人は宗教に絶対的なものを求め神を求める
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そういう意味では原理主義が宗教の元々の形である
実際キリスト教ではリベラル派が誕生したのは18世紀であり
それまではささいな競技の違いで争っていた(つまり人を殺しても構わないというくらい原理主義的だったのである)
何故リベラル派が生まれたのかというと18世紀19世紀で近代科学が発達し
聖書のウソがばれたため
科学との間で妥協する意味で産まれた
それともう人々が宗教で殺し合いをするのにうんざりしたから(だからリベラルは殺し合いの結果生まれた結論だった)
しかし第一次世界大戦、第二次世界大戦を経験するうちに、別に宗教なんて
なくても人はいくらでも殺しあうということを経験し、理性に対する信仰は崩壊
聖書を信じるキリスト教が復活することになった(そう実はキリスト教は一度は聖書を信じるのをやめてしまっていたのだ) 宗教に絶対的な物なんてるって根拠が分からん
そんな事ないだろ 根拠はいくらでもあるよ
キリスト教やイスラム教がそうだし
キリスト教は世界最大の宗教だ
誰だって物事の解決を求める場合 絶対的奇跡の力を求める
人生で非常に悩んでいる場合はね
宗教が絶対だなんてことは日本国内の新興宗教でもいくらでもあるよ 宗教を単なる人生哲学ではなく
絶対の奇跡の力に頼らないと
末期がんなんかは救いようがない
人生において人の力ではどうにもならないことに解決を求めるひとたちは
そういう人たちはしばしば宗教に頼るが
絶対のものを求める
人生に絶対の答えを求める人たちもね 宗教はただの思考停止装置
思考を停止させることであとはそれをどう使うかは使用者次第
ただそれだけのもの支配に使おうがお金儲けに使おうがセックス教団いつか王がテロに使おうがそれは「使うひつのスキル次第 他律的道徳観の人間にとっては、何かのルールを決める外部の権威は絶対的でないとダメだからね 奇跡を求めることと絶対的な物を求めることは同じではなくない?
宗教を絶対的な物と考えるのは指導者や支配者の都合なだけで、人が求めてるのは救いでしかないだろ 世の中には人生に絶対の答えを求める人が一定数今明日 絶対的なもの唯一神とかいうのは腐れキリシタンくらいだろ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています