全 vs 無
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無は何もない真空の中において無であることを証明できない
何かがあることの対比なのだから
よって無は全の下位となる 全というのは全てを内包する
内包しないものがあるならそれは全ではない 仮に無は無いからとかいう理屈があるとするなら無は何の役にも立たない
何故なら何もないのだから
無の力を持って攻撃した場合、それは何もしなかったと同じ 無は本来、証明どころか表現、果ては感知すらできないもの
当然証明ができないのは当たり前
証明できるということは、「何か」を認めているということになり
その「何か」があるということは到底無とは言えない
対比というのは有と有の間でしか成り立ちえない
有と無というのは言葉の響きと文字があるだけで実際には有しかない
例えば、1000円と0円というと、ただ響きがあるだけで実際には1000円しかないのと同じ
しかし今もこうして語ってしまっているがそれは仕方ない
そうしないと相手に表現できないから
さっきも言ったが無というのは感知すらできないので当然本来なら表現した時点で無ではない
無は絶対に辿り着けない
しかし全は表現もできるし全について自分の意見を述べたり議論を交わすこともできる
つまり全は扱うことが可能
この時点で全は無の下位になってしまう 全は全てとは言っても無だけは内包できない
なぜなら無は無いから
内包された時点でそれは無とは言えない
全というのは所詮は有の全てでしかない
全は無の下位です >>12
つまり無というものは存在しないということだな
まさに何も無いということ
クソスレを建てる>>1未満が無というもの 果たして本当に無は何の役にも立たないのだろうか?
それは大間違いです
無というのは強いて言うなら全ての土台です
無という究極の無限大の器の中に全があるというふうにも言えるでしょう >>13
無いものでも無いものとして内包することは可能だが 無はマジで偉大すぎるなんてもんじゃない
とにかく凄すぎて表現のしようがないレベルです >>17
「実際に無いつまり無」と「無いものとして内包されるもの」は違います。
前者は含められませんが後者は人間が対象化したものなので含められます。
自分が今言ってるのは前者のことです。 分かった分かった無が最強で決定だな
もう同じようなスレ立てるなよ 無いものとして人間が対象化したものは、「無いものとして対象化されたもの」つまり有の扱いになるので
内包できるのですが、本当の無自体は内包できないのです。 では見方を変えてみよう
全がなかったら、無がなかったら
それぞれのパターンで思考します
無が無い場合はそこは有
有が無い場合はそこは無
全は全てを網羅する存在するもの
全てつまり無限にあるもの
無限の存在の一部でも欠けるとそこは無
全の中に無が現れる
これは逆も同様の事がいえる
無も有もそれは隣合わせで片方が無くなると片方が認められる
こう見ると互角のように思えるが無は無、それのみでしか有り得ないが有は
有のあり方が無限に存在する
故に全は無より上位であると言える >>1が何故無が有より上位であると考えるか、それは先に無ありきだからである
無が土台となり有が存在するという考え故である
何故無が有より先であるの前提なのか
先に有で埋まっていたという考えはないのだろうか
この点において>>1は説明出来ていない
それならば有も無もどちらが土台であろうと問題ないという考え方をすべきである ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています