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「何を考えるか、ですか?自分が死ぬときに?」
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2024/02/06(火) 13:27:19.759ID:+kGE2jmN0
 ふと気づいたときには部屋は赤に染まっていた。一流ホテルのスイートとは言わないまでも、シティホテルのセミスイートくらいの値段はするという。特別室はこの病院で一番見晴らしのいい最上階の角にあった。一般病室よりも一回り大きな窓の向こうでは、沈みかけた夕陽が見下ろす世界のすべてのものに明日の再開を固く約束していた。
 掃除の手を止めて景色に目を奪われていた僕は、太く柔らかな声にベッドのほうを振り返った。僕が入ったときには新聞を読んでいたはずの特別室の主は、いつからか僕と同じように窓の外の夕陽を眺めていた。
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2024/02/06(火) 13:28:00.911ID:+kGE2jmN0
「何を考えるか、ですか?」
赤く染まったその横顔に僕は聞き返した。
「自分が死ぬときに?」
「そう」
彼は頷いた。年は五十代に差しかかった辺りだろうか。豊かなグレーの髪。いくつかの深い皺。太い眉と鼻筋。僕がアルバイトを始めたときには、すでに特別室にいたように思う。とするなら彼は、少なくとも二ヶ月近くこの病院に入院しているということになる。
「死ぬまさにその瞬間、自分は何を思い浮かべると思う?」
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2024/02/06(火) 13:28:21.094ID:+kGE2jmN0
 まるで夕陽に向かって問いかけるかのように彼は言った。そんなに長く入院しているのだから、もちろんどこかが悪いのだろうが、がっしりした体つきがそれを感じさせなかった。長い入院患者は得てして不精になるものだが、彼はきちんと髭を剃っていたし、髪にもくしが通っていた。ネクタイを閉めればそのまま一流企業の重役くらいには見栄えがしそうだった。
「わかりませんね」
 ゴミ箱に入っていたわずかなごみをまとめ、しばらくその場で考えてから僕は答えた。
「結構、馬鹿馬鹿しいことのような気がします。昔、読んだ四コママンガの一コマとか」
「四コマ漫画の一コマ?」
 夕陽から僕に視線を移して、彼は聞き返した。
「それは、どんなもの?」
「いえ、特にどんなのとかではなくて、たとえば、です。わからないです。小学生のころに好きだった女の先生の膝小僧のことを思い出すかもしれないし、ふじさんろくにおうむなくとか、そういう、てんで意味のないことを考えるのかもしれないです。わからないです。全然」
「そう」
彼は頷いて、手にしていた新聞のベージをめくった。
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2024/02/06(火) 13:28:50.548ID:+kGE2jmN0
「すみません」と僕は謝った。
「何が?」
 老眼鏡だろう。眼鏡をかけかけた手を止めて、彼はレンズの上から僕に聞き返した。
「何か、もっと気のきいた答えができればよかったんですけど」
「いやいや」と彼は笑って、眼鏡のブリッジを指で押し込んだ。「四コマ漫画に膝小僧にルート五。十分に面白かったよ。参考になった。」
 新聞を読み始めた彼に曖昧に一礼して病室を出ると、僕は清掃用具の入ったカートを押しながらエレベーターホールへと向かった。
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2024/02/06(火) 13:29:19.087ID:+kGE2jmN0
 死ぬ間際に自分が何を考えるのか。
 普通ならば馬鹿げて聞こえる質問も、病院という閉鎖された空間では確かな現実感をもって耳に響いてくる。人は生まれ落ちたその瞬間から死に向かって歩き出す。普段は目を背けているしに単純な事実を、ここでは否応なく意識することになる。どんなに完璧な治療を施したところで、それはいっときの延命に過ぎない。自分の足で歩いて病院を出ていった患者だって、やがては病院に戻ってきて、いつかは自分の足では歩けない身となって病院を出ていくのだろう。今か、五年後か、十年後か、数十年後か。まさか何百年と違うわけもなく、十の単位で左手に繰り越すのなら、それは両手で足りる年月の違いでしかない。だったら、人とは限られた熱量を消費するただの有機体に過ぎないのだと悟ってしまえばいいのかもしれない。けれどもそうなったらなったで、人は自分の正気の在り処さえ見失うような気もする。
 エレベーターで三階まで降り、灰皿を片付けるために喫煙所へと足を向けた。カートの下のキャスターがからからと乾いた音を立てた。午後五時すぎ。午前九時の診療開始とともに人で埋めつくされる病院も、外来受付の終わる午後三時を回ると途端に静けさを取り戻す。入院患者と医療スタッフ、事務員に僕のようなアルバイトの清掃員まで合わせれば、病院には常に三百人以上の人間がいることになる。三百人以上の人間がかもし出す物音は、それでも音自体に何かに遠慮しているようにひっそりとしている。
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2024/02/06(火) 13:29:36.843ID:+kGE2jmN0
 顔見知りになっている入院患者と会釈を交わしながら、静かな廊下をゆっくりと歩いた。喫煙所は無人だった。僕は少し離れたところにあるナースステーションの様子をそっとうかがった。声は漏れてくるものの、差しあたって誰かが出てきそうな気配はない。僕はカートを廊下に出したまま喫煙所の椅子に座り、作業着のポケットから煙草を取り出して火をつけた。二時間ぶりのニコチンが僕の脳をゆっくりと弛緩させていく。吐き出した煙は、何かの形を取る前に、壁に備え付けられた空気清浄機に吸い込まれていった。
「失礼」
 しゃがれた声に慌てて振り返った。幸い、病院の職員ではなかった。勤務時間中にのうのうと煙草を吸っているところを見つかれば、クビにはならないまでも、持って回った嫌味の一つや二つは聞かされる羽目になる。
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2024/02/06(火) 13:29:54.812ID:+kGE2jmN0
 見覚えのある老人だった。七十をとうに越していることくらいは想像がつくが、それ以上は特定しづらい。検査でもあったのだろうか。寸足らずの作務衣のような入院患者用の検査服を着ていた。老人は僕の隣に腰を下ろすと、手にしたパッケージから煙草を引き抜いた。ポケットなどないのに、あたかもそこを探すように胸の辺りを押さえて軽く舌打ちした老人を見て、僕は自分のライターを差し出した。
「よかったら」
「ああ、悪いね」
 老人は言うと、僕のライターで煙草に火をつけた。深々と吸われた息に煙草の先が赤く燃える。
 ああ、と熱い風呂に肩まで浸かったようなため息が聞こえた。
 うめえや。
 ゆっくりと煙を吐き出し、心底うまそうに老人は言った。僕のライターを握ったまま、体の隅々まで巡った煙草の煙を楽しむようにうっとりと目を閉じる。
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2024/02/06(火) 13:31:23.498ID:+kGE2jmN0
 僕らの正面にはインフルエンザの予防を訴えるポスターが貼られていた。
『外から戻ったらうがいをしましょう』
 医療の発達というのもそれほどでもないらしい。
「病院てのは」
 二口目の煙を吐き出したあと、老人がぼそりと言った。
「おかしなところだな」
 僕は老人を見た。いつから目を開けていたのか、老人はポスターの隣りにある入院食の献立表を眺めていた。その献立表を眺めたまま老人は呟きを続けた。
「妙な噂が出回る」
「噂、ですか?」と僕は聞き返した。
「うん。噂」と老人は頷いた。
「出回りますかね」
 老人が眺める献立表を見ながら僕は言った。
「出回るね。出回る。」と老人は相変わらずうまそうに三口目を吸いながら頷いた。「みんな暇だからだろうな、きっと」
 今日は二十六日の月曜日。夕飯はマスの塩焼き、里芋と椎茸の煮物、キュウリとキャベツの味噌汁。キュウリとキャベツの味噌汁?
「どんな噂です?」と僕は聞いた。
0009以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします
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2024/02/06(火) 13:32:14.336ID:+kGE2jmN0
 「そりゃ色々だよ」と老人は言った。「まあ、他愛のないのが多いけどな。婦長と外科部長ができてるとか、二階の西病棟の男子便所には医療過誤で死んだ何とかさんの霊が出るとか、副作用が強すぎて認可の取り消された薬が名前だけを変えて投与されているとか、まあ、罪のないのが多いな」
 「はあ、なるほど」と僕は頷いた。
 明日の朝はロールパンにフルーツヨーグルト。インゲンとトマトのサラダ。お茶。ロールパンにお茶。
 「でも、まあ、中には罪な噂もある」
 「ありますかね」
0010以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします
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2024/02/06(火) 13:32:50.425ID:+kGE2jmN0
 「あるね。あるよ。中でも飛び切りなのが必殺仕事人伝説ってやつでな。これは一部の長期入院患者しか知らない。不思議なもんで、長期の、しかも末期の患者の耳にしか入らない。おかしなもんだよ。噂にはそういう力があるのかな。必要としている人の耳にしか入らないような。あるのかもしれないな。俺も楢崎って人から聞いてな。知ってるか?先週までこの階にいた」
 「いえ」と僕は言っておいた。
 「死んじゃったけどな。でも、まあ、綺麗な死に顔だった」
 「そうでしたか」
 「ああ、綺麗だった。さっぱりしたというか、楢崎さんも死ぬ二週間ほど前にその噂を聞いたらしい。それももうじき死ぬ人から。おもしろいだろ?」
 「どんな噂なんです、その必殺仕事人伝説っていうのは?」
 「いや、これがな」と老人は笑いながら言った。「死を間近にした患者の願い事をかなえてくれる人がこの病院にいるってのさ。たった一つだけ、けれど必ず、患者の頼んだことをその死の前に何でもかなえてくれるんだそうだ。人間ってのはごうくつな生き物だよな。死ぬとなるとどうしても心残りってのが出てくる。何もかんも諦めて、坊さんみたいに清らかな心で死んでいくってわけにはいかない。いいものを食いたいし、いい女も抱きたい。そんなもんに切りはないけど、でも、これだけはどうしてもってのも、一つくらいはある。死ぬ前にどうしてもってのがな、一つくらいはあるもんさ」
 「ありますかね」
0011以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします
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2024/02/06(火) 13:33:40.419ID:+kGE2jmN0
 「あるな。ある」と老人は言った。「だから罪な噂だと思うんだよ。どうせかなわぬものと思えば、人間どこかで諦めるしかない。諦め切れなくても、諦めたふりくらいはするしかない。でも、そんな噂があるんじゃ死ぬに死にきれなくなる。だから罪な噂だってな、そう思うんだ」
 「罪な噂ですね、確かに」
 「まあ、信じてるわけじゃないけどな。でも、楢崎さんが死ぬ寸前に教えてくれたことだから。死んじゃう人が俺に嘘ついても仕方ないし、それに何より、あの人、綺麗な顔してたからな。一ヶ月間の便秘が治ったみたいにさっぱりとしたな。だからさ、ちょっと期待しちゃったりしてよ」
 「はあ、なるほど」
 「その噂じゃない、いや、あくまで噂だけど」
 「はい」
 「その仕事人は病院の掃除婦に見をやつしてるんだってさ」
 老人は変化を探るようにちらりと僕を見た。
 「もしそんな人がいるとして」
 老人の視線を無視して、僕は聞いた。
 「頼みをきいてくれるだとしたら、いったい何を頼むんです?」
 老人の視線に力がこもった。
 「きいてくれるのか?」
0012以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします
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2024/02/06(火) 13:34:45.863ID:+kGE2jmN0
「だから、もし、ですよ」
「もし、か。そうか」
 老人は呟いて、視線と体から力を抜いた。
「ま、期待してたわけでもないけどな」
 老人は煙草の火を消すと立ち上がった。
「もし、なら言っても仕方なかろ。言うだけ俺が安くなる。未練がましいや」
 喫煙所を出ていこうとした老人に僕は言った。
「その噂には一つ間違いがあります」
 老人が僕を振り返った。
「何でもってわけにはいきません。僕にもできることできないことがあります」
 一瞬ぼやけた老人の視線が僕の顔に焦点を戻した。
「あんた・・・・・・」
「できる範囲のことでなら、お話、うかがいましょう」
 老人は僕の顔をじっと見ると、僕の横に座り直した。
 「あんたが、本当にそうなのか?」
「厳密に言うなら、僕は必殺仕事人ではありません」
0013以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします
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2024/02/06(火) 13:37:54.546ID:zjMhFJLp0
死ぬときは意識が朦朧として支離滅裂なことを考えるらしい
あと視界が歪んで三途の川が見えたり
0014以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします
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2024/02/06(火) 13:38:44.758ID:+kGE2jmN0
 厳密に言うなら、僕は必殺仕事人ではない。それはこの病院にずっと前からあった噂だ。老人が指摘した通り、その噂は死を渡り歩くように末期の入院患者の間を巡っていた。僕がそれを知ったのは、この病院で清掃のアルバイトを始めてしばらくしてからのことだった。そのころ、、必殺仕事人は深夜の病棟に忽然と現れる黒衣の男ということになっていた。
「他愛のない御伽噺ですよ」
大正生まれの老女はそう言って、少女のように微笑んだ。
「でも、もし本当にいたら素敵じゃありません?鞍馬天狗みたいで」
「かっこいいですね。怪傑ゾロみたいで」と僕は言った。
0015以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします
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2024/02/06(火) 13:39:11.429ID:+kGE2jmN0
 僕らは屋上にいた。屋上で煙草を吸っていた僕に老女が煙草をねだったのだ。
「それで、もし、そんな人がいたら」と僕は煙草の火を踏み消しながら聞いた。「いったい何をお願いします?」
「それはねえ」
老女はまだ長い煙草を落とした。
「復讐」
 老女が入院患者用のビニールスリッパを履いているのを見て、僕は自分のスニーカーでその火を踏み消した。
「穏やかじゃないですね」
「ええ」
 老女は艶やかに笑った。
「穏やかじゃないんです」
 それがかなうのなら、と老女は続けた。
「私はためこんだ小銭、全部吐き出してもいいんですけどね」
 僕は聞きとがめた。さもしいとは思いながらも、聞いてみた。
「それは、いくらくらいです?」
 おやおやと老女は笑った。
「いや、実際問題として」と僕も笑いながら言った。「鞍馬天狗も怪傑ゾロもその必殺仕事人も、まあ、おいておくとして。実際問題、あなたの復讐を代行してくれる人がいたら、いくらくらい払う気があります?」
「お兄さんは」
 この会話があくまでも冗談であることを示すように老女は口もとの笑みを絶やさずに言った。
「いくらご入り用です?」
「二十三万九千円」
「中途半端ですね。何のお金です?」
「授業料です。大学の。分納する半期分が二十三万九千円」
「おや、学生さんでしたか」
「先月までバイトしていた家庭教師の派遣業者が潰れまして。本年度の前期の授業料に充てるつもりだったバイト代が入ってこなくなりました。腹が立ったんで、酒が飲みたくなって、飲み屋を梯子しているうちに気が大きくなって、気づいてみたら、十万ちょっとあったはずの貯金もあらかたなくなってしまっていて」
 おやおや、と老女はまた笑う。
「お恥ずかしい」
「それで、ここで?」
「ええ、まあ。いざとなれば親に借りるという手もあるんですけど、それにしたっていずれは返さなきゃいけないわけですから」
「偉いんですねえ。今時の大学生はみんな親掛かりかと思ってましたよ。」
「自慢じゃないですけどね」と僕は笑った。「家がちょっとばかし貧乏なんです」
 あらあら、と老女も笑った。
0016以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします
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2024/02/06(火) 13:39:29.846ID:+kGE2jmN0
 僕らの上の晴れ渡った空を大きな飛行機が尾を引きながら飛んでいった。
「二十三万九千円」
 その飛行機をちらりと見上げて老女は言った。
「払えない額じゃありませんねえ。あっきじゃ使い道もないでしょうし」
 そう言った老女の口もとにはまだ笑みがあった。
「でも、まあ」と僕も笑みを絶やさずに言った。「たとえば、人殺しとか、そういうことは、ねえ」
「そりゃ、もちろんそうでしょうとも」
 ほんのちょっといた、と続けた老女は人差し指を顎に当て、少し首をひねってみせた。
 僕は必殺仕事人伝説を受け継ぎ、噂の中で、いつしか黒衣の男は鼠色の作業着の掃除夫に姿を変えていた。
0017以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします
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2024/02/06(火) 13:41:15.443ID:+kGE2jmN0
「何をやったんだ?」
 老人は二本目の煙草を消しながら聞いた。
「言えません」と僕は言った。「秘密です」
「そりゃそうだよな」と老人は頷いた。「それで、俺も二十三万九千円でいいのか?」
「それはいりません」と僕は言った。「受け取れないんです」
「どうして?」
「そのお婆さんは死ぬ寸前に百万ちょっとのお金を僕の銀行口座に振り込ませていました。それに気づいたのはお婆さんが死んだあとでした。その百万ちょっとというのは、お婆さんの財産から入院費用を精算して、葬式代を引いた残りの全部だったそうです。僕はおつりを返し損ねたんですよ」
「だから?」
「だから、僕は四回分の仕事を引き受けたことになるわけです」
 老人は僕の顔をじっと見て、それから薄く笑った。
「何だか知らんけど、兄さん、年に似合わず頑固な性格みたいだな」
「どうでしょう」
「頑固もんは報われない世の中だ。もうちょっと柔らかく考えたほうがいいな」
「心がけます」
「そうしな」
不意に老人の視線が僕の肩越しに飛んだ。
0018以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします
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2024/02/06(火) 13:41:47.030ID:+kGE2jmN0
振り返った先には森野が立っていた。知っている僕だから女だとわかるが、知らない人は頭を抱えるだろう。背丈は中学三年で追いついたものの、結局、追い抜くことはできなかった。高校まで続けたソフトボールのせいで、肩幅は僕よりもあるくらいだ。
「あ、邪魔したかな」
 そう言いながらも、森野は気にした風もなく喫煙所に入ってきた。老人が目線で僕に問いかけた。
「あ、幼馴染です。ここのアルバイトを紹介してくれたのも彼女でした」
 老人が混乱することのないよう、僕は『彼女』というところに少し力を入れて言った。
「病院の人か?」
 そのなりが不審だったのだろう。老人が聞いた。森野は細身の黒いパンツに黒いジャンパーを着ていた。医師や看護婦の格好ではない。事務員だって制服は着ている。
「葬儀屋をやっています」
 森野はジャンパーのポケットを探って煙草を取り出し、そのついでのように橋の折れた名刺も取り出した。
「ご用の節はいつでも」
「森野」
 僕はいさめたのだが、老人のほうは気にしなかった。
「ま、近々」
 あっさり頷いて、名刺を受け取った。
「あ、できれば名刺はご家族の方に渡しておいてください」
「そうしよう」
 苦笑いさえ浮かべる余裕を見せながら森野の暴言を受け流すと、老人は席を立って、僕に声をかけた。
「あとで病室にきてくれ。三〇四号室の三枝だ」
「うかがいます。あ、僕は神田と言います」
 名乗った僕に一つ頷いて、老人は喫煙所を出ていった。
 いい面構えだ。
0019以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします
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2024/02/06(火) 13:42:52.828ID:+kGE2jmN0
 出ていく老人を見送って呟くと、森野はくわえ煙草のまま、またジャンパーのポケットを探り、小さな手帳を取り出した。
「三〇四号室の三枝さんね。喉頭癌でもうじき、と。懇意にしている葬儀屋、いるのかな」
「知らないよ」
 医師だか、看護婦だか、事務員だか、掃除のおばちゃんだか、きっと何人かの職員を買収して、患者の情報を入手しているのだろう。
「お前からもプッシュしといてくれ。迅速丁寧、明朗会計の森野葬儀店をよろしくって」
「機会があったらね」
 森野は煙を吐き出しながら顔をしかめた。
「いったい何のためにお前をこの病院に送り込んだと思ってるんだ?口きいてやったんだから、それくらいの役には立てよ。だいたい、ぼったくりの多い業界で、ここまで良心的に仕事をしている店なんてそうはないぞ。遺族のためにもなる」
「遺族って、まだ死んでないだろ」と僕は呆れて言い返した。
「いずれは死ぬ」と森野は切り捨てた。
 バイト探しを横着して、渡りに船とばかりに森野の話に乗った僕も悪い。
0020以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします
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2024/02/06(火) 13:43:15.807ID:+kGE2jmN0
「今日は何?」と僕は話題を変えた。
「死体が一個出そうだって言うからきたんだけど、空振りだった。ほとんど逝きかけたらしいんだけどな。持ち直しやがった」
「そりゃ、残念」
「いいさ。また出直すまでだ」
 同い年に、同じ古い商店街に生まれ、付き合いの長さなら、お互いの人生の長さとほとんど同じになる。学校の制服を着ているときには窮屈そうに見えた独特の偏屈さが、店の作業着をまとっている今はぽたりと身の丈に合っていた。
「大学は?」
 三枝老人の名前の横に二重丸をつけると、その手帳をしまい、森野は聞いた。
「ちゃんと通ってるのか?」
「四年にもなるとね、授業料を入れれば、あとは用なしさ。金だけ取って、授業なんてほとんどない。詐欺みたいなもんだ」
「就職活動は?」
「何だよ、突然」
「今日、来がけにおばさんに会ったんだよ。就職活動をしている様子もないし、どうするつもりなのかしらって、笑ってたぞ」
「何か、その気にもなれなくてね」
「もう四月も終わる」
「ということは、まだ一年近くはある」
 何だかなあ、と呟くと森野は煙草を灰皿に放り込んで立ち上がった。
「どうでもいいけど、しゃんとしろよな。昔からお前は、いざってときに要領が悪い」
「心がけるよ」
「そうしな」
 じゃな、と肩越しに手を振って、森野は喫煙所を出ていった。
0021以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします
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2024/02/06(火) 13:44:16.121ID:+kGE2jmN0
 勤務時間五、私服に着替えた僕が病室を訪れると、老人は僕を誘って一階にある外来患者の待合ロビーへと向かった。受付時間を終えて、すでに人はいない。テレビを勝手につけると、ずらりと並んだ長椅子の一つに老人は腰を下ろした。僕もその隣に座った。無人のロビーにテレビの音が響いた。
「ちょいと長い話になるぜ」
 老人がぼそりと言った。まるで話すことが嫌でしょうがないとでも言うようように。
「生まれたところから始めるのは勘弁してくださいよ」
 僕が言うと、老人は笑った。
「それほど戻りゃしないけどな」
 まあ、兄さんから見れば似たようなもんか。
 テレビではアニメをやっていた。僕よりもずっと年下に見える女の子が、宇宙のかなたで殺し合いに身を投じていた。子供向けのアニメにしては女の子のキャラクターの胸が大き過ぎるし、衣装もぴっちりし過ぎてる。
「いつから始まる話です?」
0022以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします
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2024/02/06(火) 13:45:02.646ID:+kGE2jmN0
 そのアニメを眺めながら僕は聞いた。
「昭和十」と言った老人は軽く舌打ちをした。
 年は取りたくねえな。
「十八年だったか、九年だっったか。二十年じゃもう終戦だしな。どこかその辺りだよ。兄さんの親父は生まれてたか?」
「親父は二十三年です」
「二十三年か」と老人は呟いた。「まだ仕込まれてもいねえじゃねえか」
「そうですね」
 ガチャガチャと賑やかな画面に疲れて、僕はテレビから老人に目を向けた。
「まだ仕込まれてもいません」
 八年だったかな、九年だったかな。
 老人はもうひとしきり首をひねり、諦めた。
0023以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします
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2024/02/06(火) 13:46:00.185ID:+kGE2jmN0
「まあ、いいや。とにかく、その辺りだ。俺は北支にいた。いたくていたわけじゃねえけどな。しゃあねえさ。赤紙が届いたと思ったら、あれよあれよで大陸さ。国家ってのはすげえもんだと思ったね。何万っていう人間がいるのに、ちっともて違いなく、あっという間に大陸へ運んじゃうんだからよ。関心したね。それは国家が兵隊の個性になんざ、何の関心も持ってないからだって気づいたのはずっとあとのことさ。トヨタがカローラ輸出するみたいによ。何台がそっちで、何台があっちってな」
「はい」
「そこでな・・・・・・」
 微かに言い淀んでから、老人はゆっくりそれを吐き出した。
「そこで、俺は、人を殺したんだ」
 僕は老人を盗み見た。表情を殺した顔に僕が示すべき反応へのヒントはなかった。驚く、責める、慰める。どれもがてんで芝居じみている気がして、僕は老人と同じ表情で言った。
「戦争ですもんね」
「まあな」と老人は言ったが、それはただの受け言葉で、特に納得したわけではなさそうだった。
0024以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします
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2024/02/06(火) 13:46:19.893ID:+kGE2jmN0
「やらなきゃやられるわけだし」と僕は言ってみた。
「そう簡単なもんでもねえさ」と老人は言った。「実際、やらなきゃやられたのか、今でもよくわかんねえんだよ。こっちがやらなかったら、向こうもやらなかったような気もするしな。ただ、そうだな。みんな、やらなきゃやられるってんで、やってたんだろうな」
 でも俺の場合、と老人は続けた。
「戦争で殺したわけじゃなえんだ。もっと言うなら、敵を殺したんでもねえ」
「味方を?」
 テレビはCMになっていた。生まれてこの方、甘いものなど食べたことのないようなか細い女の子がチョコレートを食べ始めた。
「味方を殺したんですか?」
0025以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします
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2024/02/06(火) 13:49:03.300ID:+kGE2jmN0
 それは疑問ですらなかった。五十年以上も前、終焉を前にした混沌の中で、その老人が人を殺そうが殺すまいが、その対象が敵だろうが味方であろうが、あまり意味はないような気がした。
「生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪禍の汚名を残すことなかれってな」
 その原典をしばらく考え、僕は聞いた。
「葉隠?」
「センジンクンだよ」
 戦陣訓、と僕は適当に漢字を当てて、意味までわかったことにした。
「敵前逃亡しようよしたやつがいてな」
「はい」
「殺した」
「そうでしたか」
 老人はちらりと僕を見たあと、テレビに視線を戻した。
0026以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします
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2024/02/06(火) 13:49:47.393ID:+kGE2jmN0
 「ひでえ時期だった。兵隊がどんどん減っていってな」
 恋愛ドラマのタイトルが画面に踊るのを見ながら僕は聞いた。
 「戦死ですか?」
 「それもある。けど、南へ送られたほうが多い」
 「南?」
 「南方戦線」
 「ああ」
 「前線の下っ端になんか、戦況なんて何もわかんねえ。たぶん、大隊長だってわかっちゃいなかったろうさ。ただ、周りにいる味方の部隊の数がどんどん減っていって、戦線が広がってるんだろうってのはわかった。クソ忌々しい状態さ。ここが終わったからって、帰れるかどうかもわかんねえ。自分らだって南へ回されるかもしれねえし、なんてな。まあ、今から思えば、呑気なもんだよな。ここが終わると思ってんだから」
 「北支というと、敵はロシアですか?」
 胡乱なものを見るような老人の視線で、僕は日本史の教科書の記述を思い出した。ソ連の参戦は広島に原爆が投下された翌々日、ポツダム宣言受託の寸前だ。
 「ゲリラだよ。共産党軍の」
0027以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします
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2024/02/06(火) 13:50:55.685ID:+kGE2jmN0
指揮系統はどうなってたのかなあ。
 「ずいぶん組織的に動いてたな。ゲリラ討伐作戦だなんて言ったって、討伐されてんのがあっちだかこっちだかわかりゃしねえ」
 ひでえ時期だったよ。
 老人は繰り返した。
 テレビでは三十2お間近に控えた男と女が好きだの嫌いだの言い合っていた。チャンネルを変えたかったが、立ってそこまで行くのが面倒だった。
 「同じ隊にな、脇坂ってやつがいた。年は俺よりいくつか上だったのかな。下士官でな。伍長だった。気のいい田舎もんだったな。北のほうの農家の次男坊だか三男坊だかで、食うや食わずの生活よりはマシだろってんで軍に入ったらしい。俺みたいな年下の下っ端にもえらく気を遣ってたな。ほとんど遠慮してるみたいにな。小隊長には怒られてたよ。この小隊長ってのが厳しいやつでな。年は隊で一番下だったんじゃないかな。当時のエリートだな。だからなめられるのを恐れたのかな」
 「逃げ出したのは誰だったんです?」
 「その脇坂ってやつさ。逃げ出したんじゃない。逃げ出そうとしたんだ。一人で逃げりゃいいものを、よっこさん、仲間を募った。それも隊で片っ端から声をかけていった。小隊長の耳に入らないほうがどうかしてらあ」
 「どうしてまたそんなことを」
 「さあな。一人で逃げちゃ、仲間に悪いって思いがあったのかな。どうせ逃げるにしても、断ってから逃げたほうが寝覚めがいいとでも思ったか」
 いいやつだったからな。
 老人は言った。
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2024/02/06(火) 13:51:36.698ID:HGRe5Zqu0
びっくりするよなこれがぜんぶあとがきになるんだ
0029以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします
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2024/02/06(火) 13:52:36.951ID:+kGE2jmN0
 「その日にな、ゲリラに囲まれたんだ。こっちの部隊と、もう一個、別の部隊と。まあ、相手の狙いはその別の部隊のほうだったらしい。頭を押さえて、後ろから詰めて、脇を固めてって、その包囲網に勝手にこっちが入っていっちゃったんだな。間抜けな話さ。討伐作戦が聞いて呆れるよな。気づくと舞台の左手でドンパチ始まってた。助けに行きたくたって、こっちだって身を守るのに必死さ。くぼみに身を寄せて、じっとしてた。どうか敵がこちらに気づきませんようにってな。そのためだったら向こうの部隊が全滅してもいいって、なあ、俺は本気でそう思ったね」
 好きなら抱いて、嫌いでも抱いて、とうじうじ言ってるテレビの女に苛々した。そんな女の前でうじうじしている男にも苛々した。
 「その部隊は」と僕は聞いた。「どうなったんです?」
 「それがな、一瞬、銃声がやんだんだよ」と老人は言った。「一瞬やんで、日本語が聞こえてきた。日本のみなさん、武器を捨ててくださいってな。向こうの部隊に話しかけてるんだぜ。でも、その声がこっちにまで聞こえるんだよ。みんな息を殺しているから。その声が言うんだ。日本はもうじき負ける。南方戦線は壊滅状態だって。そこから先はよく聞こえなかったけどな。でも、まあ、投降すれば殺しはしないみたいなことを言ってたんだろう」
 「投降したんですか? その部隊は」
 「しねえさ」
 当たり前のことを聞くなとでも言いたそうに老人は答えた。
0030以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします
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2024/02/06(火) 13:54:01.864ID:+kGE2jmN0
 「すぐにまた銃声が戻った。俺たちはずっと息を詰めていた。なあ。そういう緊張感って経験あるか?」
 「ないですね」と僕は言った。「ないです」
 「怖くてじっとしてるんだけどな、しばらくすると、じっとしていることが怖くなるんだよ。このままじゃ死ぬ。何かしなきゃいけねえ、何かしなきゃいけねえってな。何でもいいから闇雲に動きたくなる。みんなそうだったと思うぜ。最初に小隊長が我慢できなくなった」
 友軍を助けに行くぞ。
 そう言って、老人は鼻で笑った。
 「威勢はいいやな。でも、威勢だけだ。そんなことしたらみんな死ぬ。みんなわかってる。でも、みんな、おうって答えて、立ち上がった。わかるか?恐怖に勝とうとしたら狂うしかないんだ。死と恐怖が逆転してる。理屈ではみんなわかってる。でもそれ以上の恐怖に耐えられなくなってるんだ。それに耐え切れたのは脇阪だけだった」
 結局、やるんじゃねえか、と僕はテレビの男に毒づいた。どうせやるなら、うだうだ言わずに最初からやればいいんだ。
 「脇坂は立ち上がった小隊長をぶん殴った。伍長が少尉をぶん殴ったんだ。でも誰も咎めなかった。座っとれ。脇阪が怒鳴った。普段はおとなしい脇阪の、どこにそんな声が詰まってたのかと思うくらい迫力があった。ぽん、とな。夢から覚めたみたいに、みんな我に返った。それでまたくぼみに見を隠して、戦闘が終わるのを待った。じっとな。隊の半分は泣いてたよ。小隊長も泣いてた。仲間を助けられないことに泣いてるんじゃないぜ。怖くて泣いてるんだ。いい年した大人がよ、怖くて泣いてるんだぜ。息を殺して、鼻水を流しながら。ま、そう言う俺も泣いてたけどな」
 「その脇阪さんがなぜ」と僕は言った。「なぜ逃亡なんて」
0031以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします
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2024/02/06(火) 13:55:35.554ID:+kGE2jmN0
 「銃声が終わって、どれくらい経ってからかな。何時間にも感じたけどな。俺たちはじっと身を潜めていた。それから恐る恐る辺りをうかがった。敵はいなくなっていた。部隊は全滅してた。その死体を俺たちは茫然と眺めていたよ。死が、俺たちのすぐ脇をかすめていった。それがほんの少しずれていたら、俺たちはこうなってた。その標本がな、俺たちの前にまざまざと見せつけられてたんだ」
 「それで、怖くなった?」
 「そりゃ、怖かっただろうよ。怖かっただろうけど、だから、あいつは恐怖を抑えきれたんだよ。狂わなかった。だから逃げようとしたんだ。理屈で考えるなら、それが一番正しい方法だ。あいつは理屈で考えられた。だからだ」
 いったん恐怖が過ぎ去ると、と老人は言った。
 「今度は脇阪が卑怯者呼ばわりされ始めた。あのとき、やっぱり仲間を見捨てるべきじゃなかったってな。みんな勝手なものさ。みんな助けに行こうとしたのに、脇阪が無理やり止めたってことになっちまった。そんな雰囲気をわかっているくせに、脇阪はみんなを説いて回った」
 南方戦線は壊滅するそうでねえか。南方が壊滅すたなら、こりゃ本土が爆撃機の射程圏内に入るっつうことだんべ。こりゃ負けだ。んだろ? んでねえか?
 「嘘だとみんな言った。脇阪に恐怖を見透かされているようで悔しかったんだろう。怖いんだろう? もうやめてもいいんだよ、ってな。そう言われてる気がした。程なく脇阪の言葉が小隊長の耳にも入った。小隊長は烈火のごとく怒った。そりゃ、もう、ひどいもんだった。けれど脇阪は、馬鹿正直に小隊長まで説こうとした。理詰めでいけば脇阪に勝てるわけないさ。脇阪の言ってることのほうが正しいんだから。だけど怒りってのは理屈じゃねえからな。ろくに教養もねえ田舎の下士官に何も言い返さないとくれば火に油を注ぐようなもんさ。前にぶん殴られたことも恨みになったんだろう。激昂した小隊長は」
 軍刀を抜いた。
0032以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします
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2024/02/06(火) 13:56:34.453ID:+kGE2jmN0
 「その軍刀を脇阪の首にぴたりと当てた」
 陸軍刑法により・・・・・・
 「無茶苦茶さ。陸軍刑法も何もない。軍法会議抜きで小隊長が兵隊を処断しようってんだからな。それに気づいたのか、小隊長の手が落ちた。けれどその手は」
 軍刀を戻すことはなかった。
 「その手が俺に伸びた。俺じゃなくたってよかったんだ。一番近くにいたってだけのことさ。一生の不覚だね。何だってアノときにあんなとこに立っていたのか。俺の前に刀が突き出された」
 斬れ。
 「小隊長が言った」
 許す。斬れ。
 「ああ、俺は本当にどうかしてたんだよ。取らなきゃ俺が斬られる気がした。それくらい小隊長の顔は真剣だった。俺は周りを見回した。みんなじっと俺を見ていた。誰も目を逸らさなかった。やれ。みんなの目がそう言っていた。それともお前は卑怯者か? 俺は取った。そして俺が取っちまったそのときに」
 脇阪の運命は決まったんだよ。
0033以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします
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2024/02/06(火) 13:57:52.477ID:+kGE2jmN0
 「斬ったんですか?」
 「殺す気はなかった。振りかぶって、銅の辺りを薄く撫でる程度に斬ろうとした。けど、脇阪は咄嗟に」
 避けた。
 「かがむようにして。腰をすとんと落とすように。だから、胴があるべきだったちょうどそこに」
 首がきた。
 「何でそんなにも血が飛ぶのか、俺にはわからなかったよ。血飛沫を受けて、俺は茫然としてた。状況がわかったのは、脇阪の体がゆっくり前に前に傾いて、地面に倒れたあとだった」
 脇阪伍長は・・・・・・・
 「俺の肩に手を置いて、小隊長が言った」
 本日の戦闘において見事な最期を遂げられた。
 「小隊長は俺の手から軍刀を取った。血を拭って刀を納めた。それですべてが終わった」
 さっきの男が今度は別の女とぐだぐだやっていた。
 「それで終わりだったんですか? 誰も咎めれず?」
 「手を下した俺が言うのも変だけどな」と老人は言った。「ありゃ、みんな共犯だ。あの小隊全員が共犯みたいなものさ。いったい誰が進んで自分の罪を明かす?」
 おいおい、と僕は思った。そっちの女ともやっちゃうのか?
0034以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします
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2024/02/06(火) 13:59:15.124ID:+kGE2jmN0
 「それで」と僕は聞いた。「僕は何を?」
 「戦争が終わって、身の回りが落ち着いてきて、俺もあのことは忘れようと思った。でも、駄目だった。忘れようとすればするほど、あのときの脇阪の顔が頭のどこかにこびりついてる。寝ても覚めてもな。脇阪は亡霊になって俺の周りにまとわりついた。だから俺は脇阪の家族を探した。家族に会って、すべてを話し、自分の罪を償おうと思った」
 「家族がいたんですか?」
 「脇阪は結婚しててな。奥さんと子供がいた。必死に探し回って、東京に出てきていることを突き止めた。戦争が終わって、四半世紀も経ったころだ」
 老人にとっては過去、僕にとっては歴史になる時間たち。昭和三十年。神武景気。奇跡の経済大国日本の産声。昭和三十五年。岩戸景気。右肩上がりの高度経済成長。そこからさらに十年。首相は佐藤栄作? 戦争の傷痕は、もはやない。
 「会ったんですか?」
 「そんときには、もう俺にも家族がいた」
 老人は苦しそうに吐き出した。
 「軽蔑してもいい。笑いたきゃ笑え。俺は言えなくなった。大陸から戻った俺を雇ってくれた人がいた。ちんけなクリーニング屋だけどな。俺はそこで働いた。そこの主人は俺を可愛がってくれた。店と一人娘を俺にくれた。子供もできた。俺は言えなかったんだ」
 一戦終えた気だるい部屋にさっきの女がやってきた。女は血相を変えて男を罵倒した。別の女が言い返した。男はおろおろした。三人で楽しめばいいのに、と僕は思った。
0035以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします
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2024/02/06(火) 14:01:09.598ID:Cli1e1sV0
>>13
それは臨死体験者の経験談ですか?
意識が朦朧としていた頃に何を考えていたかなんて、一命を取り留めた後に曖昧な記憶を補間してしまう可能性があるので、信憑性が疑わしい話になってしまいますけどね。
0036以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします
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2024/02/06(火) 14:01:09.570ID:+kGE2jmN0
 「俺はずっとその家族を見てきた。気づかれないように。そっとな。何をしたわけじゃない。たまにその家族が住んでいる家の前を通ったりな。年に一度は人を雇って、その家族に問題がないか調べさせた。奥さんは健康か。一人息子の人生は順調か。何か問題があるなら、そのときこそ出ていこうと思った。そこそこ金もたまってたしな。それで解決する問題なら、それこそ全財産投げ出したって役に立とうと思った。やがて息子が結婚し、孫ができた。奥さんは去年死んだ。まあ、大往生だな。息子一家は今も東京に住んでいる。普通の会社員だ。そこそこ出世コースに乗っているらしい。子供は娘が一人。遅くにできた子供だったから、まだ高校生だ。奥さんはパートで働いているけど、家計のためというよりは外に出ていたいからだろう。それが去年の秋に受けた報告だ」
 「それで」と僕は重ねて聞いた。「僕は何を?」
 「その家族に近づいて欲しい。素性を明かさずに、いかにも偶然知り合った風にその家庭と接触して欲しいんだ。深い付き合いじゃなくていい。その家族がどんな風に暮らしていて、どんなものを大事にして、どんなことに喜びを感じているのか。それを教えて欲しい。今までの形式的な調査報告じゃなくて、もっと生きた報告が欲しい。俺はそれで満足する。その家族が感じる喜びを自分のものみたいにして、納得して死んでいきたいんだ」
 言い終えて、ため息を一つこぼすと、老人はおもねるようにそっと聞いた。
 「笑うか?」
 「笑いませんよ」
 「でも卑怯だよな」
 「だったとしたところで」と言って、僕は腰を上げた。「僕に何が言えます?」
0037以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします
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2024/02/06(火) 14:08:46.150ID:+kGE2jmN0
「ああ、それじゃ駄目、駄目」
 朗らかな声に僕は振り返った。隣の打席にいた、痩身の、いかにも切れそうな顔をした男が、笑いを押し殺した表情で僕を見ていた。タイミングを図ってこちらから声をかけようと思っていたのだが、向こうから声をかけてくれるのなら、それに越したことはない。
「あ、駄目ですか。やっぱり」
 僕はフロントで借りた五番アイアンを手にしたまま言った。日曜日とあって、打ちっぱなしには素人ゴルファーの姿がちらほらと見られたが、僕より下手な人はいそうになかった。
0038以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします
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2024/02/06(火) 14:12:55.315ID:+kGE2jmN0
「誰かに習ったの?」
 「いえ。見よう見真似の自己流です。」
 「そうだろうな」
 男、脇坂啓介は自分の打席を出て、僕の後ろに回った。脇坂伍長の忘れ形見は、現在、都銀の本店で会計部長を務めている。三枝老人が受け取った報告書によれば、脇坂氏の唯一とも言える趣味がゴルフで、脇坂氏はほぼ毎週日曜日に近所の打ちっぱなしに出かけるとのことだった。僕は大学の友人に車を借り、その打ちっぱなしの駐車場で脇坂氏の車を待った。
 現れた脇坂氏のあとをつけて打席を確認すると、いったん車のところへ戻ってから脇坂氏の打席のすぐ横に入った。
 「グリップからなってない。それじゃだめなんだ。握りやすいだろうけどね。グリップは、もっと、こう」
 「こう、ですか?」
 「そう、そう。ちょっと振ってみな」
 僕が振って見せると、脇坂氏はすらりとした形の良い眉を寄せた。野球場にいたって、スケートリンクにいたって、後楽園ホールのリングにいたって、ゴルファーにしか見えないだろう。上から下まで、完璧にゴルフウェアーで身を固めていた。
 「駄目だな。もっと自然に。上げたら、そのまま戻す。時計なことはしない。ね? こう」
 脇坂氏は僕のクラブの先端を持って、その正しい軌跡を描いてみせた。
 「ちょっと打ってみな」
0039以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします
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2024/02/06(火) 14:17:29.075ID:+kGE2jmN0
当たるには当たった。その程度だった。何百メートルも先にある小さな穴を目指すなら、当たらなくても同じようなものだった。
 ううん、と唸った脇坂氏は、それ以降、病的なほどの熱心さで僕の指導に当たった。トップの位置がどうしたとか、下半身のためがどうしたとか、インパクトの瞬間に右手がどうしたとか。相手が僕だからいいようなものの、なんの下心もない人だったら単に迷惑にしか思わないだろう。それくらい徹底した執拗な指導だった。
 僕のボールは初めは手元に、それから徐々に遠くへ飛ぶようになり、一時間後には右に行きがちだったコースもどうにか修正された。
 「あとは慣れだね」
 最後に真っ直ぐとんだボールを目で追って、脇坂氏は言った。
 「どうも本当に」と僕は額から流れる汗をぬぐって、息を切らしながら言った。「ありがとうございました」
 「いやいや」と脇坂氏は言うと、自分の打席へ戻っていった。
  僕に教えることでゴルフを満喫できたらしい。脇坂氏は足元に残っていたボールを打ち尽くすと、帰り支度を初めた。立ち去った脇坂氏のあとに僕もすぐに続き、駐車場で追いついた。
0040以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします
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2024/02/06(火) 14:21:47.521ID:+kGE2jmN0
 「先程は、どうもありがとうございました」
 後部座席にゴルフバッグをしまう脇坂氏に僕は声をかけた。
 ああ、と脇坂氏が振り返った。
 「お礼にコーヒーでも奢らせてもらえませんか」
 僕は練習場の中にあるコーヒーショップの看板を示して言った。
 「いやあ」と脇坂氏は笑って首を振った。「そんな気を遣わなくていいよ。ま、しっかり練習するんだね」
 脇坂氏は赤いボルボに乗り込んだ。それ以上、しつこくする必要もない。僕は好青年風な笑顔で一礼すると、借りたブルーバードへと歩き出した。僕が運転席に乗り込み、煙草に火をつけるのと同時に、脇坂氏の赤いボルボが動き出した。途端に、ポンという音がする。
 「ごめんなさい」
 僕は煙草のけむりを吐き出しながら呟いた。
0041以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします
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2024/02/06(火) 14:29:57.729ID:+kGE2jmN0
脇坂氏が車から降り、膝をついて後ろのタイヤを調べた。舌打ちが聞こえそうだった。立ち上がり、辺りをぐるっと見回す。フロントガラス越しに僕と目が合う。僕はそこで初めて異変に気がついたかのように、車の窓を開け、首だけを出した。
 「どうかしましたか?」
 何でもない、と手を振ってみせた脇坂氏は、もう一度後ろのタイヤを眺め、それから諦めたように首を振ると、僕の車のほうに近づいてきた。
 「パンクしたらしくて」と脇坂氏は言った。
 「あ、パンクですか」
 煙草を消し、エンジンを止めて僕は言った。
 「なら手伝いましょう。スペアタイヤ、ありますよね。あとジャッキと」
 「それは、あるにはあるんだけど」と脇坂氏は言った。「二つなんだ。後ろのタイヤが二つともパンクしてる」
 「二つ?」
 「ああ、釘が刺さってて」
 「ええ?」
 僕は車から降り、脇坂氏とともにボルボのところへ戻った。ボルボの後ろのタイヤには二つともに木に打ち付けられた釘が刺さっていた。
0042以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします
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2024/02/06(火) 14:32:27.735ID:Cli1e1sV0
これは1の自作小説なのか?
0043以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします
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2024/02/06(火) 14:37:23.108ID:+kGE2jmN0
「ああ」と僕は言った。「悪戯ですね」
 「悪戯?」
 「ええ。頭が出るようにして釘を打った板を、まあ、別に尖ったものなら何でもいいんですけど、それを車のタイヤのすぐ前に置いておくんです。普通、タイヤなんて確認もしないですからね。そのまま出すと、タイヤが釘を踏みつけてパンクする。自分で釘を刺してパンクさせるのと違って、万一、現場を押さえられても釘を隠しちゃえば白を切れる。ちょっと落とし物を探してたんだ、とか。相手も車に以上がない以上、とやかくは言わないでからね。それに」
 「それに?」
 僕も今が気が付いたんですけど、と胸の内で付け足しながら僕は言った。
 「悪戯としてもそのほうが面白んですよ。パンって音に驚く運転手の顔も見られる。どっか物陰に隠れて見てたんだないですか」
 僕が辺りを見回してみせると、脇坂氏もその真似をした。駐車場には、練習を終えて帰る人も、これから練習に向かう人もいたが、誰も僕らのことなどきにしていなかった。
 「参ったね」と脇坂氏は言った。
 「参りますね」と僕も言った。
 「悪いやつっているもんだね」
 「悪いやつっているもんです」
 脇坂氏はいつも使っているという修理工場に電話をかけた。幸い、そのボルボに合うタイヤは在庫を切らせていた。脇坂氏は取り敢えず車を引き取らせ、僕が脇坂氏を家まで送っていった。
0044以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします
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2024/02/06(火) 14:42:51.906ID:+kGE2jmN0
 比較的新しい住宅街の中に脇坂氏に家はあった。春の終わりの太陽の中、庭の芝生がその家の何かを自慢するように青々と光り輝いていた。
 「コーヒーでも?」と今度は脇坂氏が僕を誘った。「あそこのコーヒーショップよりは美味いのを出すよ」
 「いえ。でも、お休みの日に」と僕は遠慮してみせた。
 「きちんと礼も言いたい。時間があるのなら、上がっていってくれないかな。車はその脇にでも停めておけばいいから」
 エリートは貸しを作ることは気にしないけれど、借りを作ることは嫌う。資本主義というシステムを知り尽くしているからだ。仮には必ず利子がつくことをわかっている。僕は脇坂氏に根負けした形でその家に足を踏み入れることに成功した。
 「修理工場の連中、気がきかなくて、代車を持ってこない。仕方ないからタクシーでも拾おうと思ったら、彼がね、送ってくれた」
 出てきた奥さんに脇坂氏は言った。
 「それは本当にどうも」と奥さんは言った。
 脇坂夫人、由紀子。三枝老人が受け取った報告書によれば、平日の三日だけ、駅前にある小綺麗な花屋で、午前十時から午後二時までの間、花を売る、という道楽のようなパートをしている。趣味は近所の奥様方とのお茶会。
 「どうぞ。ちょうどクッキーを焼いたところなんです」
 僕をリビングへと案内しながら奥さんは言った。
0045以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします
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2024/02/06(火) 14:46:47.588ID:+kGE2jmN0
 一見、若そうに見えるが、よくよく見てみればそれは長年かけて培ったテクニックの産物とわかる。薄い色のファンデーションを厚く塗っているだけだ。ベージュの巻きスカートにニットシャツ。胸にブローチでもつければそのまま授業参観にだって行けそうな出で立ちだったが、僕の訪問には不意のはずだから、それが脇坂夫人の普段の格好ということになる。
 脇坂氏の言った通り、そこらのコーヒーショップよりはずっと丁寧に淹れられたコーヒーを飲みながら、僕は嘘をつかなくていい範囲で自己紹介をした。僕の大学名のところで二人は大袈裟に驚いてみせた。学生証を見せたらひれ伏すかもしれないと思うくらい大袈裟な本能だった。
 「クッキー、もっと召し上がりません?」
 自家製だというクッキーは、市販品と変わらぬほど形良く焼けていたけれど、味も市販品と同じようなもので、わざわざそれを自分で焼く意味が僕にはよくわからなかった。
 「いえ。もう十分に」
 「そう遠慮なさらずに」
 奥さんが立ち上がったところで、二階から女の子が降りてきた。
 「あ、智美。お茶飲んでるの。一緒に飲む?」
 聞いた奥さんに、彼女は少しはにかんだ笑顔でうなずいた。
 脇坂智美。都内の私立高校三年生。通うのは超のつくお嬢様学校で、マニアの間ではその制服が十万以上の高値で取引されているという。学校では演劇部に所属しているはずだ。
0046以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします
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2024/02/06(火) 14:50:32.877ID:+kGE2jmN0
「娘の智美です」と脇坂氏が紹介した。
 「お休みの日にすみません」と僕は立ち上がり、頭を下げた。「図々しく上がり込んじゃって」
 いえ、だか、ええ、だか、よくわからない返事をすると、彼女は父親の隣に腰をおろした。分厚い眼鏡をかけていた。髪はほとんどおかっぱに近い。決して不細工な子ではないが、顔つきにも雰囲気にも色気と呼べるものがまったく感じられない。それが彼女の制服でも、マニアは十万も出すのだろうか?
 「高校生?」と僕は聞いた。
 彼女は頷き、高校の名前をぼそぼそと答えた。
 「ああ、頭いいんだ」と僕は言った。
 「いや、そんなことも。神田くんに比べれば」とまんざらでもなさそうに答えたのは脇坂氏だった。「こちらは神田くん。大学生だ。神田くん、学部は?」
 「文学部です」
 「ああ、それはいい」と脇坂氏はやたらと関心してみせた。「うちのも高校で演劇をやってましてね。そうだよな?」
 智美ちゃんはこくんとうなずいた。
0047以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします
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2024/02/06(火) 14:57:14.565ID:+kGE2jmN0
「シェイクスピアとか、チェーホフとか?」
 「ウィリアムズです」と智美ちゃんは言った。「テネシー・ウィリアムズ」
 「今度、何かやるって言ってたわよね。発表会があるんでしょ?」
 戻ってきた奥さんが言った。
 「『ガラスの動物園』」と彼女は答えた。
 「さ、どうぞ」
 奥さんは自分も座りながら、山と盛られたクッキーを僕に勧めた。僕はクッキーを一枚取り、言った。
 「何よ、そんなに大騒ぎして。バカバカしい。たった一人のお客様のために」
 脇坂氏と奥さんがきょとんとした。智美ちゃんだけがくすくすと笑った。
 「ねえ、母さんが出て」と智美ちゃんが言った。「私は駄目。お願い」
 「え?」と奥さんが言った。
 「台詞です」と僕は笑った。「『ガラスの動物園』の中の」
 「ああ」と脇坂氏がうなずいた。
 「何をやるの? ローラ?」
 「ローラは」と智美ちゃんは言った。「一番、綺麗な子がやります」
 「あ、それじゃ、ジムかな」
 暗くなった智美ちゃんの表情に僕は慌てて言った。
 「女子校だよね。ジムも女の子がやるんでしょ?」
 「そうですけど」と智美ちゃんは言った。「ジムは後輩がやります。一年生だけど、ボーイッシュだし、声がよく通るんです」
 「アマンダ?」
 「あれは難しいからって、部長が」と智美ちゃんは言った。「私は照明です」
 座が一気に白けた。
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2024/02/06(火) 15:07:41.754ID:+kGE2jmN0
「それは難しそうだね」と僕は思いつきをそのまま口にした。「照明っていうのは、観客の目線なわけでしょ。どんなにいい演技をしたって、照明が別なところに当たっていれば誰もそれを見てくれない。映像でいうのなら、カメラマンみたいなものだよね」
 「そんな難しいものでもないです」と智美ちゃんは言った。「出ている人に片っ端からライトをを当てればいいだけですから」
 白けまいとする僕と白けさせまいとする智美ちゃんとの思惑が空回りして、座はますます気まずくなった。
0049以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします
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2024/02/06(火) 15:13:09.586ID:+kGE2jmN0
「気まずくなったって、帰るわけにはいかないですからね。苦労しました」と僕は言った。
 僕らのひそひそ話に嫌気が差したのか、僕らの前に座っていた男の人はまだ長い煙草を灰皿に捨てると、喫煙所を出ていった。
 「で、どうした?」
 声を普通のトーンに戻して、三枝老人は言った。
 「ねばりましたよ。報告書で彼女が近くの予備校に通っていることは知っていましたから、何とかその話を出させるようにして。僕は帰りがけに、こう、脇坂氏を呼び出して、そっと言ったわけです」
 「何を?」
 「さっき話しに出た予備校ですけど、僕の大学の友人がそこで講師のバイトをしていて、生徒の女の子を三人食った、いえいえ、つまり、そういう関係になったと自慢していたことがあります。講師同士で何人ものにできるか、賭けが行われているという話も聞きました。お嬢さんに限ってそういうことはないでしょうが、お気をつけられたほうがいいかと」
 「言ったのか?」
 「一言一句その通りに。代官にへつらう越後屋みたいな口ぶりで」
 「お前、悪いやつだな」
 「その日は自己嫌悪で眠れなかったほどです」
 しゃらくせえ、と老人は笑った。
 「それで、何だ? 予備校を辞めさせて、何がどうなるんだ?」
0050以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします
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2024/02/06(火) 15:20:00.458ID:+kGE2jmN0
 「一つ疑いだせば切りがなくなる。脇坂氏は予備校を信じられなくなるわけです。でも、まあ、天下のお嬢さん学校ですからね。体面がある。ああいう学校は、親の体面のために学校を予備校に通わせたりするわけです。大学までエスカレーターですから、そもそも予備校なんて通う必要はないんですよ。みんな親の見栄です。おたくのお嬢様はどちらの予備校へ? あら、お通いになってないんざますの? あらま驚いたでざますってなもんです」
 「詳しいな」
 「前に家庭教師をしていた家がそういう家でした。そこの子供は家庭教師とは別に週に四日、予備校に通ってましたけどね」
 「それで、脇差はどうなる?」
 「だから、予備校に通わせないとなれば、脇坂氏は仕方なくつけるわけですよ。家庭教師を」
 「お前を?」
 「別にそのために通ってるわけじゃないですけどね」と僕は言った。「僕の大学の学生証はその手の親にはひどく受けがいいんです」
 「アホくせえな」と老人が言った。
 「僕のせいじゃないですよ」と僕は言った。
0051以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします
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2024/02/06(火) 15:27:00.682ID:+kGE2jmN0
 人の気配に振り返ると、喫煙所に速水さんが入ってくるところだった。清掃のパートの中では一番の古株で、アルバイトに入った当初の僕に仕事の手順を教えてくれた人だった。年は六十代後半だろう。たちの悪い天然なのか、かけるときに失敗したのか、くしゃくしゃのパーマの髪は黒と白とg半々くらい。おしゃべり好きが顔を揃えるパートのおばちゃんたちの中にあって、唯一、寡黙な、ほとんど偏屈とも取れるくらいに愛想の悪いおばちゃんだった。休み時間でも勤務時間でも、いつもイヤフォンを耳に突っ込んで、何やら音楽を聴いている。それでも誰も注意しないのは、パートで一番の古株だからというだけではなく、その身にまとった頑なな雰囲気のせいだろう。研修という名のもとに彼女についてまわった一週間のあいだで、僕らが交わした言葉の数はせいぜい十かそこらだった。
 灰皿を片付けるために身をかがめたところで、速水さんは私服でそこに座る僕に気がついた。
 「どうも」と僕は言った。
 遠視用の分厚いレンズの向こうで不審そうに目を細め、速水さんが聞き返した。
 「ノーモア?」
 どうやら僕の唇の動きをそう受け取ったらしい。
 「あ、いや、そうじゃなくて」
 灰皿に伸ばしかけていた手を戻し、速水さんは仕方なさそうにイヤフォンを片方だけ外した。
 「どうも」と僕は改めて言った。
0052以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします
垢版 |
2024/02/06(火) 15:31:45.156ID:+kGE2jmN0
 そんなことを聞かせるためにわざわざ私にイヤフォンを外させたのか、とでも言いたそうに速水さんは僕を見返した。その仏頂面を和ませる何か気の利いた話題はないものかと考え、僕は言ってみた。
 「あ、今日はバイトじゃないんです。ちょっとお見舞いで。こちら、三枝さんです。バイトしてる間に仲良くなりまして」
 そんなこと誰も聞いちゃいないよ、とでも言いたそうに速水さんは僕を見返した。
 「ええと、あ、いつも、何を聴いてるんです?」と僕は言った。
 「ニルヴァーナ」
 イヤフォンを耳に戻しながら短く答えると、速水さんは灰皿を片付け始めた。
 「ずいぶん、受けが悪いみたいだな」
 僕らのやり取りを黙って眺めていた老人が意地悪く笑った。
 「自慢の学生証でも見せてみたらどうだ?」
 「そんなの、とっくに試してますよ」と僕は言った。
 勤務日ではないとはいえ、灰皿を片付ける速水さんを黙って眺めているのも生づまりだった。かといって、手伝えばかえって煙たがられそうで、僕は老人を促して、立ち上がった。
 「で、その家庭教師は?」
 喫煙所を出たところで、老人が言った。
 「来週からです。火曜日と金曜日の七時から」
 老人は何かを考えるように宙を見つめたあと、一つ頷いた。
 「んじゃ、また報告しろや」
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垢版 |
2024/02/06(火) 15:36:54.725ID:27V701nS0
人の小説を延々とコピペしてるから出版社に報告するね
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垢版 |
2024/02/06(火) 15:38:01.345ID:+kGE2jmN0
 報告するにもするようなものは大してなかった。週に二度、七時から二時間の約束で僕は脇坂家を訪れた。智美ちゃんの部屋で勉強をするふりをしながら、演劇の話やらイギリス文学の話やらをし、それが終わると今度は下に降りて奥さんも交えながら世間話をした。それが一段落するころには脇坂氏が帰宅した。智美ちゃんが引っ込み、今度は脇坂氏と政治やら経済の話をした。ときには酒を酌み交わすこともあった。中流よりは明らかに上だが、上流特権階級というほどでもない。赤いボルボやら自家製クッキーやらレミーマルタンやらに慣れてしまえば、それはそれでどこにでもある普通の家庭生活に見えた。
 けれど、老人はそういう報告こそを求めているのだろう。
 僕はそう解釈し、老人に細かな報告を続けた。老人はうんうんと頷きながら僕の報告を聞いた。
 それでそのとき、その女の子はどんな顔をしていた?
 奥さんはどんな顔でそんなこと言ったんだ?
 そしたら、脇坂はどんな顔をした?
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垢版 |
2024/02/06(火) 15:39:16.877ID:27V701nS0
>>42
本多孝好「MOMENT」
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垢版 |
2024/02/06(火) 15:49:04.916ID:J7m76vT10
さっきから自分が何をしてるのかわかってるのかな?
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垢版 |
2024/02/06(火) 15:53:30.616ID:+kGE2jmN0
>>55
よく調べたな。どこで分かった?
っていうか知ってたのか?本多孝好さん

>>56
反省はしている。
もしこの続きが気になって本多孝好さんの本を買ってくれたら・・・
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垢版 |
2024/02/06(火) 15:55:39.610ID:pk7p5eRNd
勘違いにも程がある
きちんと処罰されますように
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垢版 |
2024/02/06(火) 15:56:56.591ID:+kGE2jmN0
>>58
これが今のVIPなんだよね
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垢版 |
2024/02/06(火) 15:57:27.612ID:+kGE2jmN0
お前ら良心ちゃんとあるんだな。
こんな糞みたいな場所でもしっかりした倫理観があってすごい。
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垢版 |
2024/02/06(火) 15:58:27.163ID:0Bc9i6lgd
お前がしたことでお前の好きな作家に入るべき印税が僅かながらだとしても減った訳だ
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