人間を好きになったことがないんだが
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そのコンテンツが面白いかどうかが重要であって人間はどうでもいい
どんなに面白い漫画描いてようが新連載がつまらなければそっちを前作補正で持ち上げたりしないし
どれだけコント漫才が面白かろうが芸しなくなって取り巻きに接待されながらVTR見てるだけのやつを芸人とは思えないし
次に扱うゲームが興味なければYouTuber Vtuberの配信とか見なくなる ガンダムやナウシカは面白くても
ジーレコや君生きはつまんねえんだよさっさと引退しろ権威主義の老害が 言ってることは一理あるっちゃあるんだが、出てくるのが漫画と漫才とvtuberってのがな
バカみたいで説得力なくなっちゃってる >>12
安倍晋三とか山本太郎とか政策とか一切見ず政治家個人を崇めてる奴の話にする? 突然ジブリとかVtuberが出てくる辺り
チー牛そう 人間を好きになったことがない×
人間に好かれたことがない○ よくわからん
なんでいきなりコンテンツの話になってるの? ピカソの絵とか一切価値を見出せない
あれこそ権威主義個人崇拝の最たるもんだ >>14
聞きかじったステレオタイプな政治批判ってのもなんかな・・・
もうちょい表出て視野広げた方がいいよ >>20
えっ俺がいつ政治批判した?
政治ではなくイデオロギー脳のアホを批判してるんだけど 親安倍か反安倍かとか右翼か左翼かみたいな単純だが具体性皆無な二元論しか語らない政治厨なんか愚の骨頂 こっちの見解に似てるけど違う
もうちょっと実在の人間と人間の生成物を明確に区分してる
人間に主眼を置いていても作品は作品で
作品内に出てくるあらゆる種類のコピーされた”人間”は現実の人間とは違って物語的に最適化されたもので(例えば心理描写や意識の流れを第三者が細かく知ることができる等)どれだけ作者の意図が現実の人間に働きかけようとしていても結局認識論的に切断可能なものでしかないんだから
ガンダムも君生きも作品としては同列で
個人に対して価値の差異を決定づけるのは選好しかない見做してる(ここに大きな違いがある”選好”がその作用機序以外一般化する事ができないならある作品を面白いものとして欲望する事はその対象を崇拝してることに他ならない)
そのディスクール全般が記録されてシニフィアンが客観的に確認可能であればその点に於いて最小単位の情報も完全でない神秘性に逃げ込む事のできる所謂”くだらない”あらゆる人間よりも勝った存在ではあるとは考えてはいる
>>19
そういった面ではピカソ、マティスみたいな表現に幅のある画家よりアド・ラインハルトのようなハイ・アートの抽象画家の方が例としてより明確だと思う
ラインハルトは自身のような作風の抽象画家は絵画運動の終焉のグループで子供でも描ける最後の絵画であることを認めてたから
まぁその後フォルマリズムに批判的なポップアートと新具象派の派閥が出てきたんだけど 人間を好きになるというのはその人間が提示する情報を故意でも過失でも誤った情報があると見做して尚好きという状態以前に”好き”の認識状態である”相手を無制限に信用する”という状況が発生しなければならないから
好きというトークンとして具体的な人間関係は”好き”が指示する意味対象に先立って作用してるように見えるから不合理的でその構造と内容の関連性からしてパラドキシカルな現象
ジジェクがいうようにイデオロギー的にしか好きという関係は生成し得ないから人間に限らず何かを好きになる行為は合理的事由を許容しない非理性的な働きによってしか説明付けえない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています