高校生の時にクラスのTシャツのイラストを頼まれたんだけどさ
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俺は絵がうまいってことで、役員的な人から頼まれてやることになったんだけど
その時めちゃくちゃ張り切ってたんだけどなんか上手くいかなくて
結局俺は降ろされることになってクラスの陽キャ女子のイラストが採用されたんだよね
そんでそのあとめちゃくちゃクラス中の人からしばらく気を遣われることになったんだけど
あの時なんでああいうことが起きたのか、どうすれば俺は満足できるのかなって今でも考えてる・・・ えーとクラスTシャツの制作というのは文化祭で着るTシャツということですね あの頃の俺は「俺はスランプなんだ!」ってずっと思ってた
確かになんかあの頃丁度私生活的にうまくいってなかったのは事実としてある
しかし、自分があれをうまく成功させてるイメージが湧かない
結局は自分に不似合いな仕事だったってことで、当然の結果だったんじゃないのかな?
と今はうっすら感じる 自分が当然の結果だったんじゃないのかな?
と感じる理由
→クラスのTシャツのイラストというかなり限定された条件に対して自分のノリがあまり合わない
→その後の人生で自分は一枚絵のイラストを描くようになったがそちらはそこそこうまくいっている
↑
上記のことから、自分はクラスのTシャツみたいな特殊な状況じゃなく、いわゆる一枚絵のイラスト制作だったらうまくいく確率が高かったと言える。また、高校生の時は単純にイラストを作るスキルが低かった これを話すとなんか同情されたり慰めの言葉をかけられることがあるんだけど、自分としてはやはりこれって考えれば考えるほど当たり前の結果だったよな、って思うんだよな あの時こうしてればよかったんじゃないか...?
って今でも良く考えるし
あの時うまくいかなかったのは、俺が天才すぎてピーキーだったから周りと馴染めなかったんだ...!
とか色々考えて無理やり納得させようとすることもあるんだよ
まあ実際自分が表現したいものを持ってるっていうのは強いと思う、その時代わりにイラストを描いてくれたクラスの女子がじゃあ現在イラストレーターとかになってるのか?って言ったら多分なってないと思う しかしあの時は「別に本気でプロを目指してるやつじゃないようなやつが評価されて、本気で絵をやってる自分がそいつに負ける」というのがすごく身を引き裂かれるような気持ちだったし、まあ主に周りからの同情もそういう類の同情をされていたはず
いやそれは俺の想像だけど でもやはり「本気でやろうとしてる人だからこそ」うまくいかなかったとも言える
何故ならやはり自分の表現したいものが強くあったはずだから
だからあの時うまく結果が出なかったことで「自分には才能がないのか」とか落ち込むこともないような気がする、やはり
つまり、その後自分が大成するような人物だと仮定した場合、やはり学生時代のあの時にうまくいかなかったっていうのは至極当然のことだったんじゃないのか?
って思ったりする だからまあ何が言いたいかと言うと、自分の生きてきた道のりをあまり否定したくなくて、あれはそりゃそうなるだろうな、のちに大成する人だったら絶対そうなるよ、って思えるようになりたいんだよね
ある種の開き直りなんだけど
てか、まあ普通に10代の自分は実力がなかったよ でもなんかやれそうな雰囲気が出てたから頼まれた、でも実はこけおどしだったから失敗した、それだけ
その後ちゃんと勉強をしてちゃんと実力を身につけた、今ならクラスの人たちには負けないという自信がある、全ては自分の意思と選択で手にしてきた実力がある
あの時結果が出なかったのは単に実力がなかったから当然のことなんだ
そう考えるとスッキリしてくる はっきり言ってその辺のクラスの陽キャ女子にも負けてた、実力的に
単にそれだけの話で なんだろうな、だからそのことで落ち込むことですらないというか
単に自分の実力以上の仕事を頼まれて、失敗した
元々俺よりも実力がある他人の方がうまくやった
しかし今現在の自分はその後の意思と選択によりスキルが身についている
状況を整理するとこういうことが起きている だから別に悔しいと思うことでもなくて
あ、俺には合わなかったな、あるいは力不足だったなと
思うだけで落ち込むことでもなくて
はっきり言って何も起きてないに等しい なんかそれだけのことだよなと最近考えられるようになってきた それは今実力が身についているからそう考えられるのか?あの頃があるから今があると思える自信があるということなのか?
別にそういうことでもなくて
やっぱり本質的には何も起きてなかった
冷静になってみてそれが分かってきた ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています