この論理を反論出来るやついる?
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ぼっちは一人の時間を多く過ごしているため寂しいという感情に耐性がある。それに比べて非ぼっちは1人の感覚があまりない。よって寂しいという耐性がない。そのためぼっちに対して寂しくないの?という感覚に陥るのではないか。これこそが無意識に陥っている感覚なのではないか ぼっちだけど大体あってる
元々耐性あって他人に興味ないってのもあるが ちょっと動けば寂しいという状況からすぐ解消されるという安心感があるのと無いのとでは雲泥の差がある どした?
なんかあったのか?
悩みがあるなら聞いてやるぞ 正しいと言うかなんというか
人間は自分の感覚のもと、他者を想像したりジャッジしたりする
というのは正しいとか間違ってるとか略 強いていうならスキツォイド人格は1人でいることが好きなので、ぼっちになる
ここは因果関係が逆
でも普通の社会性を持ち合わせている奴は1人でいることの良さを理解できないことで>>1が指摘する構造に陥るのは同じ 一人でいると寂しさに耐性がつくが真で、ぼっちは長い間一人でいる人を指しているなら正しい >>1
> ぼっちは一人の時間を多く過ごしているため寂しいという感情に耐性がある。
これが前提でいい?もしそうなら
>それに比べて非ぼっちは1人の感覚があまりない。よって寂しいという耐性がない。
この命題は偽
「寂しいという耐性がないならば非ぼっちは一人の耐性があまりない」という命題なら真
この時点で論理的に正しくないので以下の命題を論ずる必要はない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています