PSYCHO-PASS3ってなんであんなことになったんだろう
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
別にPSYCHO-PASSシリーズにしなくてもよくなかった? PSYCHO-PASS自体がさ
制作者側が踊る捜査線のアニメ版って明言されてるくらいあのドラマを意識したものだから面白ろかったんだよ
でも映画も続編も無印の設定引き継いで別の作品を作る踊る大捜査線を忘れた作品になってしまった 具体的には無印はどの事件もさ
まるで主人公側が「公安」という脇役のように犯罪者とマキシマのやり取りを軸とした犯罪者が主人公(ときには誰かわからない)のような回があってさ
そのうえで人間関係の落とし穴や怖さ、そのうえでの救いややるせなさをヒューマンドラマとして描いてたわけだ 無印で工場でモブが発狂して未来の重機乗り込んで暴れてそれを主人公側が大捕物した回だってさ
その最後の大捕物の活劇はむしろオマケでじつはあの話の主人公は「愚かな工場長」だったわけだ 工場長は閉鎖された地下の工場で働く作業員のストレスのはけ口を作るためにさ、イジメを容認していた
誰か弱いものをイジメてる間は作業員は団結するし他の問題は起こさない。そしてイジメられ役が潰れたら即移動して、新しいストレスのはけ口役を設ける
イジメられたほうは移動してこの現場のことな忘れれればいいし、イジメる集団側はストレスのはけ口を与えておけば真面目に仕事する
みたいな思想を工場長はまるで自分が有能な人間のように得意げに別件で聞き取りにきた公安である茜ちゃんに語ったわけだ
「何か問題が起きてるようですが?」「あー、アレはいいんですよ」てな感じの軽い感じでね そうやって視聴者のほとんどがヤキモキするわけだ(んなわけないだろ?)みたいな
でも茜ちゃんは眉を潜めつつも、そもそも別件で聞き取りに来てるんだからそれ以上目の前のイジメに関わることはしないし、発言権のない狡噛に至ってはもちろん何も口を出さない
その謎の事件を追う上での過程しかなかったはずの地下工場という場面で思わぬあの世界の日本社会の歪んだ一面を背景として見せられて、そのうえで事件がそこで起こるわけだ サイコパスは1の時点で幼稚やろ
雑なマイルールで謎と真相つくるから 実は無印の中盤まではそういうオムニバスな犯罪者たちが主人公のストーリーなんだよね。
空っぽで中身がないからこそ他人のなりすましが本人より完璧だった男
表向きは何不自由ないお嬢様育ちだけど根本的な部分が狂ってるガチレズ女子高生
そういう奴らを掘り下げて、そういう奴らの目線でマキシマを見たりマキシマがそいつらを実は気に入ってたり、そんでいつの間にか犯罪者側に少し共感してた視聴者が今度は怖い怖い主人公側が追ってくるとい
う新感覚のスリルを味わえたりしてグイグイ視聴者を引き込んだのが無印だと >>9
アニメ見てる層なんて元々幼稚だからちょうどいいだろ そんで各エピソードごとに「名言」と「印象的な過激なシーン」を取り混ぜるこも視聴者をグイグイ惹きつけたと思われ
「血に飢えた猟犬(主人公側)が迫ってきた」の台詞とか、例のアレで撃たれて腕ボコボコになって破裂したのに構わず逃げ続ける犯人とか(作中の痛覚遮断のドラッグ)
あと親友が下着姿で連れ回されて喉切られたり でも映画版は主人公側がそれぞれ大技披露するアクション映画に変わり果てて、犯人グループは犯人グループで人格や生い立ちになんの掘り下げもない
みんな同じような顔の外人グループがなんか不正してシビュラシステムをパスしてましたってさ、不正が通るならもう茜ちゃんとかマキシマの特異性はどうでもよくなるだろ?と世界観ぶち壊し 続編にいたっては前編通して引っ張った黒幕の価値観と動議がひねりもないし、ひねりもないうえでなんでそんなことに執着してるかもわからんわ
あの世界観でデフォルメされたニワトリキャラが魔女を撃つ2Dのゲーム流行る?みたいな違和感とかさ
いろんなことがさ、踊る捜査線テイストからかけ離れたのがさ
聞いてる? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています