「認知バイアス」って人間が非合理な判断をしてしまうことの原因として悪者扱いされがちだけど
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認知バイアスによる判断を「非合理」だとする根拠は何なんだろうか?
ただ単に古典的なホモ・エコノミクス像では説明できないというだけで「非合理」と見なしてよいのだろうか? 認知バイアスのかかっていない情報なんてほぼないだろ
問題はどのくらい歪んでいるかの量的なところだと思うが ・前提として「現実はAである」という事実がある
・現実を見て「現実はAである」と正しく認識していれば合理的
・現実を見ても「現実はAである」とは正しく認識できておらず「現実はBである」と間違って認識してしまっていると非合理的
ということなんじゃないの >>6
前提の「現実はAである」という事実を事実たらしめているのは何なのだろうか?
結局はそれも人間の認知の産物でしかないのではなかろうか? だからそう言ってるじゃないか
そして何が正しく何が合っているかはほとんどの場合多数決で決まる
独裁では独裁者によって決まるが >>7
「現実はAである」という事実は観察の結果だよ
幾つも幾つも類似の事象を観察して統計学などを駆使して学問的に調べてまとめた結果だよ
でも個人ごとに見ればある現実を見た時にいちいち幾つもの先例を調べたりはしないし統計学的な処理もしないよね
そういう前提があって
現実を見て「現実はAである」と正しく認識しているのは観察の結果を知っているからだよ
現実を見ても「現実はAである」とは正しく認識できておらず「現実はBである」と間違って認識してしまうのは観察の結果を知らないからだよ 人間の機能として合理的な面もあるけど必ずしも合理的ではなくて非合理的な判断の原因になる場合もあるから気をつけようってことだろ 認知バイアスを非合理的だと思うこと自体にバイアスありそう >>9
観察も認知の一部だろう
したがって認知バイアスが非合理な判断をもたらすものだという仮説を認めるならば
観察の結果得られた「現実はAである」という事実にも疑いの目をかけなければならなくなる >>12
>>9 にも
「幾つも幾つも類似の事象を観察して統計学などを駆使して学問的に調べてまとめた結果だよ」
「でも個人ごとに見ればある現実を見た時にいちいち幾つもの先例を調べたりはしないし統計学的な処理もしない」
と書いたよね
学問的な手法で行われる観察と個人がその場その場で行う観察を混同してはいけないよ >>14
学問的な手法で行われる観察も分解していけば人間の編み出した個々の観察手法の組み合わせだろう 「真に合理的な判断とは何か?」に答えることはできない
だからこそ、「真の合理性」を定義できないからこそ、ある判断を「非合理」と判断することも不可能なのでは、という話 >>16
なるほどそうかもしれないね
それじゃ君がそう思う具体的な認知バイアスの実例と
どうしてそう思うようになったのかの具体的な説明を教えてくれる? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています