愛新覚羅溥儀

溥儀は中華人民共和国に文化大革命の嵐が吹き荒れる中で癌を患った。
政協全国委員という要職ではあるが、清朝皇帝という「反革命的」な出自の溥儀の治療を行うことで紅衛兵に攻撃されることを恐れた多くの病院から入院を拒否されたが政協主席も務める周恩来の手配で、北京市内の病院に入院することになった。
しかし溥儀が治療を受けていることを知った紅衛兵が、入院先の病院に押しかけて騒いだため、医師たちは溥儀に治療を施さず放置した。
その報告を受けて立腹した周恩来は直接院長に電話して溥儀の治療を行わせたが、既に末期状態だった溥儀は治療のかいもなく1967年10月17日に死去した。
「最後に食べたいものは」の質問に、溥儀は「チキンラーメン」と答えたという。