自覚ある悪VS自覚なし悪
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後者って余程じゃないといなくね?
周りが無自覚に悪やってるって誤解しているか、それとも単にアスペとか何かしら持ってるとかか
自覚あって悪事やってる場合は故意だったら相当やばいけど、他人のせいでそうなってしまったとかだったら本人に自覚があってもやめるのは心の傷が癒えないとダメそう やってることが同じだったら、自覚あってもそっちに成り下がってるから同じ凶悪だよ 自覚のない悪は知識を与える教育によって更生できる余地がある
自覚のある悪は一度精神を破壊しない限り更生できない 反省や更生の余地が無いのは、自覚無しの悪では無い
アスペルガーだったら自分で成長いけるから反省の余地はあるし成長の余地もある
反省や成長の余地が無いのは自覚ありの悪
逆張りを永遠と続けてる場合そうなる 加害したという行為を加害だと認められるか、歪めて自分を正義とするかの違い 自覚ありの悪からはアスペは悪事を故意にしていると捉える
逆に、良い心を持ってるけど悪気が無く言葉足らずで物事を行なってしまったという自分への反省心がある場合のある程度普通の人は、アスペや他の人も悪気が無かった、更生できると考えられる
全ては自己の負の部分の投影となってくる、何を悪と捉えるかは 何が凶悪かなんて誰にも決められない
人一人一人によって何が悪なのかは変わる
そしてそれをそのまんま自分に需要させるかさせないかが、自分を成長させるきっかけになるかならないかの違いとなってくる 自分が自覚があってその行為をしていた場合、他人のするその行為ら故意と写り、自分が自覚が無くその行為をしていたことのある人にはその行為は無意識だと写る 自覚あり悪はむしろいいやつそうな印象さえある
なんでだろう、多分俺だって善人だとは思ってないから、単純に波長が合いそうだなって思うんだと思う
自覚なし悪は馬鹿で話通じなくてうざいだけだから関わりたくない 自分が過去に無自覚に悪事を行なったことを悪いことだと捉えている場合は、無自覚の悪事が凶悪だと捉える
逆に自覚ありで悪意を行なったことを悪いことだと捉える場合は、自覚ありの悪事が凶悪だと捉える
悪いこととする認知の深いところまで遡るとその人の深層心理や過去にしたことが見えてくる
人によって捉え方が違うのはそれが理由となってくる 恐らく、何を悪としたいのかどうかは多数派の意見を採用したいということになるんだろうけど、実際その多数の意見が正解とは限らない
正解は自分で導き出すのが芯のある人間を作ることとなり、簡単には折れない、他人の意見に流されない、他人の意見で自分の意見を決めるという他人への責任転嫁の意識を変えていくきっかけとなっていく 全てを他人のせいにではなく他人の意見を自分の意見とするのでもなく、自分の責任として自分の考え方で物事を決めようと考慮することが、幅広い観点で物事を捉える訓練になるし、悪も善もひっくるめて考えることができるようになれば、自ずと何が理不尽なのかが見えてくる
それが悪だと自分は思う ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています