前宮内大臣が自分より年の餘程若い夫人を迎へようとした。實にけしからん。衆議院議員が砂糖事件で賄賂を取つた。實にけしからん。此けしからんが義憤である。日本の新聞は第一面の社説を始として、第三面の雜報まで、悉く此けしからんで充たされてゐる。悉く義憤の文字である。
 田山花袋君が蒲團を書いた。けしからん。永井荷風君が祝盃を書いた。けしからん。日本には文藝の批評にも義憤が澤山有る。只繪畫彫刻の裸體に對する義憤だけが、昨今やつと無くなつたやうである。
 自分より遙に年の若い妻を持つのは、縱ひ不徳といふ程でないにしても、少くも背俗であらう。賄賂を取るのは惡い。併しそれに對して sittliche Entrstung を起して、けしからんと叫ぶのは、獨逸人なら、氣恥かしく思ふであらう。何故なぜといふに若し傍はたから、「その義憤をなさるお前さんは第一の石を罪人に抛つ資格がお有りなさるのですか」と云はれると、赤面しなくてはならないと感じるからである。そこで義憤といふことが氣恥かしい事になつてゐる。それを敢てする人は面皮の厚い人とせられてゐる。Sittliche Entrstung といふ詞に嘲の意味を帶びてゐるのは、かういふわけである。
 これは何故なぜだらう。これが獨逸人の道義心が日本人より薄い爲めであるなら、日本人は大いに誇つて好からう。日本人は迷はない人間であらう。日本人は誰も彼も道徳上の裁判官になる資格を有してゐるのであらう。實に國家の幸福である。
 僕は此問題に深入をすることを好まない。兎に角義憤が氣恥かしいといふ感情が日本人に闕けてゐるのは事實である。



森林太郎 當流比較言語學
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