右大臣・藤原兼家の息子として、貴族社会デビュー後順調に出世を重ねる

正暦元年(990)、父・兼家が死去し、長兄道隆が関白へ

長徳元年(995)、兄・道隆が病により死去し、次兄の道兼が関白になるが、大流行中の疫病にかかりすぐに死去

道隆の息子・伊周と激しく後継の座を争うが、姉の詮子(一条天皇の母)の支持を取り付け、右大臣・内覧へ

後に左大臣となり、摂関の職務たる内覧を務めながら、公卿達のトップとして彼らを主導するようになる

娘三人を后にするという前代未聞の所業を成し遂げ、長和五年(1016)には、外孫の後一条天皇が即位する

その後出家し、太閤として専権を振るうようになる