「DQNの川流れ」←これに対するイメージ
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1999年8月13日
15時ごろ 降水がはじまる。当時隆盛しつつあった「オートキャンプ・ブーム」に加え、ペルセウス座流星群の極大、さらにお盆休みの時期にあたり、遭難した横浜市内の一行を含め、玄倉川ではこの日、キャンプ指定地外の六ヵ所に50張り程度のテントが張られていた。 15時20分ごろ ダム管理職員がハンドマイクで行楽客に増水と水位上昇の危険性を警告し、退避を促したところ、大部分の行楽客はこの警告に従って水際から退避した。
16時50分 神奈川県内全域に大雨洪水注意報が発令される。
19時ごろ 一行25人のうち4人は日帰り参加のため、幕営地を離れて帰宅した。 19時45分ごろ 雨足が激しくなり、事故現場の5km上流の玄倉ダムが放流予告のサイレンを鳴らす。
19時50分ごろ ダム管理職員が一行に直接、中洲から退避するよう勧告するが、拒否される。
20時05分 勧告を拒否されたダム管理事務所は、警察官からも退避勧告をしてもらうため、松田警察署に通報した。 20時20分 玄倉ダムが放流を開始。
21時10分 ダム管理職員と警察官が再度退避勧告する。一行のうち、比較的年齢の高い社員とその妻ら3名が指示に応じて中州を離れ、自動車に退避する。
この際、彼らは他の仲間も誘ったが拒否された。この時点で、遭難した18人以外は、他のグループも含めてすべて中州から退避していた。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています