人を騙すことの何が悪いって騙された人間が被害を受けるだけではなく
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
うーん、『嘘』ってのは、嘘をついた本人が嘘を認めた時に初めて嘘になるんだよ
で、>>1の懸念ってのは、嘘だと暴かれてないのに
「ソレは嘘だっ!!」みたいなことを、推定無罪で裁いてるだけの、非民主的な行動でしかないんだよ >>3
人を疑うことはエネルギーを要するし
本来は互いにとって利益となる取引まで不意にしてしまうことになる いや疑うからこそ契約書をしっかり作るんだろうが
後で揉める方が疲れるわ 騙されることが多ければ当然犯罪も増えるだろう
欺瞞が増えると、社会インフラが高くなる
犯罪が多いと警察の配備が多く必要になるし、被害者救済のためのしくみも手厚くする必要がある
治安の低い地域が豊かじゃないのは文化的な面に投資しても商売が成り立たないからだ
性善説で仕組みが成り立てば成り立つほど、税金も安くなり
インフラも社会システムも手厚くなり便利になる
そうなると、衣食住はもちろん娯楽もいろいろと流行できる
それが国によって如実に差が出ている >>5
そこは信用の問題じゃなくて
お互いにベースとなる土台の認識がないから明文化してるだけだろう >>5
ビジネスにおいて抜け目のない契約書を作らなければならないのも労力を要する
それは結局取引先を信用しきれないことが要因だ 契約書ごときで安心できるのはその信用があるからだぞ
騙すことが当然になればそんなもの通用しない 今の世の中において他人を疑うことをやめろとは言えない
ただ他人を疑わざるを得ない世の中は「悲しい現状」として認識するべき
少なくとも「騙される側が悪い」という風潮は流行らせてはいけない >>9
もちろん互いの間に一定以上の信用が無ければそもそも契約は成り立たない
ただ同時に不信感もあるから様々な制約によって互いを縛り付けることになる 相手を疑うというのは勝手な期待を押し付けず過小評価せず
どういう存在か理解しようとする事とも言える
無条件な信用は相手を理解する気がないようにも見える ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています