小説読んでてん?どういうこと?っていう文章が多いんだが?
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もしかして俺アスペなのか?
でもアスペルガーの方が小説とか好きそう とあるとかさすおにとかの日本語が終ってるレベルの小説読んでるなら普通 >>3
今まで小説以外の本を読んできてそういう体験がなかったってことか? >>4
いやラノベは読んでないよ
基本的にメジャーで有名で小説 アスペの疑いはどの辺りから?
小説の読書以外でも心当たりあるのか? >>8
ほんまに説明したりするの苦手だわ
日本語組み立てるの苦手 具体例があると助かる
この小説のこの文章が分からなかったとか教えて すべて「一途」がほとばしるとき、人間は「歌う」ものである。その人その人の容器に順って、悲しさを歌い、苦しさを歌い、悦びを歌い、笑いを歌い、無意味を歌う。それが一番芸術に必要なのだ。これ程素直な、これ程素朴な、これ程無邪気なものはない。この時芸術は最も高尚なものになる。素直さは奇術の反対である。そして、この素直さから、その人柄にしたがって、涙の裏打をした笑いがほとばしるなら、それはそれで一番正しい。そして中村氏は、かなり本質的に、「悲しき笑い」の持ち主ではある。 円城塔の小説を読んでるときは俺もよく同じこと思うわ >>12
受付の前から、アルミサッシの枠ごしにすくいあげるようにして、色褪せた赤と青のベンチが並ぶスタンドを背に、モデルハウスが数棟建ち並んでいるのを見ることができた。
この文章とかよくわからんかった。
情景が浮かんでこない。 スレの趣旨とは違う話になるかも知れないけど
小説を『純文学とラノベ』という大雑把な分け方をしたときラノベ作家の方が文章力や表現力に優れている傾向があると思う
すべてがそうだというわけではないが「よくこんな駄文でプロを名乗れるなコイツ」みたいな純文学は多い >>17
まあ窓越しにモデルハウスの建物が並んでるの見えた
くらいでよかろう
掬い上げ云々とベンチのくだりは俺も分からんわ
窓→ベンチ→モデルハウス
のレイヤーくらいなんかね?
まあどうでも良いと思うけど >>20
まぁ普通の人でも分かりにくいか
>>21
なるほどね >>17
情景がイメージしにくいとオレも思った
これはしょうがないんじゃないか 誰が書いたのかマジで気になるわ
作品名教えてくんない?
怖いもの見たさで調べてみたい まあアンナカレーニナ上下読破したと思ってたら後から「中」が出てきた俺にはかなうまい 偏見100%で言うけど
時代劇書いてる人は難解に書きたがる傾向にある
まあ重要じゃないなら適当に目滑らせて良いと思う
飽きたらポイしちゃへ 正直評論とかのが文体による読みづらさの影響受けにくい分小説よりも読みやすいのはある
っていうか個人的には小説そのものが割と読みづらい 大御所になればなるほど、アホでも分かるように書け、という圧がなくなるからな
好きなように書いた結果がこれならアホはおまえだろって気もするけど 春琴抄とかたけくらべとか
100年近く学者ですらどういうこと?って揉めてるから大丈夫 芥川賞候補作読むと発狂するぞ
まじでクソ文章のオンパレードだから 主題:「モデルハウスが見えた」に対して
- 主人公の状況説明:「受付のまえから」「アルミサッシの枠ごしにすくいあげるように」と、
- モデルハウスの状況説明:「スタンドを背に」「数棟建ち並んでいる」
- さらにスタンドの説明: 「色褪せた赤と青のベンチが並ぶ」
といった無駄な言葉が入り乱れて、かつ主題とは直接関係ないはずの「スタンド」についての説明が一番具体的だから混乱する。
さらに「アルミサッシの枠ごしにすくいあげるように(見えた)」は多くの人は理解できないので思考がストップする。
といった感じか。 純文学が難解になるのはしゃーないだろ
ちょっとでもテンプレ要素入れたら負けなんだから >>45
よく分解して書いてくれたな
大義であった ていうかさあ
モデルハウスが重要なモチーフになってるのでもなけりゃ
この下りまるごといらないよね
俺もよくやってる文字数稼ぎかな? よかった!
宮部みゆきはやっぱり俺より偉かったんだね! >>46
「難しい=高尚さ」とか勘違いして必要もなく難しくしてるだけの悪文が多いってことじゃないかな
「文学“風”の文章であること」と「文学であること」は違う 村上春樹なんかは文章自体はワケ分かんなくないけど何言ってるか分からないって感じだった記憶 >>17
この一文だけでは判断しづらいな
おそらく前後の文脈もあいまった文章だろう つまり先生はわざと難解な描写を入れることで
普通なら読者が何の感心も抱かないであろうモデルハウスについて
「ココ重要デスヨー」とメッセ送ってるわけだ
俺も後で真似しよ >>54
まぁ確かに前提条件とかもあるかもね
野球場の中のモデルハウスを観に行ったという前提がある >>55
いや、写真に写ってたモデルハウスを探してた。
そして野球場内にあるモデルハウスということがわかったので、実際に野球場に来たっていう背景がある >>56
やはりな
その前提条件があるなら全然分かる文章だと思う
あと、小説は文章が分かりやすいだけが正義じゃないからね
出したい雰囲気や視点など演出によって変わって来る
特に一人称の場合、その語り手の知性や性格を反映させるし>>55のように目立たせたい文章をズラすことだってある
これが分かれば小説もグッと面白くなるよ >>55
読者の注意力を喚起するために、敢えて自然な流れを断ち切って引っ掛かりを作るのは確かに小説に限らず物語作品にはよくあるね >>58
けど分かりにくくねぇ?
アルミサッシの枠ごしにすくいあげるように
これはマジで分かりにくいやろ >>57
>そして野球場内にあるモデルハウス
それは事前に必要な情報だな
「ベンチの並んだスタンドを背にモデルハウスがある」っていうのは、前もって上の情報がないと「???」ってなるわ
スタンドよりも手前側にモデルハウスがないと「背にある」ってならないけどそんな状況は普通まずないからイメージできん
球場内にモデルハウスがあったのか >>60
「アルミサッシの枠ごしって何だ?あぁ、窓から見たのか」となるはずだが
文学作品は読者に考えさせる表現も使うよ
そして考えさせるとより鮮明にその場面を描くだろう?
球場内にあるモデルハウスの解像度を高めたいんだよ >>32
ドグラマグラはキチガイ風味にしてるからしょうがない >>64
俺はそうはならなかったのである。
窓から見たってことか 洋書を翻訳したヤツなら時々こういうのに当たるけど宮部みゆきかよ >>66
もしかしたら窓ではなく、ただ穴の開いたアルミサッシの枠だという可能性もあるけどな
まあそれはどうでもよくて分からない表現があれば調べてみるのもおすすめ >>60
そうだな
「すくいあげる」についてはまだ分からんわ
サッシの枠越しに何かが見えるとき普通「すくいあげる」ように見たり(見えたり)しないよな
空間的な深さ(100歩譲って「奥行き」)があるものに対して使えはするけど、こちら側から能動的に働きかける(すくう)ような動作が必要な言葉だし
受付の前に窓があってそのアルミサッシ越しに(球場内に建っている)モデルハウスがスタンドを背にしているのを見ることが出来るのはいいとしても「すくいあげる」ように普通は見ない
というか何かを見るときに「すくいあげるように」なんて言葉は、どう好意的に解釈しても見る主体が掴んだり持ち上げたりして動かせるサイズ・重量の対象にしか使えなくないか?
体を傾けたり身を乗り出して視点を移動させることで見たとしても「すくいあげる」は使わん(使えん)だろうし まず「すくいあげる」という動作を思い浮かべよう
手か道具を上から下に動かし、対象物を取ったら今度は下から上に動かすだろ?
つまり目線を上から下、下から上に動かすように、窓から見える景色全てを満遍なく見たということだよ >>60
一般的に使われてないから文学的にオシャレってことなんだろ
この小説を読んでないからわからんが
おそらく登場人物の心象風景と結びついた描写なんだろうな
そうでなければただのかっこつけポエムだ
それは別にして>>64の解説と文はわかりやすくてすばらしい 枯山水バンカーが爆発した
くらいのシンプルな表現で良いよ なんであるのか分からんが球場内にハウスがあるのね
ベンチスタンドがお椀の様に並んでて、その真ん中底にハウスがある訳だ
お椀で豆を掬ったら豆が椀の真ん中に転がる様に
球場内にハウスが真ん中にあって、それら球場ハウス合わせて掬うようにって比喩ってんのね
・・・でっていう 人👁-受付-アルミサッシ----(遠近法で救えそうなくらい小さいけど近くあるように感じてしまう)----モデルハウス-------スタンド
こんな感じ?? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています