0001以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします
2023/09/22(金) 17:24:09.613ID:X2xxIpOG0実際、現在の渋谷では、そこへ行きさえすれば探している書物が必ず見つかるという良質な大規模書店も姿を消してしまったし、本格的なエスプレッソが飲める広々と開かれたカフェ――そこでは、つい最近まで喫煙も可能だった――もなくなってしまった。また、これはもっぱら個人的な執着にすぎないのだが、戦前の子供時代に母が初めて連れて行ってくれたことで忘れがたい永坂のさる蕎麦屋の渋谷支店――これは、レジ係からウエイトレスまで、ことごとく年輩の女性だけで取り仕切っているという特異な雰囲気の店だった――もなくなり、故エドワード・ヤン=楊徳昌監督のとても上品な母君と親しく言葉を交わしたことで忘れがたい劇場も閉鎖されてしまったし、侯孝賢監督のお気に入りだった中華料理の麗郷も、近く閉店するという。
法被姿のフランス人女性がまったく気づいてはおらぬこうした無惨な事態は、ことごとく渋谷一帯の再開発とやらが原因であるというしかあるまい。駅周辺の移動が厄介になり始めたのは、数年前から、元百貨店だった一帯が再開発の工事とやらで、ごくぶっきらぼうに風景を変え始めてからのことである。では、その再開発とはいったい何か。どうやらこれは「都市再開発法」という昭和四十四年に制定された法律に基づく大規模工事だというから、多少とも官製の発想がその根もとにありそうだ。そもそも、なぜ「再開発」であって、たんに「開発」と呼ばれることが避けられているのか。
「再開発」というからには、すでに「開発」されていたものを改めて「開発」し直すという、いわば戦前を精算することを目的とした戦後的ともいえる復興の思考がそこに反映しているような気がしてならない。事実、法律が制定されたのは、まだまだ「戦後」の雰囲気をとどめていた時代のことである。だが、二十一世紀にもなっていまだに「再開発」などといっているかぎり、そこに「戦後」的な発想が無批判に受けつがれているように思えてならない。渋谷の場合は、戦後の復興にそれなりに貢献した東急電鉄がその推進役かと思われるが、日本全国の再開発事業には民間の資金調達に翳りが見え始め、地方自治体に大きなしわ寄せが及んでいるらしい。
「都市再開発法」の第一章の「総則」には、「この法律は、市街地の計画的な再開発に関し必要な事項を定めることにより、都市における土地の合理的かつ健全な高度利用と都市機能の更新とを図り、もって公共の福祉に寄与することを目的とする」と書かれているが、この「公共の福祉」というところが問題である。そもそも、到るところで「再開発」による高層ビルが盛んに建てられて見慣れた風景が変化しつつあるが、その変化が「公共の福祉」に寄与するとはいったいどういうことなのか。ほとんど機械的に「再開発」には高層ビルの建設が不可欠と思われているようだが、その無言の申しあわせが、いかにして「公共の福祉」に「寄与」するものと断じられるのか。
そもそも、「少子高齢化」による人口の減少がかつてなく甚だしいこの時代にいくら「超高層マンション」など建てたって、少なからぬ数の空室ができるのは目に見えている。事実、一部では、高層マンションの「スラム化」ともいうべき現象が深刻な問題となっていると聞く。それこそ、「公共の福祉」には逆行するものではないのか。