学問って底に気づくとやる気失せるよな
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「あっ、この程度なのね」って分かってしまうと、それ以上は時間の無駄に思える。
・数学→ 都合のいい前提や仮定をひたすら同値展開するだけの発達障害のオモチャだろ?
・栄養学→ わりかし適当だろ?
・統計学→ 9割データ次第だろ?その上いくら手法の精度を上げようがデータ収集の時点で不正あれば終わりだろ?
・心理学→ ただの感想もしくは統計データだろ?
・経済学→ 経済理論自体が経済に影響力あるから周知した時点で無用の長物だろ?
・法学→ 所詮おっさんの一見解だろ?
・会計学→ 所詮おっさんの一見解だろ?
・哲学→ つまり一個人の感想文だろ?
・文学→ つまり本読んだ感想文だろ?
っていうか、学問って20世紀の遺物だと思うわ
つまりところ価値観や前提に依存しすぎていて、本質を突き詰めていくと宗教みたいなところに辿り着く。 勉強は大事ってよく言われただろ?
あれは正確じゃないんだわ
正しくは、「欲しい情報があるときに」「データセットを」「素早く精度高く」理解できる能力が必要なんだわ
学校の勉強はそれを鍛える以外に価値ないよ。
学習内容自体に意味があるわけではない なるほど、面白いこと言ってる
哲学に興味ないかね? >>2
その言葉は「勉強しろ」ってうだつの上がらない大人に言われた時に言ってやれ >>3
「欲しい情報があるときに」「データセットを」「素早く精度高く」理解できる能力が必要
なぜこれが必要と思うの?
生活する上で役にたつから? 人生って所詮食事と睡眠と排泄でしょ
赤ちゃんからずっとそうじゃん
全生物生きてる意味なくね? >>4
哲学は大学生のときに興味を持って研究会に潜り込んでいた
輪読を通して、人はそれぞれ自分じゃ気づかない前提の上で話を展開しているとすぐに気づいた
「〜って書いてるってことは、〜って考えるのが普通だろ?」「〜は〜という解釈でいいと思いますがだとすると〜」
院生や教授でさえも同じだったので哲学には見切りを付けた 学問を何かのためにするんじゃなくて
生きる目的としての学問ってかなりでかいだろ
山登りとか美味いもの食うのと同じ >>12
次世代に遺伝子も業績も思想も遺さない、元素の循環くらいにしか貢献しない人生もある >>13
うん、正しいと俺は思うよ。
相手の気付いてない前提を指摘してマウントを取り合う作業とも言えるだろうね。哲学は。 >>15
生涯学習という言葉も流行ってるしな
楽しむため向上心やら生きがいを維持するため時間潰すためって目的もアリというか大事だよな >>16
本人が楽しければいいだろという考えもあるし。
そもそも淘汰するもの、淘汰されるもので、人生を区別するのか その先が学問の探求じゃないのか
答えを教えてもらうから探すに移行してこそみたいな >>16
次世代に何か残すことに何の意味があるのかという話になっちゃうぞ 行き着く先は人類絶滅は確定してんだし >>7
ああ、前提を話さないと分からないよな
子供の時に親や教師が「勉強は大事」と言う理由は、社会に出たときに役立つからだろ?
で、本当に役立つのは勉強した内容ではなく、勉強の仕方や姿勢や抵抗感だったりするからそう言った
だからあくまで親や教師が伝えたい勉強のメリットを通訳しただけであり、俺自体がそう思っているわけではない 得る物なにがあったみたいなんかな栄養学は真剣学んでるひとしっちょっとおれも文学とか先がないなんておもってない >>25
ワロタ
俺はやだぞ発狂役なんて深夜はもたれる 知覚を超える方法はないか?
脳も知覚とする
結局、どの学問も人間臭い 日本は学史や精神史や権威の歴史になりがちな部分が実学との乖離を拡大させて
その結果古いものだけ覚えさせられ意義自体が抜け落ちるみたいな場所はまあ多そうなんだよな >>24
学習内容そのものより、
学ぶ姿勢をトレーニングすることに、意味があるって言ってるんだよね。
で、なぜ意味があるかというと、役に立つからってことよね。
それ以外に意義はないといっているから、君は代弁したといいつつ、君もそこに共感してると考えていい? >>28
ピラミッドは人工感すごくても結局素材は自然のものなのに対して
学問は頭からお尻まで人工物だからな
この世で一番人間臭くてもおかしくないよな
悪い意味じゃない >>8
人文学は興味すらない
>>9
意味の決定主体は個人だから意味を他人に聞くこと自体が間違い 本質を突き詰めていくと信じるか信じないかになるのでまぁ宗教だな 学問は信じる信じないの世界ではなくて、
この前提ならここまでは言えるってことを表してんだと思うけどなあ 奥行き(底)は2つ以上の目で見て初めてわかる
偏った見方に囚われた頭の悪い人間が見ても正しく底が感じられないのは何も不思議なことではないかもな >>14
そうだな
学問を積み重ねれば真理に近づけるような錯覚、何か高尚なことをやっている感覚、そういう学問に対する一般人の幻想を打ち砕きたかった
積み重ねられているように見えるだけ他よりはマシだろう、と言う感想は最も
けれど俺には賽の河原のように思える
重ねているつもりだろうが、その行為は無為
だから趣味みたいなポジションが正しいと思うよ俺も
無理してやることではない >>38
やだ前半三島由紀夫みたいなこと言っててかっこいい でも学問ってある程度学んでみてなんとなくその雰囲気つかんだら、その先の専門知識()みたいな領域は要は細分化する作業でしょっていいたくなるのもわかる >>30
その解釈でいい
意義についての件は、また前提を話さないと誤解を産むかもしれないから話すと
俺は勉強と学習という言葉を使い分けている
勉強は書いて字の通り強制されるもの、親や教師の望むものに対してのみ使っている
だからその範囲に関しては、お前のいう通り代弁しつつ共感している
一方、自分の世界を広げる学習に関しては価値を感じている >>45
学問
→底が見えた
勉強する
→強制されるトレーニングみたいな
学習する
→自分から学びイク。いいじゃん。
このように理解した。
君はなにを学習するのが好きなの? >>31
そのピラミッドを認識するのも知覚に依存している
ピラミッドと言われて思い浮かべる色もそう
生物によって見える色や世界が違う、認識できるものが違う
だから、人間は自然の一部と言われているけれど、自然が人間の一部と考えることもできる
なぜなら自然を自然と認識しているのは人間だから
だから俺が言っているのは、プラトンの言うところのイデアを知る?体感する?方法はないかと言うこと
そのためには人間は人間特有の知覚から脱却しないといけないけれど、どうもその方法が見当も付かない >>48
認識せずに体感すればいいんだよ!
燃えよドラゴン
もしくは
禅 >>47
俺は納得したいだけかもしれない
そのためには>>48に書いたような、プラトンの言うところのイデアみたいなものに触れた感覚が欲しいのかもしれない
広く他人と共有するのではなく、ひどく個人的に悟りたいのだから、学問と相性が悪いのは当然かもな
姿勢としては求道者や宗教家に近いのかもしれない >>50
同じことしか言えないのは淘汰されるやつに特徴的だぞ
思考停止だからなそれ 思考停止は停滞だ
停滞は淘汰される
まぁまた同じことしか言えないなら自分のそのレスを自分に言い聞かせるべきだな >>52
禅というかマインドフルネスに興味は持って継続している
思考とは違う感覚、体や五感で考えるのとは違う感覚は感じる
けどこれは、薬物による幻想体験と何が違うのだろうか?
思考とは違うと書いたが、結局は普段使う脳の回路と別の部分を使っただけで、脳に依存した体験じゃないのか?
そうだとすると、仮に幸福な夢を見続けられるなら、それに勝る人間の幸福はないのではないか?脳を直接いじくって好きな刺激を得られるなら、そこが人間のゴールなのか? 学問を実生活に生かせないやつにはお遊びに見えるんだろうなあ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています