1958年2月から四害(伝染病を媒介するハエ・蚊・ネズミ・農作物を食い荒らすスズメ)の大量捕獲作戦が展開された。
中国語では「除四害運動」と呼ばれたが、スズメを大量に駆除した[注 4]ことから、
「打麻雀運動」、「消滅麻雀運動」とも呼ばれる。
しかしスズメの駆除はかえってハエ・蚊・イナゴ(蝗害)・ウンカなどの害虫の大量発生を招き、
農業生産は大打撃を被った。

後に駆除対象はスズメから南京虫に変更され、ソ連から大量のスズメが送られたといわれている。