三陸地方は本当に復興したのか????????????????
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仙台でレンタカーを借りて津波被災地を訪問して思った
当時の爪痕はほとんどない。だが、無機質に整備された再開発地区の空地だらけの光景で思った
「これでよかったのか」と >>2
お前読解力バグってるだろ
三陸は福島県じゃないぞ・・・ >>4
被災地行った?
俺は東松島、南三陸町、陸前高田、気仙沼、陸前高田、大船渡を歴訪した
見違えるように変わった風景が広がっていた
しかし
「これでよかったのか」という声がのど元から突き出てきそうだった >>6
そうなんだよ
それで三陸訪問したときの「モヤモヤした感じ」をふと思い出してしまった 陸前高田や大船渡などでは
たしかに高台に整地された「復興地区」的な場所があるんだわ
そこでは歩道付きの広い道路がまっすぐに伸びていて、住宅地が広がり、真新しい(当たり前だがもっとも古かったとして築12年)スーパーや公共機関が並んでいる
だがふと違和感があったの
ここは東北地方で、仙台からもクルマで2時間以上かかる場所だというのに、東京近郊のニュータウンが突然出現したような違和感なの
古里感がなんだいよ。土地の匂いがそこではしないの。大自然の中に、人為的に作られた現代の街が出現していて
それに住民が左右されてる感じがした 人いなくなって整備したけど空き地になったとこ結構あるみたいやな 東京の中央政府が「復興庁」をつくり「復興予算」の財源をねん出し
東京の感覚で瓦礫を撤去して新しい街を「作ってやった」感というか・・・
そこで暮らす人は明らかに三陸人なのに、三陸の人が古来から築いた街と明らかに仕組みが違う
そういう場所にたたずんでるとすごいモヤモヤ気分になるの
そこに震災当時に大企業が支援事業で寄贈した施設がポツポツあって、地元と関係ない東京の有名企業の会社の看板をぶら下げたハコモノがあちこちにあるのもまたなんかしんどかった >>9
そうなんだよ
陸前高田だったか。住宅地のわきに細長い空き地が続いていた
聴けば「ローカル線の復旧後の線路を伸ばす場所だったが結局再整備されず廃線になった」ということらしい 復興の旗振ってる奴の脳内がちゃんと具現化されてる
つまりやってる奴がバカってことだ 実家が陸前高田だけど高台作るのに時間かかり過ぎて他の所に家建ててるからな あれは気仙沼だったか大船渡か
復興された再開発地区と、湾の形状が左右したのか運よく津波被害を受けなかった地区があるの
「受けなかった地区」は古い街並みなのよ。関東で言う伊豆、関西東海方面でいう紀伊半島の伊勢や和歌山をイメージしてほしい
あんなふうに崖があって、海があって、そのはざまに狭い道がぐねぐねし、そこに古民家や庄屋がぎっしり並んでいるの
だが、ちょっとそこを外れると、急に視界が開けて、道は広く空き地だらけで新築の構造物が並ぶ地区になるんだ
その対称的な光景、昔は同じ町並みが連続していた場所が、分断されてしまった感じがあまりにショックだった
レンタカーを運転している分には、道幅が広い再開発地区の方が当然運転しやすい
自分がもしそこに住むとしたならば、「狭いボロ家」より新築物件の方が便利なのもわかる
だが、言い方は悪いけど、地域が死んでる感じがしたのよ。12年前になくなったものが、復活せずそのまま死んだままで構造物だけがぽつらぽつら作られていて、まばらに人が歩いていて、生活の匂いがなくて・・・
それは「復興」なのかと >>13
陸前高田の道の駅にはいった
思わず涙が出そうだったよ
あの海、めっちゃきれいなんだよね。東京近郊の海岸よりもはるかに澄んでいて美しいのよ。地元民の誇りだと思う
こんなに美しい海が暴れまわって、全部の街を消し去ったという残酷さ、自然の猛威よ 何で俺がそういうことを考えたかというと
被災地歴訪の最後に「気仙沼美術館」に行ったんだよ
そこがまさにそういう災害時の当時の写真の記録とか、郷土史にさかのぼった地震・津波の歴史
復興の過程を展示している場所だった
そのうえで、伝承館的な広報施設ではなくあくまで「美術館」であるから切り口がちょっと違ってて
芸術の観点からの魅せ方、とくに学芸員による批評性のある考察が、脳天突き抜けるような衝撃があった
当時の新聞紙面で「未曾有の災害」という切り抜きの展示には、「当時のメディアは未曾有と言っていたが、中世からこの場所では何度の津波が押し寄せ人々が犠牲になっていたのだから想定された出来事だったのではないか」というような論旨の
戒めのような主張もあって、東北からの中央への批評だけでなく、地元からの地元への批評まであったのだ 気仙沼美術館
復興の過程の定点観測で更地だった再開発地区に集合住宅が建った写真があって
この土地にマンションができたのは初めてだが、住民が他人同士でコミュニティがなくなってしまった的な解説があったと記憶している
三陸各地を訪れて感じたモヤモヤしたものの答え合わせができた気がした 阪神大震災の起きた神戸のような
大都市部だったら崩れたビルを新しいビルに建て替えれば「復興」は完了するといえる
かつての関東大震災もそうだったんだろう
けど三陸の場合は違うと思う
そもそも空き地だらけで「空白を埋め尽くす」作業も完遂してないけど
かりにあの整地された道路と道路の合間の土地が全部構造物で埋められても
それは郷土復興にはならないと思う。東北地方の過疎地の大自然にポツポツと「ミニ・東京近郊ニュータウン」もどきみたいなのが出現している光景は、やっぱりおかしい 畳にハイヒールで上がる女子社員を見る方法
1 :以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします[]:2023/03/11(土) 07:10:38.016 ID:Qljacmxq0
教えて
俺「じゃ、そのまま中に上がって」女子社員「えっ(ここ和室….)」←どうする?
1 :以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします[]:2023/03/11(土) 09:00:01.340 ID:Qljacmxq0
どうなる
これがZ世代OLの常識wwwwwwwwwwwwww
1 :以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします??[]:2023/03/11(土) 09:59:20.218 ID:Qljacmxq0
https://i.imgur.com/rcdMFFo.jpg
https://i.imgur.com/ZliHGBv.jpg
https://pbs.twimg.com/media/Fql8QjFaYAAOhln?format=jpg&name=large
ネットの反応はご覧の大盛り上がり 非被災地区と被災地区の目に見えてわかる分断は本当にしんどい
壁のないベルリンというか、ただでさえ人口数万の小さな田舎町が、一つの大きな塊になることを阻害されて
本質的復興ができずに12年ずっと停滞しているように見えた ちなみに訪問時には津波被災地区にあったホテルだけ選んで泊まった
一番上等な部屋を予約し、食事は地元の店屋で一番高いメニューだけ頼んだ
少しでも復興支援になるならということだ 象徴的だったのが気仙沼の離島だ
大島という離島があって、震災前は渡し船でしか行けなかった場所が、立派な海峡大橋が完成してそれで行けるようになった
土地の人口規模を考えれば過剰な整備ともいえるが、復興のための公共インフラだ
空間としては地続きになったが、確かに島内は別の空気が漂っていたな
島の小高い丘のてっぺんから街を見下ろして、この小さな田舎町が複雑に分割されているさまについて考えた >>26
そんなことはどうでもいい
俺は三陸の土地の構造を無視した再開発的復興に疑念があるんだ 津波の酷かった場所ほど過疎地で、第一次産業が盛んだった
目の前の海が職場であり、そこに家があるという職住近接、職住一致で、あの風景が成り立っていた
ところが海から遠い高台に街を移して(これは大津波から守るためには必要だった政策ではあるが)
住宅地は「住居だけ」が並び、商業施設は商業区画に大型駐車場付きスーパーやミニモールがあり・・・みたいに
用途ごとに分離されてしまった。集落の内部の徒歩圏にささやかながら看板建築みたいな商店があり、手狭でも公共機関があり・・・みたいなコミュニティとは明らかに変わってしまった
東京の再開発の手法をそのまま三陸に持ち込んで正解だったのか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています