人生に『ガチャ』というのは存在する
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自分では変えれないものはこの世にいくつも存在している
親・環境・遺伝子・生れながらの病気 など
数えきれないほど存在している
なのにそれを大人は『甘え』として済ます
果たして本当にそれで良いのだろうか? 存在したからなんだよ
ガチャで出た結果は知ってんだから
それ踏まえて努力するしかもうやること残されてないぞ >>1
誰しも多かれ少なかれそういうものを持っているのは同じだからな
配られたカードで楽しむだけ
カードに文句言う前にそれを活かす努力をしろよ >>6
これな
ガチャ外したからって次のガチャを引くための努力を放棄することが愚かなんだよ 例えば、家から出る時に、『右足からでる』とか、コレがガチャだとしたらどーする?
左足から出たら、結果(なんの?)が変わるとか
運命を信じたいなら好きにすれば良いけど、ソレは努力では何も変わらないってことを信じてるってことなだけのクソ理論ですよ 容姿とか素の状態が良い人間に対する憧れは消えない
努力すれば過去の自分よりマシになるけど最初から
良いカード持って生まれてきた人間には敵わないからな ただ真っ直ぐ背負おうとしている!信じている、たとえどんな境遇であろうと、それだけで勝負は・・・人生は決まらない。
その思いが背負わせる・・・ごまかすことを拒否する。きちんと背負ってこそ前へ行けるのだ!
不遇のまま敗れることもある・・・いいとこ一つなく立ち枯れ朽ちることもある・・・しかし、それを重々わかった上で、やはり捨てないのだ、不遇を・・・現実を・・・貧しさ、どうにもならない容姿、才能・・・しかし、それが自分なら、自分自身というものなら、しゃあないやろっ!そこからいけって!逃げるな夢想に!逃げない・・・尽くす!運命を全て、幸運も不幸も全て抱え込み前へ・・・! ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています