島津氏って毛利氏より強かったん?
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毛利、長宗我部、島津だとどのくらいのパワーバランスなんやろ 流石に長宗我部よりは島津の方が強いだろうけど毛利には勝てないんじゃないかな 落ち目だったとは言え足利義昭を保護してた毛利なんじゃないの 鳥無き島の蝙蝠とか言われちゃう長宗我部はさすがに最弱 >>3
ルイス・フロイスの本には当時一番商業都市だったのは貿易大国鹿児島って書いてる 関ケ原の負け戦で敵に完全に囲まれた四面楚歌の状態で敵中突破だべさーって言って大した被害も出さずに九州に帰っていった変態 長州は関ケ原後は岩国藩とかに分断されてるし
あんまり強いイメージは無いかな
幕末は両藩共に金持ち藩ではあったみたいだけど 長曽我部って犬みたいな小さい馬に乗って動物の毛皮着て長すぎる刀差して山賊みたいだったらしい >>11
調べたら大阪に着いた時点で80人しか居なかったって出てきたぞ。
その後薩摩に帰国した後に何人か帰ってきたとも書いてあるが、ぶっちゃけ帰国できたのは合計で100人程度だろ。
単純計算で15人に1人しか生き残って無い。
まあ全員戦死では無く費用や怪我で帰国出来なかったり、落武者狩りにあって死んだのが半分居たとしても、1400人の半分で700人。
2人に1人も生き残って無い。 あの退き口は義弘を生き残らせることが目的だからな
義弘さえ生き残れば島津家は生き残れる
なんならひとり以外全滅しても勝ち
兵卒に至るまで全員がその意識を共有してたんだろう 島津の何がすごいって外国を支配したことだよな
江戸幕府さえしたことないのに >>18
相手を馬鹿にする古い言い方(早い話昔の悪口)に『唐変木(トウヘンボク)』って言い方があるけど、
コレは本来は『島蝙蝠』って漢字で、織田信長が長宗我部元親から使者に対して「ムチョウトウヘンボク」と言った事が始まりなんだよ。
漢字にすると『無鳥島蝙蝠』つまり「鳥無き島の蝙蝠」って意味。
相手に意味がわからないように馬鹿にしたんだ。
ところが長宗我部元親からの使者(名前忘れたが実在する長宗我部の家臣だったハズ)が咄嗟に、
「それでは織田信長様はウンチョコピーのオッパッピーですな!」
と適当な造語を言い返したので、信長は意味が判らず変な顔をしていたらしい。
現代ではこの時長宗我部の使者が言い返した言葉は咄嗟に言い返しただけで意味なんて無いと言う説が有力だが、
インターネット普及後にアマチュア研究家によって解読された謎の言葉って多いから、コレも本当は何か意味があって後年解読されるカモ知れない。 島津は単体性能お化けの集まりって感じ
毛利は組織的な総合力って感じ 毛利、長宗我部、島津は秀吉が出てくるまでは全勝に近かったけど大勢力には勝てなかったね >20>21
フッフッフッ。
その島津義弘さん、実は中国(明)の記録では朝鮮半島からの撤退戦で中国軍に討ち取られた事になってたりする。 幕府って島津に琉球支配丸投げしてたからな
そりゃ勝負見えてるわ
長い目で見るとな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています