>>46
補足すると俺の親の古里は山形県米沢市という
件としては山形の配下だが、もとは米沢藩の城下町だ。県都のある山形市は山形藩の城下町で、廃藩置県前なら「山形とは別の藩」だった

廃藩置県の記憶がまだ残る大正時代の米沢市の人口は4万3000人、当時の山形市は4万8000人だった
それが県都・山形市優先の県統治が大正昭和平成令和と続いた結果、いまは山形市が24万、米沢市は8万割れという格差っぷりだ。3分の1しかいないわけ

少なくとも山形に関してはそんな風に新庄市は新庄藩、天童市は天童藩と、各自治体ごとに藩があった。それぞれが米沢よろしく山形藩とは別の、それに匹敵する独自文化圏があったというわけだ
ところが「県民性」とか「県文化」は県内各地の藩文化を、運よく県都に設定された地域文化によって上書きされて単一化されて成り立つものであるから、県文化の尊重が地域主義とは俺は思えないのよ