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先生の解説が分かりにくかったから晒すわ
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2023/08/31(木) 21:56:13.723ID:N8d+ypkY0
トームペア城というのは、エストニアという国のタリンという町にあるお城だよ。エストニアは日本から遠く離れたヨーロッパの国で、タリンはその首都だよ。トームペア城は、タリンの中心にある高い丘の上に建っていて、とても大きくて立派なお城なんだ。でも、このお城は昔からずっと同じ姿ではなくて、色々な人たちが住んだり、改造したりしてきたんだよ。今からそのお話をしようね。

昔々、この丘にはエストニアの人たちが木で作ったお城を建てて住んでいたんだ。でも、13世紀になると、デンマークという国の人たちがやってきて、エストニアの人たちを追い出してしまったんだ。デンマークの人たちは、木のお城を壊して、石でできたもっと強くて大きなお城を作ったんだ。このお城は、デンマークの人たちがエストニアを支配する場所になったんだよ。

でも、デンマークの人たちはずっとエストニアを支配していられなかったんだ。14世紀になると、ドイツの騎士団という武装した集団がやってきて、デンマークの人たちを追い出してしまったんだ。ドイツの騎士団は、デンマークの人たちが作ったお城をさらに強化して、自分たちの本拠地にしたんだ。ドイツの騎士団は、エストニアの人たちにキリスト教を教えることもしたんだよ。

16世紀になると、今度はスウェーデンという国の人たちがやってきて、ドイツの騎士団を追い出してしまったんだ。スウェーデンの人たちは、トームペア城をエストニア全体を管理する場所に選んだんだ。スウェーデンの人たちは、トームペア城に学校や図書館などを作って、エストニアの人たちに教育を施すこともしたんだよ。

18世紀になると、今度はロシアという国の人たちがやってきて、スウェーデンの人たちを追い出してしまったんだ。ロシアの人たちは、トームペア城にロシア皇帝が派遣した知事が住む宮殿を作ったんだ。この宮殿は、バロックという華やかな様式で作られていて、お城の東側に増築されたんだよ。

19世紀から20世紀にかけては、ロシア帝国が崩壊したり再建されたりする間にも、トームペア城は色々な役割を果たしたんだ。1918年には、エストニアがロシアから独立して初めて自分たちの国を作った時にも、トームペア城で宣言されたんだよ。その後も第二次世界大戦やソビエト連邦という国家の支配などで苦労したけど、1991年に再び独立した時にもトームペア城で宣言されたんだよ。

そして今はね、トームペア城はエストニアの国会の議事堂として使われているんだ。議事堂というのは、国の政治を決める人たちが集まって話し合う場所だよ。トームペア城の議事堂は、1922年に修道院を壊して作られたもので、外から見ると古い感じだけど、中はとてもモダンなんだよ。トームペア城の南側には、高さ約50メートルの塔があって、「のっぽのヘルマン」と呼ばれているんだ。この塔には、毎朝エストニアの国旗が掲げられていて、エストニアの人たちにとって大切なシンボルなんだよ。

トームペア城は、色々な人たちや時代によって変わってきたけど、タリンの町やエストニアの国の歴史を物語るお城なんだ。もしタリンに行くことがあったら、ぜひトームペア城を見てみてね。
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2023/08/31(木) 22:10:10.841ID:OXTWHPZg0
VIPPERは長文3行以上読めない
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2023/08/31(木) 22:12:48.498ID:8NisylIlr
建物なのに改築時じゃなくて改造とかさぁ
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