君の名は。で「入れ替わってる!」っていうけど単なる思い込みだよな
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自己同一性って肉体の連続性で評価されるのが普通だと思うし
例えばアルツハイマーは記憶もなくなって人格も変わるけど「アルツハイマーが進行したら安楽死させてください」みたいな希望出す人もいるわけで おすぎ「ええっ!?」
ピーコ「これってまさか!!」
おすぎ・ピーコ「入れ替わってるううううううう!!!!」 マッドサイエンティストがいて脳改造装置でAさんにBさんの記憶を人格を植え付けて、BさんにAさんの記憶と人格を植え付けたとしてAさんとBさん自体が入れ替わってるのかって話だし マッドサイエンティストがAさんに「これからあなたにBさんの記憶と人格を植え付け、Bさんにはあなたの記憶と人格を植え付けます。
その後どちらか一人を拷問しようと思うのですがBさんの記憶と人格が入ったAさんの肉体と、Aさんの記憶と人格が入ったBさんの肉体のどちらを拷問してほしいですか?」
って言ったとして
Aさんだとしたら直感的にAさんの記憶と人格が入ったBさんの肉体が拷問されることを選ぶだろ 君の名は。だとたき君の記憶と人格を持ってたのはみつは一人だったけど
もしたき君の記憶と人格を持つ人がみつは意外に100人現れたとしてどの人がたき君と同一人物なのかって話だし 記憶入れ替わる系のストーリーで元の体に戻らなきゃ!みたいな展開になるけどあれはおかしいと思うわ
肉体の連続性(というか脳の連続性)が自己同一性を決めてると考えるのが普通の認識のような気がするし
「なんとかして人格と記憶を入れ換えよう!」というより「なんとかしてAさん(ないしBさん)風の体に整形しよう!」となるのが普通の発想だと思う
ていうかなんで起こったかもわからない記憶と人格の入れ換えより整形の方が現実的で絶対確実だろうし 記憶と人格で自己同一性を評価するなら将来のアルツハイマーは今の自分とは同一の人物じゃないと評価するのが普通だろうし幸せにしてあげるべきだけど
将来のアルツハイマーは今の自分と同一の人物として考えるから愛する人を覚えてないのが嫌だからとかなんとかで「安楽死させてください」っていう同意書を書いて、でいざアルツハイマーになったらそんなこととはつゆ知らず「死にたくない!」って言いながら医者に殺されるっていう下り坂現象が起こるわけで >>8
①AさんとBさんの記憶と人格のデータをコンピュータにコピー
②AさんとBさんを寝かしての記憶と人格を削除
③AさんにBさんの記憶と人格を入れる。BさんにAさんの記憶と人格を入れる
このときAさんとBさんは入れ替わったといえるのか?
こっちのが分かりやすいか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています