富野:キャラクターを描くことで現実の体験に近いことをしたとか、この女とだったら寝たと信じられるところまで作りこめたら、もうマスターベーションなんです。

その感覚を持てないとキャラクターを作れません。

だから昨今の作品の女の子たちを見ていると、作り手は本当にこの子たちを好きなのか?という疑念を覚えます。

この髪型をこの子は好きでしているのか? 髪の感触はどんなものなのか?スカートの下を見たいと思えるのか?と次々と疑いが湧いてきます。

キャラクターが絵のままでいることが僕は耐えられないんですね。だから自分が生み出したキャラクターはこれこれこういう子で、だから好きなんですとパッと説明してくる作り手がいたら僕はそれを信用します。

富野 アニメ程度とよく言われますが、音声があって動いてくれると程度ではなくなるのです。

僕があるキャラクターを見て違和感を覚えたのは、ギミックとしてのキャラクターでしかないと考えたからで、けれど生き残れないと思っていたのに10年もするとキャラクターとして成立していたりします。
固有名詞は想像して下さい。
これを支持している人や制作した人は何を考えていたのか気になっています。
デジタル屋が勝手に動かしている感触が拭えなくて、好きになれないんですよ。
 

――あれはひとりの愛ではなく、ファンの愛の集合体のような存在ですよね。


富野:愛の集合体と聞くと良いことのように思えるけれど、それはポピュリズムでしかない。これは重大な問題です。
キャラクターには個性が欲しいんです。
また色々と言いたくなるんだけれど、今必死で我慢しています。