にパスポートを要求していなかったことや、「からゆきさん」で稼いだ外貨が送金されることで日本経済に貢献していることを日本政府が認識していたことから、日本人娼婦の海外渡航に日本政府からの妨害もなく、日本の娼婦は容易に海外に出て売春した 引用:
>ボルネオ島民、マレーシア人、中国人、韓国人、日本人、フランス人、アメリカ人、イギリス人など、あらゆる人種の男たちがサンダカンの日本人娼婦を利用した[27]。「くうだつ」には日本人の売春宿が2軒あり、中国人の売春宿は無かった[28]。サンダカンには日本人が経営する9つの売春宿があり、サンダカンの売春宿の大半を占めていた[29]。
アメリカ統治時代、日本とフィリピンの経済関係は飛躍的に拡大し、1929年には日本はアメリカに次ぐフィリピンの最大の貿易相手国となった。経済投資に伴い、商人や庭師、日本人娼婦(からゆきさん)などを中心とした大規模なフィリピンへの移民が行われた。ミンダナオ島のダバオには、当時2万人以上の日本人が住んでいた。 引用:
>明治日本の帝国主義の拡大に日本人娼婦が果たした役割については、学術的にも検討されている[17]。
バイカル湖の東側に位置するロシア極東では、1860年代以降、日本人の遊女や商人がこの地域の日本人コミュニティの大半を占めていた[18]。玄洋社や黒龍会のような日本の国粋主義者たちは、ロシア極東や満州の日本人売春婦たちを「アマゾン軍」と美化して賞賛し、会員として登録した[19]。またウラジオストクやイルクーツク周辺では、日本人娼婦による一定の任務や情報収集が行われていた
日本売女はロシアにまで行ってたんだな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています