努力論は才能の暴力の前では無力化する
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例えばボクシングの世界で才能モンスターの井上尚弥が相手だったら無理ゲーと化す
その井上尚弥ですらも階級というルールに守られていなければ無理ゲーと化す
努力は才能の暴力を前提としていない時点で論理が破綻している なんでお前らって努力を才能とは別パラメータだと思うのよ 努力しないやつって才能あるやつは努力しないって思い込んでるよね >>2-4
才能×努力だから
例えばコイキングはレベル100の努力をしてもレベル50程度のポケモンのステータスにしかならない 才能が必要なのはヒエラルキートップに立つのに必要なだけで普通に生きていくだけなら努力すればそれなりの生活できるし >>5
アホだねえ現実は努力×運だろうに
ゲームから学ぶからそういうバカな結論に至る 正式な名前が無いのかやたら長いけどこれでググれ
イグノーベル経済 学賞 の成功するのは才能ある人 では なく ただ 運のいい人で あることの数学的説明 >>5
努力した結果は他人と比べるんじゃなくて自分と比べるものだよ
レベル1のコイキングとレベル100のコイキングどっちが強い? >>10
それが通用するのは競合他社が存在しない世界だけ >>7
カフカの言葉で「僕が必死に頑張ってようやく1段上っている間に他の人達は易々と
5段、10段と上っていってしまいます」ってのがある >>12
一段しか登れない人にしか見えない景色もあるんだよ
蛭子能収なんて絵の才能は一段だったとしても絵を利用して色んなものに展開して億稼いでたろ この手の話って結局努力しない理由にはならないしそれを語ってどうしたいのかが全くわからん 誰もが同じ努力コストで同じ成果を得られるみたいな風潮は違うよなとは思う 才能って実は努力と思わず努力する力だよ
日常のあらゆる場面でそれに必要な動きや考えを無意識にやってるの >>9
これって才能あるコミュ障よりも並程度のコミュ強のが運に恵まれ成功しやすいですよって話? >>17
>>9をまじで調べてくれ質問したいならその後で成功している人のほとんどは普通の人 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています