【悲報】原爆投下直後の画像
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入院して2日目、看護婦さんがやって来ました。軍人相手の気が荒い看護婦さんだから、子どもといっても優しくしてくれません。それまで海水をつけてゆっくり取っていた背中のガーゼを、両手で力任せに引きはいだんです。
あまりの激痛に悲鳴を上げました。被爆から約3カ月、傷口を覆い始めていた薄い膜がはがれたんだと思います。昏睡(こんすい)状態は続いていましたが、それまで痛みはあまり感じませんでした。本当の苦しみは、このとき始まったのです。
https://i.imgur.com/8AxquHB.jpg あまりの痛みに、夜も眠れない。背中に塗られる薬がまた、ものすごく染みた。治療器具を載せた台車のゴロゴロという音が近づくたびに、「殺してくれ」と泣き叫びました。看護婦さんたちは私の手の届くところに、はさみや棒を置かなかった。そばにあれば自ら命を絶っていたと思います。背中や胸の肉は腐ってどぶどぶと流れ落ち、体の下に敷いたぼろ布にたまります。看護婦さんはそれを一日に何度も捨てなければなりませんでした。
夏になると、左肘にうじがわきました。蚊帳が張ってありましたが、関係なしに次々に卵がかえっていった。うじは骨と骨の間に食い込んでいき、ぎりぎりと痛むんです。大きくなったうじが見えますが、動けない自分にはどうしようもなかった。
ばいで寝る私の枕元に、看護婦さんはいつもカルテを置きました。ドイツ語で書かれているので理解できませんでしたが、「危篤状態」と漢字で走り書きしてあるのを何度も目にしました。このころ、誰一人として私が生きられると予想する人はいなかった。先生たちは毎朝病室に来ては、「今日も生きている」とささやいていました。私の家では葬式の準備をしていた 火傷って青葉みたいな治療しないとすぐ死ぬんじゃないの ジョニーは戦場へ行ったって映画ド深夜にみるととても暗い 火傷って意外と生きられる物なのかね?
青葉もあそこまでヤケドして生き残ったし これで生き残れるなら原発事故なんてショボいもんだな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています