>>80
クリプキのクワス算の話が面白かったな
「1+1=2、6+4=10...と適当に足し算をしていくと、15+15だけ0になる(例えば)、という事実が発覚する、この方式の計算をクワス算と呼ぶことにする、この時、先程まで足し算をしているつもりだった人は、『いや、それは足し算ではなくクワス算をしていたんですよ』と言われても原理的に反論できない、なぜならいくら自分が足し算をやっていたつもりでも、それは全てクワス算の範疇にあることなので、あなたはクワス算をしていたのだということを否定することはできないからなのだ」という話

これだけだとただの言葉遊びなんだけど、これを現代のハラスメントの問題に置き換えて考えているのが興味深かった
例えばある人がコミュニケーションとして行なっていたことでも、いやそれはハラスメントなんです、原理的にハラスメントなんです、あなたがコミュニケーションだと思っていたことは実は全てハラスメントだったんです、とあとから言われても人は原理的に反論できない
クワス算のようなことが実は現実の社会ではよく起きてるという話

このように今社会で起きていることを哲学の観点から捉えている本でなかなか面白かったよ
特に本のタイトルにもなってる「訂正可能性」という言葉は大事にしていきたいね
人は一貫性なく考えをその都度訂正していっていいものなんだと