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2023/08/10(木) 12:24:00.995ID:GKsGNZQmd宗教というのは、神様や人生について考える方法のことです。人によって宗教は違うことがありますが、それは悪いことではありません。宗教は自由に選べるもので、自分の信じることを尊重してもらえるべきです。でも、昔のヨーロッパでは、そういう考え方があまりありませんでした。特に、キリスト教という宗教が強かった国々では、自分たちと違う宗教を信じる人たちを嫌っていました。
キリスト教には、カトリックとプロテスタントという2つの種類があります。カトリックは、ローマ教皇というお偉いさんが神様の代わりになって、人々に教えを伝える宗教です。プロテスタントは、聖書という本に書いてあることだけを信じて、自分で考える宗教です。カトリックとプロテスタントは、どちらが正しいかで喧嘩をしていました。
三十年戦争が始まったきっかけは、ボヘミアという国で起こった反乱です。ボヘミアは、神聖ローマ帝国という大きな国の一部でした。神聖ローマ帝国では、カトリックが国教でしたが、ボヘミアの人々はプロテスタントが多かったです。でも、神聖ローマ帝国の王様はカトリックでしたし、ボヘミアの王様もカトリックになりました。その王様は、「みんなカトリックにならなきゃダメだよ」と言って、プロテスタントの人々を追い出そうとしました。
それに怒ったプロテスタントの人々は、「そんなこと言われてもカトリックにならないよ」と言って、王様のお使いさんを窓から投げ落としました。「窓から投げ落とすなんてひどいことだね」と思うかもしれませんが、「窓から投げ落とす」は昔のヨーロッパでは「反乱する」という意味でした。これを「第二次プラハ窓外投擲事件」と言います¹。
この事件がきっかけで、神聖ローマ帝国とボヘミアの間に戦争が始まりました。でも、この戦争は2つの国だけでは終わりませんでした。他の国々も参戦して、大きな戦争になりました。カトリック側にはスペインやオーストリアなどが加わりました。プロテスタント側にはスウェーデンやフランスなどが加わりました。フランスはカトリックだったけど、神聖ローマ帝国の敵だったからプロテスタント側についたんだよ。
この戦争は、30年も続いて、ヨーロッパ中が大変なことになりました。戦争でたくさんの人が死んだり、負傷したりしました。兵士たちは、食べ物や金を奪うために、村や町を荒らしました。病気や飢餓も広がりました。特にドイツは、戦場になったり、分割されたりして、大きな被害を受けました。
この戦争は、1648年にウェストファーレン条約という約束で終わりました²。この約束では、神聖ローマ帝国は弱くなって、ドイツの小さな国々は自分で決めることができるようになりました。オランダやスイスは独立しました。フランスやスウェーデンは領土を広げました。プロテスタントはカトリックと同じ権利を得ました。宗教の自由も認められました。
三十年戦争は、ヨーロッパの歴史に大きな影響を与えました。宗教の違いで戦争をすることはなくなりました。国々は自分の力で生きていくことを学びました。ドイツは長い間分裂していましたが、後に統一されました。ヨーロッパは新しい時代に入りました。
三十年戦争のことを知って、どう思いましたか。「戦争は悲しいことだね」と思いませんか。「宗教の違いで喧嘩するのはもったいないね」と思いませんか。「人々は平和に暮らしたいんだよ」と思いませんか。私はそう思います。あなたもそう思ってくれると嬉しいです。