利他行動と利己行動の境界線ってなんだと思う?
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利他行動が自己利益に繋がるからやりますは、究極的には利己行動で、本当の利他行動ってただしく、自己の不利益で不合理な行動でなきゃいけないんだよね
それは、イエス・キリストや仏陀的な行動で、このときの利他行動は個人的存在を棄却したどこかに、意味内容があって、
じゃあ、それが何かって言うと、個人的意識の前にあるなにか、例えば遺伝子や個人の脳内に生成されたミーム的な要素だと思うんだよね
個人的存在、意識を度外視して存続しようとするなにか、それはある種、ウイルス的な性質を持つものだと思う
個人的存在の境界線がどこにあるかが、個人的存在を滅却した意味内容の所在を明らかにすると考えてる
利他行動の所在というのは個人的存在様式の上位に存在して、その境界線を超えて成立するなにかと思う
みんなは利他行動と利己行動ってなんだろ思う? >>2
win-winも利他行動と考えるならそうだね 幼い頃は人に親切にしたら誉められた
もっと成長してからは親切にしたら友達ができるようになった
常にプラスの結果が付きまとってきたから親切=善となり主客が入れ替わった
よって利己が利他と認識されるようになった
境界などなく同じものの別の側面 自分のためにもなるし相手の為にもなる
そこに優先順位をつけて利他やら利己やら区分するのがおかしい
公共の利益 うんうん、わかった
じゃあ、自己の不利益となる不合理な行動は存在すると思う? じゃあ、例えばだけど天皇のために玉砕するは利他行動、利己行動
どっちと思う? 全体の利益
周りの人間も自分の人間も同じコミュニティに帰属するわけで
そのコミュニティの利益というのは利他でもなければ利己でもない
全体の利益 帰属する先が同じなんだよ
母親が自分の子供を守るのと一緒 利益が個に属するか広い意味で公共に属するかどうかでしょ
内輪で利益を作って利他行動ですってのが増えた気がするよね
自己弁護をはかってる時点で利己主義じゃんってなるけど 区別はできるよね
自己の利益と他者の利益
で、どこに境界線を引くかって話をしてる
自他の利益が重複する範囲においての一切は区別不能ってこと? 何千何万という人間の利害が複雑に入り組む世界で自身か他人かという構造だけで利害を区別することがナンセンス
思考モデルが乏しい >>10
そうだよね
で、個の利益に属さない行動は存在すると思う? >>12
複雑で考えてもわかりませんって言われてもねえ
別に真理を求めてるわけじゃなくて、どう思うかを聞いてるんだよ 自分は>>1だと、わかりにくいだろうけど、個の利益に属さない他者の利益に属す行動を利他行動と定義してるんだけど、これは存在すると思う? >>12
これが、仏教みたいに自他に境界線など存在しないって言う意見なら、なるほどってなるけど
それにしても、悟りに至る前の私達はがっつり自他の境界線をひいてますよね?そのあたりについては深掘りしたくなるな 人間は社会的な動物である以上公にとって利益で自己に還元されない利益とか存在しないでしょ
結局のところ公益になるかどうかで私益を切り捨てる事が出来るか否かって話になり
ズレると自身が所属してる組織に負担をかけ始めるだけっていう歴史 >>17
公がなにかわからないけど、おそらく公共の利益だと思う
利益には公共性のある利益と、公共性のない私的利益があり
公共性のある利益はすべからく個に還元されるってこと?
公共の利益と私的利益が対立することはあっても、公共の利益が個人に還元されないことはないって意見ね
公共の枠組みは社会の範囲のなかにあるんだけど、この社会というものが普通考えられる人間社会を逸脱するってこともあると思うんだよね
で、聞きたいのは公共の枠組みというのは客観的に規定できるものなのか、主観的に規定されるものなのかってところ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています