これ隙がない論理を反論なんだけど反論できる?
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ぼっちは一人の時間を多く過ごしているため寂しいという感情に耐性がある。それに比べて非ぼっちは1人の感覚があまりない。よって寂しいという耐性がない。そのためぼっちに対して寂しくないの?という感覚に陥るのではないか。これこそが無意識に陥っている感覚なのではないか 一人の時間を多く過ごしているため寂しいという感情に耐性がある、の前提に飛躍があるように思うがどうだろう ぼっちは寂しいという感覚に耐性がない
山田リョウは寂しいという感覚が欠如している 一人ぼっちは一人の時間を楽しむことで、自己肯定感や内省の機会を増やすことができます。非一人ぼっちでも、他人との交流を通じて学びや成長の機会が得られます。したがって、一人ぼっちであるからといって必ずしも寂しさへの耐性があるわけではなく、逆に寂しさを感じないこともあるでしょう。人それぞれ異なる感情や心の状態が影響するため、一概に「寂しさへの耐性」を特定の状況に結びつけることは難しいかもしれません。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています