厳しい人「絵の上達の道は描いた回数でしかないぞ!絵に方法論なんてないからな!」
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もっと厳しい人「絵の上達は努力×才能、努力も重要だが才能がないと
上達にかかる時間と体力を無駄に消耗してチャンスを逃す
仮にうまくなったとして作品が世界に認められるようなものでなくては
絵で食っていくことはできない。つまり(才能×努力)+運というわけ
逆に下手でも本人のカリスマ性が高ければそういうキャラでプロになれる」 やってて技術のアップとあれ、こここう書いた方が良くなるなって気づきで上手くなる
なんも知らんやつが本とか上手い人のコツとか一気に聞いてもまともに線書けないから上手い人みたいにかけんし第一理解できんだろ。地道にやってくのが1番 人によっては学習能力低すぎて言ったこと全く覚えないやつもいるし
一定レベルを超えるには凡人以上の才能は必要 大塚康生(アニメーター)の談
私は、「石にかじりついてでも、人より多く枚数を描くことしか、人よりうまくなる方法はない」と大工原さんがチラッと洩らしたことばを実行してみようと思いました。天才でもない限り、うまく描くための近道があるわけがないのです。
確かにそのとおりで、アニメーターになって何年か経ってみると、動画を描くのが早い人というのは、結局、上達も早い、という漠然とした“公式”があることを発見しました。
同じスタートラインについた新入生は、アニメーションのノウハウ、あらゆる場面を想定した原画の描き方、カメラワーク、移動の仕方、セル操作、画面処理の テクニック、その他を、担当したカットを消化していく過程で覚えていくものです。ですから、1年で100カットやった人と、200カットやった人では、そ の“経験量”の差が倍の力の開きを生じさせてしまうことになります。3年経つと、それはもっと巨大な差になっていきます。系統的にいろいろな原画を分析、 研究し、積極的にカットを選ぶ人と、サラリーマン化して惰性でやっていく人では、2、3年経つと大きな経験差が生まれます。
当時の私は、受け身になったら損をするという気持ちが強く働いていましたので、一応勉強方法として“人の嫌がるカットを人より多く描く”ことを決めていました。
『ハヌマン』のフィルムコンテがあがったのは、1957(昭和32)年5月10日のことです。私はここは積極的に挑戦すべきだと考えて、フィルムコンテの 中から特に厄介そうなカット、カメラワーク、枚数が多いもの、そして、自然現象や群集などのカットを選び、「私にやらせてほしい」と頼むことにしました。
そういう世相(昭和初期、子供たちみんなが兵隊さんになりがたる世相)の中で、なぜか私は絵を描くことに夢中になっていました。
小_学生の終わりごろから、 蒸気機関車をスケッチしていました。
戦争が終わってアメリカ軍が町にやってくると、今度はジープに夢中になって克明なスケッチをはじめています。
4年振りに一緒に机を並べた宮崎駿さんは以前と少しも変わっていませんでしたが、1週1本放映、ギリギリの厳しいスケジュールの中で、『ハイジ』をへて『母 をたずねて三千里』の全カット、レイアウトという前人未到の仕事を通過してきた彼は、かつて一緒にやっていたころには見せたことのない力量をそなえていました。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています